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東京ステージ
No.009
地図から読み解く、地形と関わる人間の営み
『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』 ライター 竹内正浩さん
街を歩き、新旧の地図を眺めて、江戸・東京400年の歴史が潜む遺構や改変された地形の謎を解き明かす。2013年夏に発刊された『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』は、『地図と愉しむ東京歴史散歩』『地図と愉しむ東京歴史散歩 都心の謎』に続く、歴史や街歩きが好きな読者に定評のある人気シリーズの最新刊です。著者の竹内正浩さんに、めまぐるしく変わる東京で、地図を読み解き、土地の記憶を引き出す醍醐味についてお聞きしました。
『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』(中公新書)

 街を歩いて不思議に思うことを新旧の地図から解明する

――『東京歴史散歩』シリーズを書き始めた経緯を教えてください。

旅が好きで、40歳目前でフリーライターになる前は、JTBに勤務していたんです。ツアー添乗員も務めましたし、月刊誌『旅』の編集部にも配属になり、国内外さまざまな場所へ足を運びました。子どもの頃から地図帳を眺めるのが好きで、数年前、明治期から戦前までの地図帳のほぼすべてを古書店やネットオークションでかき集めたほど。
 街を歩くと、なぜこの道はこんなにきれいに弧を描いているんだろうとか、家が妙に規則正しく建てられているなどと、一見何の変哲もないところに「謎」を感じます。それで、新旧の地図を比較してみると、関東大震災などの自然災害や戦災、戦後の都市開発など、現在の形に至るまでに紆余曲折があったことが見えてくるんです。私たちは都心の施設や景観があたかも最初からそうであったかのように受け入れていますが、地図から来歴を探ると、東京の変遷が見えてくるんですね。そうした自分なりの「謎解き」を紹介しています。

――古地図や古写真、竹内さんが撮影された写真、地形図作成のために撮影される空中写真などデータが豊富ですね。

地図から推察したことを、国会図書館などで調べて裏付けしています。戦前の軍事施設や皇居の施設のことなどメディアが自主規制しがちなことも、すべて公開資料を使い、一般の見学会などにも足を運んでいますから、タブーではないのでそのまま紹介しています。

 高台の屋敷と崖下の町家。その隔たりの原因は「水」にある

――最新刊の『地形篇』でも、現地を何度も歩き、調べる綿密さと独自の視点を感じます。

80年代の江戸・東京ブームは下町ブームと重なり、日本橋及び江戸城から東側が注目されました。現在の、地形ブームを含む東京再発見で脚光を浴びているのは、坂の多い、つまり台地の中に深い谷がいくつも入り込んだ山の手エリアで、むしろ谷側についてよく語られています。そこで私は、麻布や高輪、本郷や目白などの高台に存在した華族や富豪の邸宅の変遷を切り口に、山側についてもたくさん書きました。土地の高低を表す等高線なども記した地形図というフィルターを通してみると、山の上と下の単純な貧富論ではなく、居をどこに構えるか、必然的な理由にたどり着くんです。

――水はけに注目されていますね。

東京は戦前、河川の氾濫や低地への洪水、崖崩れなどの水害に悩まされていました。江戸時代の有力大名は、造園や水利の都合上、崖下の湧水池などに屋敷を構えることが少なくなかったのですが、明治30年代に近代水道が開通してからは、災害を避けるために富裕層は高台に居を構え、手が届かない庶民は崖下に住まざるを得なかったといえます。関東大震災では、低地が震度7で被害が大きかったのですが、高台は震度5弱と、震度にも差がありました。

――そのような階級社会の名残がある街はどこでしょうか?

やはり麻布ですね。高台は大名がおさえ、明治時代に入ると皇族や華族、軍部がおさえてと、現在につながる流れがわかります。元勲・井上馨(いのうえかおる)邸や三菱財閥総帥・岩崎小弥太邸などを経た国際文化会館ほか、お屋敷から派生した学校や公園、マンションなどが存在し、崖下に商店街があります。
 六本木ヒルズがもとは大部分が谷や窪地で、都市開発で造成された丘であることはよく語られていますが、建設以前の国土地理院の1万分の1地図を見ると、いかに小さな家がびっしりと建っていたかがわかります。開発に着手してから完成までに17年かかったのは、数百人にのぼる地権者をとりまとめなければならなかったからなんですね。
 江戸時代に遡れば、南半分は藪下と呼ばれ、地下水や湧水が豊かなため、金魚の養殖が盛んで、釣り堀も営んでいた原安太郎商店の通称「原金池」がありました。北側には、長府藩毛利家上屋敷の大きな池がありました。戦後、ニッカウヰスキー東京工場が建てられ、通称「ニッカ池」と呼ばれたこの池は、現在の毛利庭園(人工池)の池下に埋設保存されています。

六本木・麻布の比較。左は現在(1/1万「新宿」平成10年修正、1/1万「渋谷」平成11年修正)、右は大正期(1/1万「四谷」大正5年第1回修正測図、1/1万「三田」大正5年修正測図)『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』より部分

六本木・麻布の比較。左は現在(1/1万「新宿」平成10年修正、1/1万「渋谷」平成11年修正)、右は大正期(1/1万「四谷」大正5年第1回修正測図、1/1万「三田」大正5年修正測図)『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』より部分

六本木・麻布の比較。左は現在(1/1万「新宿」平成10年修正、1/1万「渋谷」平成11年修正)、右は大正期(1/1万「四谷」大正5年第1回修正測図、1/1万「三田」大正5年修正測図)『地図と愉しむ東京歴史散歩 地形篇』より部分

――東京の河川は東側に多いですが、治水にも目を向けていますね。

荒川の下流は「荒川放水路」と呼ばれた1930(昭和5)年に完成した人工河川で、1910(明治43)年の大洪水がきっかけで開削(かいさく)されたものです。今、川を見て思い出す人はほとんどいないでしょうが、前後の地図を見れば用地に当たった村が廃され、鉄道や道路が変更されたことがわかります。明治最大の治水プロジェクトが、荒川放水路だったのかもしれません。

 戦前から戦後を線や面として見る

――シリーズ最初の『東京歴史散歩』は、経度・緯度・標高の基準になる三角点、標高の基準となる水準点などから始まっていますね。

国会の前庭に日本水準点原点を納めた石造りの標庫があるのは、戦前この地に陸地測量部があったからなんです。陸地測量部は陸軍の参謀本部にあって、国土地理院の前身にあたります。ちなみに参謀本部の前には、現在は麻布と広尾の間にある有栖川宮記念公園にある有栖川宮熾仁親王騎馬像が建っていました。東京オリンピック直前に移設されたのです。皇族ですけど軍服を着ていますから、海外からの来客に配慮したのかもしれませんね。

上野公園周辺(1/1万「上野」大正10年修正測図)。『地図と愉しむ東京歴史散歩』より部分
上野公園周辺(1/1万「上野」大正10年修正測図)。『地図と愉しむ東京歴史散歩』より部分

――時の権力が見え隠れするんですね。

先日、東京国立博物館の本館から、真正面に駿河台の明治大学が見えたんですが、その先に江戸城の天守台があるんですよ。江戸時代、徳川幕府は江戸城から見て鬼門(北東)にあたる上野に寛永寺を置き、裏鬼門(南西)にあたる芝に増上寺を置いて、二大聖地としていたんです。寛永寺は比叡山延暦寺より格が高く、東叡山寛永寺と呼ばれていました。今の上野公園の噴水のところは竹之台(たけのうてな)と呼ばれていましたが、根本中堂(こんぽんちゅうどう)といわれる大きなお堂がありました。京都の清水寺を模した清水観音堂や琵琶湖と竹生島(ちくぶしま)を模した不忍池と弁天堂などができ、庶民の遊興地でもあったんです。
地形を自然の流れだけでなく、人間の営みと絡めると新たな視座が見えてきます。まだまだ『東京歴史散歩』は続きますよ。

インタビュー・文/白坂ゆり

竹内正浩(たけうち・まさひろ)

1963年、愛知県生まれ。1985年、北海道大学卒業。JTBで20年近く旅行雑誌『旅』などの編集に携わり、各地を取材。退社後、地図や近代史研究をライフワークとするフリーライターに。主な著書に、『家系図で読みとく戦国名将物語』(講談社)、『空から見える東京の道と街づくり』(実業之日本社)、『明治・大正・昭和 東京時空散歩』(洋泉社MOOK)、『地図で読み解く日本の戦争』(ちくま新書)などがある。

竹内正浩(たけうち・まさひろ)

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