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 左《神の宿る部分》2009、右《浸透する ドリフトする》2009 東京都現代美術館蔵 photo by 木奥恵三
僕の作品の多くは巨大な平面作品なので、それを展示する空間を見つけること自体がなかなか難しいです。資生堂ギャラリーは非常に大きなボリュームをもったギャラリーですから、それが丁度良かった。そういう空間のフィジカルな条件に僕の展示は依存すると思います。 ただ「“なぜ”資生堂ギャラリーの空間で?」という問いは、僕にとってあまり本質的であるとは思っていません。常に既に在るその場の特殊性の中から、ある一部の観念を抜き出して、それを想定した場としてそこに作品を着地させるという一方的な関係は、必然性という概念を要請するシアトリカルな認識によるものだと考えるからです。むしろ問われるべきは、主体あるいは作品と場の「関係の特殊性」だと考えます。 僕は、生態学的視点に立ってこれまで絵画に取り組んできました。有機体のシステムと、その環境の関係という視座をもって絵画を捉えなおす作業です。考え方としてはG.ベイトソン、バレーラとマトゥラーナが提唱したオートポイエーシス、河本英夫さん、池上高志さんに大きく影響を受けています。 僕の絵画作品は、描画行為とその環境にあたる支持体形成とが相互浸透しながら、その領域を次第に拡大させていきます。紐を編み、下地を塗り、描画する、そしてそれを見る、という大きく分けて4つの行為の連環によって作動的閉域(システム)を形成し、円環反復(サーキット)します。そして、そのシステムの作動と反復が、時間発展と共に学習的ドリフト(変化をはらんだ流れ)を生成する、といったものです。制作は全て床面で行い、壁面に展示して初めて完成します。絵画をシステムとして思考した時、絵画が、主体の行為およびその環境と時間を含む、より広範な領域として立ち上がり、自律するのではないか? それを提示できればと考えています。
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