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トーキョー・アートエッセンス
No.032 キーボードから手を放して、現場へ行こう
語り手:ギャラリスト 池内務さん
日本橋馬喰町にあるギャラリー、ラディウム―レントゲンヴェルケ代表の池内務さんは、1991年の開廊から18年間にわたって数多くのアーティストやギャラリストを世に出し、レントゲンのDNAは日本のコンテンポラリーアートシーンに脈々と引き継がれています。また、11月3日まで開催されたアートフェア「ULTRA」ではフェアマネージャーを務め、若手ディレクターの育成にも注力されています。今回は、「いまだに自分が駆けずりまわるという現場の人間なんです」という池内さんから、画商としてのこだわりなどをお聞きしました。 日本橋馬喰町にあるギャラリー「ラディウム」外観

内海聖史「十方視野」展より
内海聖史「十方視野」展より

アートの原点とそのDNA

 余談になりますが、サッカーってものすごい数の人が熱狂するじゃないですか。選手22人と審判が試合で駆けずりまわっているのに対して、何万人もの人がウワーっと試合を観戦している。これには、明確な理由があると言った人がいるんですね。サッカーの起源のひとつとされるロイヤル・シュローブタイド・フットボールというイギリスのお祭りは、その村の川の上流と下流で2つのチームに分かれて、1個のボールを奪い合ってゴールに叩きこむものなんですが、何百人という村の男たちが、たった1個のボールを追いかけて村の中を駆けずりまわる。垣根をバーンと壊していったり、手を使ってもいいんじゃなかったかな。とにかく、川の中のゴールへボールを叩きこむ。要は、そういったゲームがサッカーの原点にあるから、1個のボールに対して大量の人間が熱狂するんだって。選手11人目以降はサポーターと呼ばれるわけですが、実際は彼らもゲームをやっているということなんです。

 何が言いたいかと言うと、そういったものがアートにないわけがない。絶対にある一定の行為には、それを裏付けるDNAが存在すると僕は思っているんです。アートの原点は、キリスト教のメディアだったわけじゃないですか。教会の宗教画など、パブリックアートだけがあった。最初は販売されていなかったと思うんですよね。それが、いったいどの段階でDNAに変化があったのか。おそらく、商業とのリンクだと思うんですよね。そこから、貴族たちが自分の楽しみのために画家に絵を描かせてきた。それって、貴族と画家、貴族と画商というように、個と個で成立するものじゃないですか。本来の美術のDNAってそういうものだと思うんですよ。「ULTRA002」が個人名で出展するということには、美術をもとのDNAに戻すっていうアイディアもあったんです。いいものを、一人が一人に売るという意味において。


桑島秀樹「Vertical / Horizontal」展より
桑島秀樹「Vertical / Horizontal」展より

画商の美学とは

 画廊の仕事というか、何かを見せていくっていう行為には、その時代だとか状況に対する責任みたいなものがすごくあると思うんですね。それは、1991年に画廊開けたときにも意識していたんですけど、それが明確な言葉になったのが、1995年の「909 アノーマリー2」という展覧会。椹木野衣、2度目のキュレーションのときに思ったんです。根本敬という漫画家がいますよね。彼がまあ、とんでもないインスタレーションをしたんですよ。それで、いささか僕はカチンときた部分があって、「椹木さん、こういうのが好きなんですか?」ってちょっと突っ込んだみたいなんです。そしたら椹木さんは、「池内さん、そうじゃないんです。見せたいものと、見せなきゃならないものっていうのがあるんです」と。それで、僕的にその言葉の意味をすり替えて、画商それぞれが持つべき美学とは、好き嫌いではなく、その画商個人が義務として見せなければならないものを見せることではないかと思ったんですね。

 ピカソの作品を取り扱っていた人で、カーンワイラーという画商がいるんですが、彼が「美術史というのは、美術館でもなくアーティストでもなく歴史家でもなく、画商がつくっている」ということを高らかに宣言したらしいんです。そんな話を、随分前にフジテレビギャラリーの山本社長から伺って、すごく感動したんですよ。そうである以上、大袈裟な言い方をすれば、画商の美学には歴史的責任がある。要は、見せていくということは、それがやらなきゃいかんことだから。使命感みたいなものですかね。逆に言えば、中途半端な美学を持ってやってはいけないという戒めでもある。画商だから商いにシフトするだけで流行りを拾ったりだとか、売れるからやるだとか、そういうことをしてはいけないと。そういった意味では、画商、美術商って、商人の中でも最も特殊なタイプだと思います。


長谷川ちか子「穴 - Punica Granatum」より
長谷川ちか子「穴 - Punica Granatum」より

作品と時間に対する意識

 そもそも、池内の家は古美術商の家だったので、時間に対する意識も、昔から強くあるんですね。例えば、つくった作品が売れても、それが購入先ですぐ壊れてしまってはダメなんです。父がそういったことをいつも言っていて、「自分たちは、昔から来たものを未来へお届けするのが仕事」と。僕の場合は、いまできあがったものを未来へ持っていくことですが、作品を次世代へ運ぶ時間と、作品をつくりあげる時間の両方を意識しているところもあるんです。ものづくりっていくつかの時間に分かれるじゃないですか。ものをつくるまでの時間、ものをつくっている時間、ものができあがってからの時間。まず、それがどれもいい加減というのは、耐えられない。

 最近の若手アーティストは、少しずつ変わってきて僕はすごくうれしいんだけど、それでも大抵は「いまの自分の気持ちを表現してみました」って言うじゃないですか。それも耐えられない。点の問題を簡単に作品にするって、さあどうよって気がしちゃうんですよ。要は、デュシャン以降、アートって哲学になったと思うんですね。アーティストがそれを主観的に無視するっていうことが、生理的に耐えられない。もっと真面目にやれよ、バカヤローみたいな。もちろん、装飾的な絵画であるとか、いまのいわゆるペインタリーな絵画っていうのは、そういうのが許されるのかもしれないですけど、少なくとも僕の中では、それは既にアートではない。

 温故知新という言葉がありますよね。結局、それが大切なことだと思うんですよ。例えば、デジタルがあるってことは、アナログの概念があったからこそデジタルの概念がある。じゃあアナログの前は何があったのかって、そういうことを意識する。僕らは先をつくらなきゃいけないんだけど、そのために常に後ろを意識していなければいけないと思うんですよ。いま自分の足元にこれがあるから、あるものだけで済ますというように、自分の後ろに存在するものを全く意識しないで制作を続けていても、作品の歴史的な厚みはほとんどないわけです。ところが、後ろの部分を意識したら作品の厚みは増し、その分いい作品になるに決まっていると僕は思います。


超情報化社会だからこそ、現場へ

 時間だけでなく世代というのも自分の中では重要になっていて、僕らの世代は生まれたときにはカラーテレビがあって、それ以前の世代と圧倒的なメディア環境の差異があるんですね。更に僕ら40代の人たちは、アナログからデジタルへの移行というのを、いちばん多感な時期に迎えた世代だと思うんです。僕が大学生のときにコンパクトディスクができて、仕事をはじめてすぐに携帯電話ができてきた。そういう様々なテクノロジーのパラダイムシフトが、同時進行であったんですね。いま、テクノロジーと人間の心は、絶対に切り離せないわけじゃないですか。そういう感覚からなにからすべて経験できた最初の世代なんですよ、おそらく僕らが。すごい断層の部分に僕らの世代は立っているといったこともあって、世代観っていうのを常に意識してしまうし、それぞれの時代のリアリティってなんなのかと考えてしまうわけです。

 もう使い古されていますが、IT社会と呼ばれる超情報化社会は、リアル感がどんどん失われていってしまう。かつてそれを問題視していた人たちも、それが当たり前になってしまったことで、疑問符を投げかけることさえやめてしまった。アート作品も展覧会も、インターネットで見た気になっているけど、いま一度そういった状況を検証しましょうと。かつての寺山修司の『書を捨てよ街へ出よ』じゃないですけど、キーボードから手を離して現場へ行こう。なかなかできないことですけどね。僕もほとんど事務所でキーボード打って、外に行くのは蕎麦屋くらいなものです。でも、キーボードから手を離して、オープニングパーティーに行きましょう。アートフェアへ行きましょう。そういうことが、やっぱり大事じゃないですかね。

池内務(いけうちつとむ) 池内務(いけうちつとむ)

1964年、東京生まれ。玉川大学演劇専攻卒。ラディウム―レントゲンヴェルケ代表。美術商を営む家庭に生まれ、株式会社池内美術の現代美術部門として1991年、レントゲン藝術研究所を大森(東京都大田区)にオープン。倉庫を改造した3階建の空間で、椹木野衣のデビュー・キュレーションとなる「アノーマリー」展を開催。この時期、村上隆や小沢剛、会田誠、飴屋法水といった作家たちの展覧会も手がける。1995年以降、青山、吉祥寺、六本木と拠点を移動し、現在は日本橋馬喰町のラディウムで「hyper technik」(超絶技巧)、「solid shock」(固体衝撃)、「clever beauty」(怜悧美学)をコンセプトにかかげ、毎月企画展を開催。また、2005年より故・小笠原年男氏より引き継いだ那須の「藝術倉庫」の運営を継承。2008年9月からは、福岡「グラニフギャラリー」のプロデュースとディレクションを行う。

 
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