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インタビュー
No.002
アートは一銭も生み出さないだろうと思ってた
語り手:美術家 会田誠さん
落書きのようなドローイングから精緻に描き込む大作まで、あるいは、あえて顰蹙を買おうとするようなビデオから、どことなく品を感じさせるコンセプチュアルなインスタレーションまで、美術家の会田誠さんは、たえず表現手段と作風を変え、アート界を驚かせてきました。今回はそんな会田さんにアートの世界に入った経緯や、表現のモチベーションについてお聞ききしました。
ジューサーミキサー 2001 キャンバス、アクリル絵具 290×210.5cm 撮影:木奥恵三 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

デビュー前後

 学生時代、美術は今後もやるだろうけど、たぶん一銭も生み出さないだろうと思ってました。やっぱり食うためには小説を当てて、印税で稼がなきゃと思ったりして。じつは僕にはクリエイティブなことは物語ることだという前提というか幻想があり、いつも何か小説の構想を練ったり、原稿用紙にカリカリしていたんですね。でも、その後『青春と変態』や『ミュータント花子』は日の目を見ましたが、あいにく、やれどもやれどもろくなものはできなくて。そんなわけもあり、美術は消去法で残ったんです。と思ったら海外も含め、だんだん美術業界の風向きが変わってきて、何かここでも自分のやりたいことができるかなと思えるようになってきた。僕が物語で表現したかったことがインスタレーションとかでできるかもしれないと。

 とはいえ、大学院修了後もしばらく、経済的なビジョンはまったくなかったですね。割り切ってバイトはやったけど、経済的なことについては思考停止。現代美術のコマーシャルギャラリーはなく、教員をやりながら描くことにも興味がなかった。レンタル代を払って銀座の貸し画廊で個展をやるのも、客は身内ばかりで作品は売れず、自己満足のためにやるようなサークルに入るのが嫌で……。そんなわけで「ただならどこでもいいや」と公民館みたいなところを借りて展示したりしてました。


NO FUTURE?

展示風景:「フォーチューンズ」レントゲン藝術研究所(東京) 1993  Courtesy Mizuma Art Gallery
展示風景:「フォーチューンズ」レントゲン藝術研究所(東京) 1993  Courtesy Mizuma Art Gallery

 あのころは「NO FUTURE」という態度がかっこよく思える時代だったし、同級生に2名ほどいたパンクの影響で「立身出世の作戦をちゃんと立てるような豚野郎は、今すぐ死んだほうがいい」とか(笑)、そういう言い回しが日常に溢れていたんです。バブルの名残りのお気楽さもあったんでしょう。むしろ糞作品をつくれば評価されるような雰囲気。だから僕も自然とそんな考え方。そういう意味では最近、大学で授業をやっていても学生の保守化を感じますね。とくに男子は覇気がない。講評会での声の小ささに「日本はもうダメだ……!」と思ってしまいました(笑)。

 一方、90年代前半は日本の美術界のある種の黎明期で、大森にレントゲン藝術研究所という不思議なところができます。コレクターは来ないし、作家からも家賃はとらない、商売っけのない場所でした。でも、ある種のプロデュースをしてくれて、僕はラッキーにもグループ展をやれた。ただ、それでも食えるとは全然考えてなかったんですが、その後、海外では現代美術作品も高額で売買されているという話が聞こえてくるし、村上隆さんや中村政人さんが「日本の美術業界の構造を変える!」と戦いはじめてくれちゃって──僕はああいう方たちに頭があがらないんですが──、そういうことなら食えることもあるのかもと少しずつ思い、実際食えるようになり、ラッキーなこともあるんだわい、という感じですけど……。

 パンクの2人は美術の世界から消えていって、それにはちょっと罪悪感がありましたね。「作品を売ったりしやがって」と軽蔑しているかもしれない。ただ、この僕がパンクというと柄ではないんですが(笑)、今でも自分の活動すべてをコレクターに売れるものにはしてないんですよ。といっても、絵がそんなにうまくないから、根を詰めて描くものは続けてやりたくないし、むしろコンセプトを重視しているということもあるんですが。


漫画づくりが原点

漫画「ミュータント花子」1997 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery
漫画『ミュータント花子』1997 (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery

 全国にたくさんいる少年のひとりだと思うんですが、僕はそもそも漫画冊子をつくるような少年だったんです。つくってすぐにクラスメイトに見せてその反応を待つ……みたいな快感が出発で。だから、欧米ではエンターテインメントとアートをかっちり分けますけど、そんな枠組み自体が腑に落ちないというか、僕のモチベーションに合致しない。美術家になってしまったのは、日本でエンターテインメントやサブカルの世界の人気者になってやっていけるほどの自信がなかったり、アートの方が貧乏だけど手っ取り早く発表できそうだ、というのが実際のところです。

 ただ野心を言えば、欧米のアートが絶対的に正しく、こっちは間違っているとは認めたくなくて、むしろ逆にこっちを認めさせて、あっちのアートという枠組みを、あわよくば俺様の力で、その定義を動かしたい、と。とはいえ、海外を主な目標にするのは僕に向かないし、村上さんと同じようなことをやってもしょうがないでしょう。だから海外に軸足は置かないことにしているし、海外の評価も今はあまり気にしていないんです。

 震災の影響? アーティストとしては……あまりないですね。生意気そうだけど、以前からこのくらいのことが起きることは覚悟していたと言いたい気持ちもあるんです。被災者を気の毒に思う気持ちとは別に、本心ではそういうところもありますね。それにアートの役割といっても、こういう一大事に何が一番役に立つかといえば科学だし、冷静に科学的に判断できる人にイニシアティブをとってもらい、芸術家も政治家も引っ込んだほうが、みんなのためと思ったりしますね。

 一方、エンターテインメントやアートという文化が必要かどうかと言えば、人間、パンだけでは生きていけないので、ただ時間と空間を埋めるものであっても、暇つぶしというか余計なものがどうしても必要だと思うんです。それはたぶん哲学や宗教もそう。そういう意味でエンターテインメントとアートのあいだに線引きはできないというのが僕の考え。「シリアスなものなら芸術や哲学や宗教で、ファニーなものならエンターテインメント」という、そんな単純な生き物ではないと思うんですよね、人間は。

灰色の山 2009-2011 キャンバス、アクリル絵具 300×700cm (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery
灰色の山 2009-2011 キャンバス、アクリル絵具 300×700cm (c) AIDA Makoto Courtesy Mizuma Art Gallery


インタビュー・文/西野基久

会田誠(あいだまこと)

会田誠(あいだまこと)
Courtesy Mizuma Art Gallery

1965年、新潟県生まれ。東京藝術大学美術学部絵画油画専攻卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科修了。1993年、レントゲン藝術研究所でのグループ展「フォーチューンズ」でデビュー。美少女から戦争、社会問題などをテーマに、絵画、写真、立体、パフォーマンス、インスタレーション、小説、漫画、ビデオといった表現で作品を制作し、国内外で活動を展開している。主な作品に《巨大フジ隊員VSキングギドラ》、《紐育空爆之図(にゅうようくくうばくのず)》(戦争画RETURNS)、《切腹女子高生》、《灰色の山》ほか。作品集に『孤独な惑星―会田誠作品集』(DANぼ)、『三十路―会田誠第二作品集』(ABC出版)、『会田誠 MONUMENT FOR NOTHING』(グラフィック社)、著書に『青春と変態』(ABC出版)、『ミュータント花子』(ABC出版)、『カリコリせんとや生まれけむ』(幻冬舎)など。2010年末、新宿歌舞伎町の一角に「芸術公民館」をオープン。
http://mizuma-art.co.jp/

 
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