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インタビュー
No.006
身一つで始めよう、声という表現が放つ自由
語り手:ホーメイ歌手/アーティスト 山川冬樹さん
電子聴診器を用いた心臓の鼓動のパフォーマンスや、骨伝導マイクを使った頭蓋骨のパフォーマンス、あるいはホーメイ歌手としても知られる山川冬樹さん。現代美術の領域においても、亡き父の声と記憶をテーマにした音と映像のインスタレーション《The Voice-over》や、自らが口にする「パ」という音節を100万円で販売した《「パ」日誌メント》などが、さまざまな反響を呼んでいます。今回のインタビューでは、その多彩な活動に至る経緯や、3.11以降に考えていることについてもお聞きしました。
「パ」日誌メント 撮影/土田祐介

表現する喜びと、まぐれを起こし続ける力

The Voice-over

The Voice-over

The Voice-over

 僕はおとなしい子供だったのですが、アナウンサーとしてテレビに出ていた父(山川千秋)の影響もあり、何かしら人前に出る仕事をやるんだろうなと早くから思っていました。父が集めていたピカソやシャガール、ミロなど近代美術のコレクションが家にあり、美術には馴染みがありましたね。

 ピアノ教室や音楽の授業は、決められた曲を先生の言う通りにやらなければいけないのがひどく苦痛だったのに対し、絵の教室や図画工作の授業は好きでした。白い画用紙に絵を描くという行為は、大きな自由を与えられると同時に、その白い世界に自分が創造主として、どんな線をどんな色を描くか決定する責任も伴う。いい絵を描こうと思えばなおさら瞬間、瞬間を大事に描くから完成したときの喜びも大きく、充実感があったんです。小学校4年生から中学1年生まではアメリカにいて、美術が得意だと英語や算数が得意な子と同じように評価してもらえましたし。

 高校時代はまだ職業を決められていませんでしたが、多摩美術大学のグラフィック学科を選びました。絵を描いて大学に入れるなんてこんなうまい話はないと思ったし、美大ならいろいろなことができる気がして。小さな頃から「一つに道を絞りたくない」という気持ちがあり、十代の頃からバンドをやっていたので「音」もやりたいなと思ってたんですね。当時の多摩美術大学のグラフィックには、ビデオアートや今で言うメディアアートのような授業もあったので、ここに行こうと。

 美大では、音や映像作品の制作と並行して、1枚のCDからホーメイに衝撃を受けて独学で研究も始めました。修士課程修了後は大学の助手をしていたのですが、仕事を終えてから学生たちも教職員も全員いなくなった夜の校舎で、本能を抑えきれない狼男のように夜な夜な唸り続けていたんですよね。そしたらそのうち上達してきて、2001年に日本で開かれた「第1回ホーメイフェスティバル」で優勝し、ロシア連邦トゥバ共和国で開かれるユネスコ主催のフェスにも招待されて、ホーメイ歌手としてライブ活動も始めました。まぐれです(笑)。でも、まぐれをコンスタントにどれだけ起こし続けられるかが勝負な気がします。僕が尊敬する人たちを見ていても、サッカーでここぞという時にゴールを決められるファンタジスタみたいな、魔法のような力を持っている。それに、自分からぼろっと出てきた魔法に自分で驚けるときが一番幸せなんですよね。


身体という「場」に触れる行為から始まる

ニューヨーク、The Kitchenでのパフォーマンス 撮影/Maki Kaoru
ニューヨーク、The Kitchenでのパフォーマンス 撮影/Maki Kaoru

 学生の頃、伊藤俊治さん、港千尋さん、椹木野衣さんに学んでいて、椹木さんの著書『日本・現代・美術』には大きな影響を受けました。そしてこの本でいう日本という「悪い場所」に立ち返ったとき、自分には何ができるのだろうとすごく考えるようになった。ただ、日本という単位ですら当時の僕には大きすぎて、自分自身で手をのばして触れられる範囲の場所として「身体」からスタートするしかないと思ったんです。「日本ゼロ年」展など、日本の美術をリセットしようという動きがあった時代、僕も自分自身をリセットして「身一つで始めなければ」と。

 心臓の鼓動のパフォーマンスは、大学を卒業して周囲にバンドをやるメンバーがいなくなったのがきっかけ(笑)。ドラム代わりに自分の心臓でリズムをとって歌えないかなと思い、電子聴診器を手に入れて心音を重低音で増幅しながら、その速度や強さ、さらには心臓を止めることもできるようになって。そこに光の明滅と同期する視覚的要素が入ってくると、音楽の分野を超えて舞台芸術の方へもシフトしていき、ダンサーとのコラボレーションやソロでダンスフェスティバルに呼ばれることも多くなってきました。

 現在も音楽、美術、舞台とさまざまな分野で活動していますが、そのトライアングルが面白い形で呼応しあえばいいなと思っています。表現の形が人との出会いで変わっていくこともあり、例えば、東京都現代美術館にコレクションされている映像・サウンド・インスタレーション《The Voice-over》は、もともと修士課程1年の頃に制作した2チャンネル音声の映像作品が原型です。多摩美術大学で助手をしていた頃、学生だった子が四谷アート・ステュディウムで社会人講座を受けていて、卒業制作として僕の個展をキュレーションしてくれたんです。そこで初めて公開することになり、その流れでprecogのプロデュースでBankARTでも発表しました。それを観たインディペンデント・キュレーターの東谷隆司さんが「釜山ビエンナーレ2008」に誘ってくれことを機に、まだシアターピース的要素があったところを、完全なインスタレーションピースとして再制作しました。そこから「ヨコハマ国際映像祭2009」への出展につながって、さらに東京都現代美術館への収蔵の話につながりました。この作品ではテレビで放送された映像と音声を素材として多数使っていたので、権利関係をすべてクリアするのはとても大変でしたが、不思議なことに作品を見た人がみんな、自分のことを語り出すんですよね。《The Voice-over》は僕の個人史を見せているようでいて、実は観る人の記憶を映し出す鏡のような性質をもった作品なんだと思います。


個人の声が空間を震わせ、距離を超えて他者に共鳴する

原子ギター 初号機Stratocaster-typeと、弐号機Stratocaster-type Left handed 撮影/曽我高明 (c)クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植 ライセンス
原子ギター 初号機Stratocaster-typeと、弐号機Stratocaster-type Left handed 撮影/曽我高明 (c)クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植 ライセンス

 僕の表現はいつも個人的な地点から始まるんですが、僕にとって「個人」とは社会を構成する根本的な単位であって、「個人的なこと」と「社会的なこと」は、対立的なことではないんです。3.11以降の原発の問題も、国家レベルの問題だけど、ストレスや怒り、健康への影響など、最終的に受け止めなければいけないのは個人の心や身体ですよね。芸術はその「最終地点」を「最初の地点」として生まれ変わらせる力を持っていると思います。

 夏に行われた「アトミックサイト」展では、非常勤講師を務めている東京藝術大学取手校地の土を放射線源に、放射能を感知すると自動的に弦が震動して音が鳴る《原子ギター》という作品を発表しました。放射能がきれいな音楽を奏でるんです。それはとても残酷な響きなんだけど、僕らが生きている現状の現われとして、放射能という毒を音楽という薬に変えて生きていく……そんな絶望的な希望というか、「ファルマコン」的な両義性が込められているんだと思います。歌を歌うときだって、僕らはもう人工放射能の混じった息吹で歌うしかないでしょう。それでもその歌には何らかの歌心が宿らなければならない。僕はあの原子炉の中に詰まっていたものが飛散して福島から届けられ、それが自分の体を巡っている内的な皮膚感覚というか一体感のようなものを強烈に感じています。そしてそれは震動になって僕を突き破って、外へ出て行こうとするんです。

原「パ」ツお悩み相談室 撮影/曽我高明 (c)クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植 ライセンス
原「パ」ツお悩み相談室 撮影/曽我高明 (c)クリエイティブ・コモンズ 表示 3.0 非移植 ライセンス

 ほかにも「アトミックサイト」展では、屋外に小屋を建てて『原「パ」ツお悩み相談室』というのをやりました。原発や放射能からくる悩みや不安を僕がただ聞くだけっていう。ミヒャエル・エンデの『モモ』みたいに。僕は原子力工学や放射線医学の専門家でもなければ、カウンセリングのスキルがあるわけでもない、そんな僕にいろんな人がいろんな悩みを打ち明けにくる。人々が抱えるそういう内なる声は、電子の文字としてネットでつぶやかれることはあっても、震動として空気を振るわせることはなかなかないんです。相談に来た人たちの内なる声が、その人自身を破って出てくる瞬間、それは最高にかけがえのない瞬間でした。その声帯の震動が、街や風や雨の音を伴奏に響く時間は忘れられません。とにかく震動なんです。地球がものすごく震動してるんだから、僕らも共振しないと。別に大声で叫ばなくていいから、何を言っていいかわからなければ、「あー」でも「うー」でも、そんなけものみたいなうなり声でいいから、声帯が震えようとするのを止めちゃいけない。

 最近、「発電部」という活動も始めました。電気は僕らにとって当たり前のようにインフラになっていますが、「インフラ」とは、国民福祉と国民経済の向上のための公共基盤のことを指しますよね。そうした国家規模の構造に対して、自分で使う電気を自分でつくるということを、身一つで始めることで、できるだけ一個の身体をもつ個人としてインディペンデントであろうという、そんな活動です。電力は国家規模の下部構造=「インフラ・ストラクチャー」に隠蔽されてきたわけですが、それを目に見える上部構造=「スープラ・ストラクチャー」へと、等身大のサイズで引き上げたい。ちょっと不便かもしれないけど、その不便な体感を楽しめればいいじゃないですか。最終的には「自分たちの、自分たちによる、自分たちのための電気」で「自分たちの、自分たちによる、自分たちのための文化」を発信できたらと思っています。なかなか技術的にもハードルは高いんですが、できるところから、ゆっくり、でも、しぶとくやっていくことが大切かなと。

 アートは採算が合わなくたっていいって僕は思っています。マーケットを目指すばかりがアートじゃない。アートは何かすごく有効な手段になり得ると思うんです。特に今、そう思います。アートを口実にして、ふつうでは誰もやろうと思わないことや、アートでしかあり得ないようなことが、どんどん起こって行けばいい。そうやって僕らの生きる世界が震動し続けること……それがすごく大切だと思うんです。僕は。


インタビュー・文/白坂ゆり

山川冬樹(やまかわふゆき)

山川冬樹(やまかわふゆき)
撮影/土田祐介

ホーメイ歌手/アーティスト。1973 年ロンドン生まれ、横浜市在住。1999年、多摩美術大学大学院美術研究科修士課程修了。主な個展に「The voice-over」展(2006年、Gallery Objective Correlative)、「ALIVE ART MATSURI vol.2 山川冬樹 the Voice-Over」(2006年、BankART Studio NYK)。主なグループ展に「釜山ビエンナーレ」(2008年)、「ヨコハマ国際映像祭 CREAM」(2009年)、「MOTコレクション Plastic Memories」(2010年、東京都現代美術館)「アトミックサイト」展(イルコモンズ監修。2011年、現代美術製作所)。パフォーマンスでは「ヴェネツィア・ビエンナーレ」ダンス部門より2007年から2年連続で招聘。ソロ公演『黒髪譚歌』(2010年、VACANT)、『PNEUMONIA』(2010年、あいちトリエンナーレ、愛知芸術文化センター) 、演劇『4.48サイコシス』(2009年、飴屋法水演出、あうるスポット)、演劇『金閣寺』(2011年、宮本亜門演出、神奈川芸術劇場)への出演など多彩に活動。2011年1月1日午前0時0分より、"聴くことのできない1年間のヴォイス・「パ」フォーマンス"、『「パ」日誌メント』を開演中。
http://fuyuki.org/
http://pa-nisshi.net/

 
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