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東京ステージ
No.001
荷風と、地形と、対話しながら歩く 『日和下駄とスニーカー 東京今昔凸凹散歩』
作家 大竹昭子さん
フィクションとドキュメンタリーの狭間から、東京の街を再発見する連載「東京ステージ」。東京を舞台とした作品を毎月紹介していきます。今月取り上げるのは、作家・大竹昭子さんによる『日和下駄とスニーカー』。永井荷風の東京散策随筆『日和下駄』を片手に現代の東京を歩き、エッセイとモノクロ写真、手書きの地図で構成された、時空を旅する1冊です。東京の地形に着目した街歩きから、都市の表層に隠れた「坂と谷と丘の街」が浮かび上がります。
『日和下駄とスニーカー 東京今昔凸凹散歩』(洋泉社)毎日新聞「日曜くらぶ」2011年4月から1年にわたる連載をもとに2012年7月単行本化。

 荷風が歩いた道を、現代に生きる私が歩いてどう感じるか

――この本を執筆したきっかけを教えてください。

カメラ片手に街を歩くおもしろさに目覚めたのは、1979年から81年までニューヨークに暮らしたときです。帰国して四谷に住み、生活しながら東京の地勢を知ろうと意気込みました。東京生まれなのに、それまではほとんど知らなかったですから。永井荷風の本と出会ったのもそのころです。彼には深川などの下町のイメージが強いですけど、四谷からほど近い余丁町(曙橋駅地域)に実家があって、そこに住んでいたときに『日和下駄』が書かれたのを知って、より親近感が湧きました。そこから『日和下駄』の「坂」「崖」「谷」などの項目に沿って起伏のある東京風景を歩くというアイデアが生まれ、毎日新聞での連載を機に一冊に編み上げることができました。

――荷風の著作を歴史的事実と照らし合わせて書かれた本はよく見かけますが、大竹さんは、荷風が書いた街を、測量図を片手に実際に歩いて地図化し、写真も撮る、ご自分の体験を通して綴られていますね。

荷風が歩いた道を、別の時代に生きる私が歩いて何を感じるか。そのことに興味があったし、またその過程を通して感じたことをどう物語るかを、この本では試みたように思います。アメリカやフランスへの留学経験を持つ荷風は、西洋の都市の風景や骨格を頭に描きながら、大正初頭の東京を歩いています。近代化による街の変貌に憤慨し、例えば上智大学のレンガの建物にも怒っているんですけど、人はいつも現実を受け入れかね、時代に不満を抱えるものですよね。そうした心の動きは思わず苦笑してしまうほどで、シンパシーを覚えずにいられません。

――大竹さんは荷風と少し違い、「不動の価値を生きているわけではないのだから」と変化を受け止めているようにも感じます。

それは都市に生きる者の宿命のようなものですね。人間のスケールを逸脱して加速する現代から見れば、荷風の時代はやはりのどかなものです。この連載の最初に、なにか象徴的な風景を撮ろうと思って六本木ヒルズの展望台に行ったら、男性が疲れたのか、降参したようにガラスに手をかけて立っていたんです。その光景に都市と人間の関係の奥底にある哀しみのようなものを感じました。

私は東京生まれの「街っ子」なので、記憶のなかに美しい故郷を持っているわけではなく、たえず変化する風景ばかりを見てきたわけです。もちろん、親しんでいた建物がなくなると寂しいですけど、そのビルが解体されて整地され、見えなかった後ろ側の風景がぱかっと見えたりすると、思わず声をあげることがあります。すぐに新しいビルが建つから、数日だけの幻のような光景ですけど、まるで開腹手術を施したような驚くべき瞬間です。

六本木ヒルズより東京俯瞰
六本木ヒルズより東京俯瞰

台地の閑地(北区田端)
台地の閑地(北区田端)

 東京を歩きながら、今は「尾根道」にいるのか「谷道」にいるのかと考える

――大通りを歩いていると東京は平坦な土地に思えますが、一歩横道に入ると確かに坂が多いですね。この本では、その起伏を山の「尾根道」「谷道」と捉える見方を教えてくれています。例えば「新宿通りを歩いていると、光がよくまわるためなのか、空との距離が近く明るく感じられ、空気も暖かく風が少ない。反対に靖国通りは路面に落ちる影が濃く、空気も冷たい。ふたつの道路はほぼ平行しており、距離は五百メートルほどしか離れていないが、一方は尾根道、一方は谷道で、その印象に明確なちがいがある」と書かれています。


都市といっても、地表に乗っている建物やインフラをバリカンで刈るように除くと、もとの地形が残っているんです。そうやって起伏をたどるうちに、地勢に規則性があることがわかってきました。主要道はたいがい尾根か谷のどちらかにつくられていますし、谷にはかならず出口があり、低いほうへとたどっていけば東京湾に出ます。完全に閉じている谷というのは自然ではあり得ないわけです。その谷と尾根を結んでいるのが坂ですが、坂がないところではそれが「崖」になります。上野から王子まで上野台地のへりを歩いて、「ガケベリ散歩」というコースもつくってみました。

――渋谷川流域や高輪の路地などさまざまな場所が登場しますが、特に印象に残った場所はありますか?

四谷の荒木町にある策の池の窪地でしょうか。全方位がスリバチ状の谷のように閉じているのがずっと不思議だったんですけど、あるときその谷をせき止めた、今は道になっている堤跡を見つけたんです。大名屋敷の庭に池をつくるために人工的に塞いだんですね。そういうのを発見したときはとても興奮します。

その荒木町は荷風とも縁が深く、芸鼓の八重次を住まわせていたことがあるんです。とても知性のある女性で、荷風はやがて彼女と結婚するんですが、長くはもちませんでした。『日和下駄』を書いた1年間には、それ以前に結婚した女性との離婚、父の死、八重次との再婚、それを非難した家族との絶縁、八重次の出奔など、さまざまなドラマが凝縮されており、本の最後ではそうしたことにも触れました。それで、それにふさわしい写真を撮ろうとある日余丁町を歩いていたら、古い石段にボールが落ちているのに気を引かれ、カメラを構えたとたんに女性がそこを下りてきた、というのが本の最後に載せた写真です。写真を撮っていると偶然に助けられます。

荒木町の石畳(新宿区荒木町)
荒木町の石畳(新宿区荒木町)

荷風の旧居近辺(新宿区余丁町)
荷風の旧居近辺(新宿区余丁町)

 都市の古層に想像を馳せる。写真はフィクショナルな気分を助長する

――文章だけでなく、写真と地図もご自分で手がけていますね。どんな点に苦労されましたか?

まず文章を書くのに取材に行き、写真を撮ります。帰宅したら地形図でルートを確かめながら、ノートに地図を手描きします。メモを入れたりしてね。そうやって歩いたルートを手に覚えさせるんですけど、イラスト地図はそれをもとに描きました。地図で大切なのは何を描くかよりも、何を省略するかなんです。それは文章が仕上がってからでないとできないので、地図の制作はいちばん最後になりました。

――写真を撮ることはどうでしょう?

私は街を歩いているうちにフィクショナルな気分に入っていくことが多いんですが、写真はそれを助長してくれます。撮ることによって、気持ちがもう一歩向こう側へ進んで、何か物語の中を歩いているような気持ちになるんです。荷風にもそういうところがありますよ。彼も写真を撮りますしね。勝手に似た者同士だと思っています(笑)。ズームなしのコンパクトカメラを使うのですが、広角レンズで手前が広く写ってしまうのでいろいろ工夫します。川を埋め立てた道では白線を生かしたり、坂の傾斜を表現するのに人間を入れてみたり。対象と出会ったときの実感を反映させるようにしたほうが、あれこれ説明的な要素を入れこむよりもうまくいきます。

――東京散歩にほかの都市と比べてどんな魅力を感じますか。

表面を引きはがしていくと、その下に過去の時間があたかもパイ菓子のように積み重なっているのがわかります。東京の魅力はそれですね。表に見えないから、探っていくおもしろさがあるんです。この本で都心はだいぶ歩きましたが、馬込や大森、滝野川などはまだまだ未知の領域です。起伏があって楽しそうだし、発見するものは無限にありますよ。散歩では足を動かすことで目の前の風景がめくるめくように変化します。それに連れて意識が刺激され、記憶がよみがえってきたりしますね。考え込むと頭が下がってくるから、視線をあげて周囲をよく見ようと努めると、心にひっかかっていたものが消えて、知らない間に気分が壮快になっています。その意味で、散歩は精神や意識の柔軟運動ですね。帰ってきたときにはまったく別人になっているはずです。

もとは川が流れていた谷道(新宿区若葉)
もとは川が流れていた谷道(新宿区若葉)

鷺坂(文京区小石川)
鷺坂(文京区小石川)

インタビュー・文/白坂ゆり

大竹昭子(おおたけ・あきこ)

作家。1950年、東京生まれ。79年〜81年、ニューヨークに滞在、文筆活動を始める。エッセイ、小説、ノンフィクション、批評、写真とジャンルを超えて執筆、写真も撮る。写真関係の著書・編書に『彼らが写真を手にした切実さを』(平凡社)、『ニューヨーク1980』(赤々舎)、小説に『図鑑少年』(中公文庫)、『随時見学可』(みすず書房)、『ソキョートーキョー』(ポプラ社)、東京散策記に『東京山の手ハイカラ散歩』(平凡社)などがある。トークと朗読のイベント「カタリココ」を主催。2013年はゲストに会田誠(6/1)、しりあがり寿(7/5)らを迎える。
http://katarikoko.blog40.fc2.com/

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