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トーキョー・アートエッセンス
No.022 いかに近道をしないか?という生き方 佐藤さんが代表を務めるデザイン会社、ASYL外観。
語り手:ASYL アートディレクター 佐藤直樹 氏
デザイン会社「ASYL(アジール)」代表であり、東日本橋エリアでのイベント「セントラル・イースト・トーキョー(CET)」のプロデューサーでもある佐藤直樹さん。2007年に森美術館で行われた「六本木クロッシング2007」でゲストキュレーターとしても活躍し、アートとデザインの境界線を行き来されています。今回は、佐藤さんがデザインの道にたどり着くまでのお話しを伺いました。

出発点は、アートへの反発
創刊から、アートディレクションとデザインを手がけられている季刊雑誌『ART iT』。
創刊から、アートディレクションとデザインを手がけられている季刊雑誌『ART iT』。

 現在僕は、デザイン会社「ASYL」の代表を務めていて、アートとの関係についてよく質問を受けるんですけど、ほとんど何も考えていません。雑誌の『ART iT』では、編集長小崎哲哉さんの「日本に無い雑誌を存在させたい」という意向に沿って、スタートからお手伝いしています。そういう意味では、アートとの関わりは大きいですし、「六本木クロッシング2007」のゲストキュレーターも意義深いことだと思っています。ですが、アートを目指しているわけではないんですね。他にも、かかわっている仕事は立ち上げから携わっているものが多いんですが、ただデザイン事務所でデザインをやっているだけです、というのが前提なんです。

 とはいえ、いまアートという言葉はすごく広範な意味で使われていますし、僕自身もアートは身近だったんです。母親が童画家でしたから。絵本や紙芝居のような、ちゃんと話があるものに添えてある挿絵のような絵を母は描いていました。一番上の姉と兄も美術大学へ進学したり、自分でも絵を描いている環境ではありました。しかし「何で絵を描く人たちには、自分からスタートしようとする人が多いのだろう?」と疑問を感じていましたね。漫画家なんかだと、エンターテインメントとして、明らかに人の渇望に対して作品を差し出せているからいい。だけど美術として絵を描いている人たちって、先に自己表現がある匂いがぷんぷんして、これが俺の内面だとか、俺上手いだろとか言っている。そんなもの人に見せるなよと思っていたし、今でもそう思うので、芸術家とかアーティストとかを自称している人間は、基本的に好きじゃないです(笑)。もちろん好きな作家はいますけど、芸術家やアーティストを名乗っていることがプラスに働くことはまずありません。


夢は、漫画家から小学校教師へ
漫画『オッス!トン子ちゃん』タナカカツキ著。佐藤さんは、本書のアートディレクション・アシスタント・刊行まで携わっている。
漫画『オッス!トン子ちゃん』タナカカツキ著。
佐藤さんは、本書のアートディレクション・アシスタント・刊行まで携わっている。

佐藤さんの手による岡本太郎《太陽の塔》の模写。
佐藤さんの手による岡本太郎《太陽の塔》の模写。

 小学生のとき、石森章太郎(のちの石ノ森章太郎)さんの「サイボーグ009」の連載が中断したことがありました。需要があるのに連載が終わるなんておかしいと、当時漫画家になりたかった僕は「続きを描かなきゃ!」と描き始めました。一生懸命模写して、いつでもアシスタントになれるように、石森さんの漫画レベルで描けなきゃいけないからと、ひたすら練習するんですね。しかし年齢の離れた姉や兄に、画力や内容で酷評されたりするわけです。それでも漫画を描き続けて、小学校の夏休みの自由研究では「漫画の研究」をしました。スクリーントーン(漫画の背景に使うモノクロの線や点が印刷されたシールのようなもの)、網線の密度によって、どれくらいの濃度のグレーに見えるか、線で表現する絵と面で表現する絵の違いとかを調べたり。印刷したように見せる、ということにこだわっていました。印刷物というのは、複製されてみんなの手に届くものじゃないですか。そこを目指していたことは、現在のデザインとつながっていますね。

 でも、中学生のときには、漫画ではなくサッカーに熱中していました。その後、オタク的なアニメブームのはしりがやってくるのですが、漫画やアニメが一部の人の熱狂の対象になっていくにつれて、だんだん距離を置くようになったんです。高校生になって進路を選ぶときには、姉や兄が美術の道に進んでおり、同じレールは避けたいと思っていました。美術という土壌があるからこそ、同じ土壌にいてはダメだと。二番目の姉が、幼児教育や福祉の方に進んでいたので、その影響もあって、小学校の先生になろうと北海道教育大学へ進学しました。それまで学校の勉強は全然できなかったので、僕みたいな人が先生になるのがいいんじゃないかなとも思ったんですね。そして僻地と呼ばれる漁村や子どもが少ない場所へ行って、そういう地域での教育の実態などを研究していました。しかし師事していた先生が亡くなって、やることを見失ってしまうんです。

 

美学校入学とデザインのスイッチ
東京文化発信プロジェクト「F/T09 フェスティバル/トーキョー」のアートディレクションとデザインもASYLによる。http://festival-tokyo.jp東京文化発信プロジェクト「F/T09 フェスティバル/トーキョー」のアートディレクションとデザインもASYLによる。
http://festival-tokyo.jp

 その後、信州大学で研究生をやっていたんですが、結局は続かなくて、稼がなくては生活ができないので、北海道で肉体労働をしていました。それ以前から、美術やデザイン関係のものは、自分の関心としていろいろ見ていたんで、肉体労働しながらも本を読んだり調べたりはしていました。この人の装丁はいいなとか、このポスターすごいなとか。見よう見まねで、制作らしきこともしながら。それで、やっぱり気にかかるものは全部やろうと、気になっていた美学校に入ることにしたんです。美術家の菊畑茂久馬さんの講座では、ひたすら基本的なグラデーションを描くという課題をこなしていました。それが自由課題になると、描きたいものが何も出てこなかった。僕には描きたいものは無いんだなと再認識したんです。表現したいことっていうのは、自分で設定するというよりも、世の中の方にスイッチがあるんだと。

 例えば「今度、ライブやるんだけど」と、ポスターを頼まれたときに「それつくろうか」というように、他人の要求、会話のキャッチボールの中から出てくるものがいい。でも、依頼にただ応えるのはつまらないので、相手が思っている以上のものを出そうとする。イメージはあるけれどまだ目の前にはない、というものを形にしていくことは自分の訓練にもなるし、そこから何かが生まれてくることに喜びを感じるようになっていました。20代のときに何も出てこないのは当たり前。それは単純に、自分の中に何もなかったからです。だけど、見つからなかったからそれで終わりではなく、外に題材を見つけてもいいのではないかと思います。いかに近道をしないかと、試行錯誤を20数年。デザインの道にたどり着いてから、さらに20年が経ちました。この話はまた機会があればということで(笑)。ちなみに2009年春から、いろんな活動や仕事を通して知り合った仲間といっしょに、美学校で絵画についての研究や実践を試みる講座を担当することになりました。本当に不思議な気持ちです。

 

インタビュー・文/藤田千彩


次回は…
指揮者、大友直人さんを紹介します。[2月12日(木)アップ予定]

佐藤直樹(さとうなおき)  佐藤直樹(さとうなおき)
photo: Masanori Ikeda

1961年東京生まれ。北海道教育大学卒業後、信州大学で教育社会学・言語社会学を学ぶ。美学校菊畑茂久馬絵画教場修了。肉体労働から編集まで種々様々な仕事を経た後、翔泳社でコンピュータのマニュアル制作やその周辺のデザインに関わる。『WIRED』日本版創刊にあたり米国でプレゼンテーションしアートディレクターに就任。現在『ART iT』『DAZED & CONFUSED JAPAN』等のエディトリアル以外にもデザイン全般に渡る仕事を行っている。森美術館「六本木クロッシング2007」ではキュレーションとアートディレクションを兼務。CET(セントラル・イースト・トーキョー)プロデューサー。ASYL(アジール)主宰。多摩美術大学造形表現学部デザイン学科准教授。
http://www.asyl.co.jp

 
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