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トーキョー・アートスポット
「歌」を手がかりに映像の振れ幅を見せたい 1/2
語り手:恵比寿映像祭ディレクター 岡村恵子さん

2010年2月19日(金)〜28日(日)の10日間限定で開催される「恵比寿映像祭」。東京都写真美術館、恵比寿ガーデンプレイスセンター広場を舞台に、展示、上映、ライヴ・イヴェント、トーク・セッションなどが繰り広げられます。第2回となる今回は、「歌(うた)」をテーマに、さまざまな映像表現について、考え、問い直す場となることを目指します。ここでは、立ち上げから本企画に携わっている、東京都写真美術館学芸員であり恵比寿映像祭ディレクターの岡村恵子さんに、開催の経緯や目的、見どころをお聞きしました。

―――どのような経緯で、恵比寿映像祭がスタートしたのですか。

 もともと同じ財団の東京都現代美術館に勤めておりまして、2007年の4月に異動というかたちで東京都写真美術館に着任しました。そこで「今日から映像担当です」と言われまして。現代美術としては、映像ももちろん研究の範疇としていたのですが、写真美術館の持つ文脈で、改めて映像担当という自分の役割を考えたとき、「映像って何?」と、いきなりつまずいてしまったのです。映画やテレビ、動画だけが映像なのか。イメージということで言えば、写真も含まれるのではないかとか。第1回の恵比寿映像祭では、その曖昧さを逆手に取って、映像という言葉から想起されるものをさまざまに取り込めるように、全体を設計しました。映像なるものを限定的に捉えるのではなく、もっと自由で風通しのいい状態からはじめたいと思ったんですね。今回も、恵比寿映像祭は、映像を考えるオープンなプラットホームとして機能させたいと思っています。

 第1回では、映像と一口に言ってもいろんなものがある、ということを、具体的な作品で伝えようというとき、まず客観的にその振れ幅を提示しました。映像には、ドキュメンタリーも映画もアニメーションも実験映画もあるし、古いものもあれば新しいものもある。長いものも短いのもありますよ、という具合にです。山形国際ドキュメンタリー映画祭で大賞をとった中国の作家、王兵さんの作品《鉄西区》は、9時間ないと成立しないものでした。一方、ブルース・コナーの《10秒映画》は、10秒というその長さに必然性がある。そういった既成の枠に当てはまらない、必然性が形になった作品を、一堂に集めることができたと思っています。ところが、残念なことに上映プログラムを、全部見ることができる人は限られてしまって。全体をひとつの流れとして見て、その振れ幅を体感していただくのは、やはり難しかったかもしれません。もちろん好きな作品をひとつ見てくださるだけでもいいと思ってはいたのですが。

展示作品 ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《The Muriel Lake Incident(ミュリエル湖事件)》 1999年 Photo: Bernd Bodtlander

人で賑わうエントランスホールの様子

前年度「第1回 恵比寿映像祭」(2009年)より
左:展示作品 ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー《The Muriel Lake Incident(ミュリエル湖事件)》 1999年 Photo: Bernd Bodtlander
右:人で賑わうエントランスホールの様子

―――第2回のテーマは「歌をさがして」ですが、なぜ「歌」なのでしょうか。

 映像には実体がなく、像を映し出し、それを見る人がいなければ成立しません。つまり、映像は体験するもので、そこには(音がないという状態も含めて)音や音楽的要素が伴います。そういった側面から、「音」や「歌」というキーワードで、映像をなぞらえることもできるのではないかなと発想しました。特に「歌」って頭だけで決められるものではないと言うか、例えば「僕は現代音楽しか聴きません」と言っている人がふとした瞬間、鼻歌で松田聖子を歌っちゃうというように、体に染みついているものだと思うんです。そういったものは、誰しも必ず何かしら持っていて、むしろ情報化しえないところにあるそういう個別のものが、その「人」を構成するものであり、また「歌」とも言い換えられるものではないかなと。そんな連想から、第2回は「歌をさがして」をテーマに設定し、映像を考えることにしました。

 あとは、前回は、なるべく客観的に全体を俯瞰して作品を見せるということを心掛けていたのですが、個別の作品を見せるとき、誰がそれを価値あるものと決めていくのか。あたかも普遍的な価値があるように作品が受容されていいんだろうか。そんな疑問が湧いて、少し違うのではないかと思えてしまって。やはり文化が違えば、その映像をどう価値づけるかも変わるでしょうし、同じ文化に属していても、立場や見方が違えば異なります。それなのに、アートが自明のことであるかのようにイヴェント化していくことに、どこかで矛盾を感じていたんですね。ですから、外的な基準だけで規定するのではなくて、そこに介在する「人」を感じさせたい。それぞれが持つ「歌」をさがしてみたいという思いもありました。

―――全体の構成、ディレクションについて教えてください。

 今年も10日間、東京都写真美術館の3階から地下1階、全フロアを使って、上映、展示、ライヴ・イヴェント、レクチャーなどを行います。テーマは「歌」ですが、参加作品、議論の俎上にのるべき作品というのは、前回と変わりないつもりです。テーマは、作品を縛ったり限定するためのものではなくて、その魅力を引き出しながら、隣り合う作品同士の意味が見つけられるようにするもの。ですから、私が最初に言っていた「歌」の意味合いとはやや違う角度からも作品が持ち込まれ、連想が自由に広がることも許容するように心がけています。とはいえ、文脈づけが必要ではあるので、ディレクターが主体となって決めていく割合が多くはなってしまいますね。世の中ではキュレーター主義が権威になり、形骸化してしまうという議論もありますが、その責任をきちんと引き受けて、全うする覚悟も必要ではないかと思っています。

 しかしそれは、完全にひとりで決めるということではありません。特に上映については、複数の外部プログラマーの方に加わってもらっています。美術だったらキュレーターがいますが、映像作品に対して文脈づけをしたり、後押しする方、実際に見る機会をつくる方など、映像受容を中間で支えるような担い手になかなか光が当たらないのが現状です。新しいもの古いもの、あるパッケージ、ある企画として映像作品を提示する力が必要で、そうでないと新しい作品ばかりが求められてしまう。一度発表された作品は、再度意味を与えられなければ、見る機会がなくなってしまいますよね。そういう意味もあり、今後活躍してほしいプログラマーや、日頃から自主的な活動を行っている団体の方に立っていただいて、誰が、なぜ、それを見せたいのかということも一緒に提示することを大切にしています。

 やはり、映像作品に対して、新たな基準を明解につくることは難しいと思うんですね。どうしてこの映像を見せられているのかわからないとか、逆に「これはいいものだ」と言われて、鵜呑みにさせられても納得いかないということも多々あると思います。基準が曖昧だからこそ、ここでなぜ、どういう意味があるのか。見せる側の理由が明示されていれば、「なるほど、言われてみれば面白い」「私はこう思わない」と自分の考えを持てますよね。世の中にある映像を全て把握できる人間はいないと思うので、どこかを切り取って見るときに、どういう切り口かというところからアプローチできた方が親切かなと。

東京都写真美術館内の展示風景

第1回 恵比寿映像祭 ライヴ・パフォーマンスより 拡張映画とソニック・パフォーマンス

前年度「第1回 恵比寿映像祭」(2009年)の様子
左:東京都写真美術館内の展示風景
右:第1回 恵比寿映像祭 ライヴ・パフォーマンスより 拡張映画とソニック・パフォーマンス
by ディレク・デ・ビュルイン+J・スターン、T・オリーヴ、A・グエラ

次ページも、岡村さんのインタビューが続きます。

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岡村恵子(おかむらけいこ) 写真

岡村恵子
(おかむらけいこ)

恵比寿映像祭ディレクター/東京都写真美術館学芸員。東京都現代美術館学芸員を経て2007年より現職。「MOTアニュアル2000 低温火傷」(2000)、「転換期の作法 ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーの現代美術」(2005‐06)、「イマジネーション 視覚と知覚を超える旅」(2008-09)、「躍動するイメージ。石田尚志とアブストラクト・アニメーションの源流」(2009-10)を企画。プレ・イヴェントとして手がけた「映像をめぐる7夜」(2008)をふまえ、恵比寿映像祭を立ち上げる。
http://www.yebizo.com/

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