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東京ステージ
No.012
選手の汗や表情、復興や平和を世界に印象づけた記録映画
『東京オリンピック』部分監督 写真家 細江英公さん
2020年に開催が決まった東京オリンピック。1964年の第18回夏季オリンピック東京大会では、市川崑監督が総監督を務めた公式記録映画『東京オリンピック』が製作されました。競技記録に留まらない異色のドキュメンタリー映画として、同年のカンヌ国際映画祭では国際批評家賞を受賞しています。その部分監督を務めた写真家の細江英公さんに当時の撮影について、また、葛飾で育った幼年から青春時代についてもお聞きしました。
『東京オリンピック』 1965年公開・2004年販売 総監修/市川崑 プロデューサー/田口助太郎 脚本/市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎 ディレクターズカット版(近代五種は未収録)、劇場公開オリジナル版の2枚組 東宝

 市川崑監督から「写真家の感覚で」と依頼された柔道と近代五種

――2013年の暮れに早稲田松竹で映画『東京オリンピック』を鑑賞しました。細江さんが部分監督として柔道と近代五種(馬術、フェンシング、射撃、水泳、クロスカントリーの団体と個人を5日間で実施)を撮影したいきさつを教えてください。

市川監督から、オリンピックには多数の競技があるから、部分監督として担当競技を撮影してほしいという電話があったんです。僕が1960年に撮った短編映画『へそと原爆』もご覧になり、「写真家の眼で面白いものを撮ってください」とおだてられてね(笑)。詩人の谷川俊太郎さん(共同脚本にも参加)、写真家の長野重一さん、小説家の安岡章太郎さんなど映画を専門としない人も部分監督として呼ばれたんです。

――撮影はどのように行われたのですか?

日本映画を代表する映画カメラマンの宮川一夫さんや記録映画カメラマンなど総動員でね。僕の下にはニュース映画社のカメラマンたちが数名付き、僕は競技スケジュールに合わせてカメラポジションを決め、どういうアングルで撮るかを指示しました。旧赤坂離宮(現・迎賓館)に東京オリンピック組織委員会があってその中に映画協会の製作部があり、機材や配置などを事前申請し、撮ってきたフィルムは市川監督がまとめます。

――演出のできないスポーツを効果的に撮る方策を考えましたか?

柔道では、「君は全体を」「君は寄りで」「君は汗が落ちるところを狙って」などと分担を指示して。実際に鼻の頭からぽろっと汗が落ちるところが撮れて、市川監督にもほめられました。足さばきは、ダンスみたいに足下だけクローズアップしたり。近代五種は選手人数が多いので、アジアで初めてオリンピックに参加する韓国の選手に絞って撮りました(映画ではクロスカントリーの動画以外は静止画)。スポーツは未知の世界でしたが、通常の記録映画とは違う面白さが出せたんじゃないかな。

――最も印象に残った出来事はなんですか? 

柔道の無差別級決勝で、オランダのヘーシンクが勝ったときに、オランダの関係者が土足で畳に駆け上がろうとしたのを彼がさっと静止したのが美しかった。ヘーシンクは講道館で技術だけでなく、精神までも学んだんでしょう。対戦した神永昭夫に敬意を見せ、お互いを讃え合うようなさわやかな試合後までを撮りました。重量級の猪熊功ほか、中量級と軽量級でも金メダルを取りましたけど、当時の日本では、無差別級のみでもお家芸の柔道で負けたという悔しさと柔道がこれほど国際的になったのかという感激とが渦巻いていましたね。

――映画をご覧になっていかがでしたか?

素晴らしかったですよ。ただ、実際に公開された映画は、河野一郎オリンピック担当大臣から「競技の記録を増やして」と言われて急いで編集し直したものだから、使われなかったフィルムもたくさんあります。今の人が新たな眼で編集し直せばもう1、2本つくれるんじゃないかな。

――103台のカメラで40万フィートのフィルムが撮られたといわれていますね。鉄球でビルが壊されるオープニングなど破壊と再生が描かれ、瓦屋根の街並みや応援する人々の服装も時代を感じさせます。

急いで造成されたマラソンの沿道などだけでは判断できないですが、それまで世界に出回っていたのは戦争で焼け野原になった日本ですから、復興し、これから繁栄するという勢いを世界に印象づけたと思いますね。

左/柔道 無差別級決勝   神永昭夫 対 アントン•ヘーシンク 右/近代五種より馬術 ※2点ともDVD『東京オリンピック』劇場版より (c)JOC

左/柔道 無差別級決勝   神永昭夫 対 アントン•ヘーシンク 右/近代五種より馬術 ※2点ともDVD『東京オリンピック』劇場版より (c)JOC

左/柔道 無差別級決勝  神永昭夫 対 アントン•ヘーシンク 右/近代五種より馬術 ※2点ともDVD『東京オリンピック』劇場版より (c)JOC

 葛飾で過ごした戦前〜戦後。カメラがつないだ下町とアメリカ文化

――映画『東京オリンピック』の仕事で新宿区若葉町に移るまで、長らく葛飾にお住まいだったんですね。

母の里の米沢で生まれ、生後3ヶ月で父の待つ浅草に戻り、小学1年生のとき、父が葛飾区の四つ木白髭神社の管理を依頼されて転居しました。父は正式な神主ではないけれど祝詞もあげていて、出征兵士の見送りでは先導役。「万歳、万歳」と送り出して遺骨になって帰ってくるのは悲しいものでしたよ。航空母艦に搭載したB25爆撃機16機が日本本土に初めて空襲を行った1942年4月18日、戦闘機が低空で飛んで行くのを見ました。飛行機に向かって木刀を振り回そうとして、大人たちにお宮の防空壕に押し込められたのを覚えています。葛飾区にある水元国民学校(現・水元小学校)では、高等科1年生の1人が機銃掃射の犠牲になりました。

――細江さんがカメラを始めたのは戦後、高校生の頃ですね。

コミュニティの中心だった神社が、戦後、神道は戦争に協力した宗教だといわれて経営難に陥り、父は社務所に暗室をつくって撮影とDPEを始めたんです。僕は引き伸ばしを手伝いました。練馬区成増のグラントハイツという米軍宿舎で、友達の兄がガードマンをしていたので、父のカメラを手に英語の勉強を兼ねて遊びに行くようになって。コーヒーを初めて飲むなど面白い体験をしているうちに、アメリカ文化が異質じゃなくなったんですね。そのとき撮った《ポーディちゃん》が富士フォトコンテスト学生の部で一等賞を受賞して、それが写真家になる運のツキです(笑)。

――カメラが間にあったから親しくなれたのでしょうか?

それまでは人見知りでしたが、カメラが人に近づけてくれるので、知らない人に声をかけることが怖くなくなっちゃった。銀座で浮浪の母子を撮らせてもらったり、プレスと偽ってジャズバーに乗り込んだりもしましたね。

《四つ木白髭神社の境内にて、おばさんの紙芝居》1954年
《四つ木白髭神社の境内にて、おばさんの紙芝居》1954年

《ポーディちゃん》1950年
《ポーディちゃん》1950年

――三島由紀夫を撮った《薔薇刑》、土方巽を撮った《鎌鼬》、《おとこと女》、《抱擁》など実験的な作品の多い細江さんですが、これから手がけたいことはありますか?

やりかけたことを完成させたいですね。例えば、アスベスト館の舞踏家たちの身体に浮世絵の映像を投影して撮影した《浮世絵うつし》の写真集をつくり、展覧会も行いたい。春画を嫁に行く娘に持たせる200年前の日本人はなんて麗しく、粋であるか。現代の日本では、西洋の宗教的な倫理観が浸透していて罪悪感があるから、裸の肉体や性をわいせつだと思っちゃう。もっと健康的にあっけらかんと明るく捉えていいと思いますね。

2月8日〜16日、故郷にちなみ、かつしかシンフォニーヒルズ本館ギャラリーにて「細江英公人間写真展」が開催された。
2月8日〜16日、故郷にちなみ、かつしかシンフォニーヒルズ本館ギャラリーにて「細江英公人間写真展」が開催された。

《浮世絵うつし#2-27》2003年
《浮世絵うつし#2-27》2003年

取材/文 白坂ゆり

細江英公(ほそえ・えいこう)

写真家、清里フォトアートミュージアム館長、東京工芸大学名誉教授。1933年、山形県米沢市生まれ。52年、東京写真短期大学(現・東京工芸大学)写真技術科入学。69年、《鎌鼬》で芸術選奨文部大臣賞、2010年にはニューヨークのナショナル・アーツクラブ(米)より日本人として初めて第18回写真部門生涯業績金賞を受賞するなど受賞多数。主な代表作に《おとこと女》《薔薇刑》《抱擁》《ガウディの宇宙》《ルナ・ロッサ》《浮世絵うつし》《死の灰》などがある。

細江英公(ほそえ・えいこう)

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