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トーキョー・アートビジョン
No.039 岡本太郎は“真剣に遊ぶ”相手です
語り手:岡本太郎記念館館長 平野暁臣さん

1954年、「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と芸術の価値転換を宣言した岡本太郎
1954年、「今日の芸術は、うまくあってはいけない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」と芸術の価値転換を宣言した岡本太郎

来年2011年で生誕100年を迎える岡本太郎。1954年に刊行された著書『今日の芸術』に記された言葉は今なお精彩を放ち、クリエーターを志す若者を鼓舞するだけでなく、新たな読者を魅了してやみません。今回は、7月中旬から募集を開始する公募「岡本太郎現代芸術賞」を主催する岡本太郎記念館の館長で、同賞の審査員でもある空間メディアプロデューサーの平野暁臣さんをインタビュー。岡本太郎という存在、その精神について語っていただきました。


“岡本太郎という奇跡”を次の時代に伝えたい

 岡本太郎が亡くなったのは1996年、14年前のことです。今ではちょっと想像しにくいけれど、当時、彼は忘れられかけていました。理由は大きく三つあったと思います。第一に、作品を見るチャンスがなくなってしまったこと。太郎は作品を売らずに自分でもっていましたから、元気な頃はそれが岡本太郎展として全国を巡回していた。観る側はただ待っているだけで、代表作がまとめて鑑賞できたんです。ところが晩年は病気を患っていたこともあって、巡回展が開かれなくなった。つまり作品がお蔵入り状態になってしまったわけですね。二つ目は本が読めなくなっていたこと。50年代から多くの若者を刺激していた数々の名著やベストセラーでさえ、ほとんど絶版になっていました。当時、書店で簡単に手に入る本は一冊しかなかったといいます。三つ目は太郎本人の姿が見えなくなっていたこと。1970年の大阪万博前後から毎日のようにメディアに露出して大衆を挑発していた太郎も、晩年にはほとんど外に出ることがなくなりました。要するに、作品が観られない、本も読めない、顔も見えない、という状態が続いていたわけですね。この状況は、世間から見れば「いつのまにか太郎が姿を消した」ようなもの。そんな状況の中で、岡本太郎は静かに息を引き取りました。

 50年来の秘書であり公私にわたるパートナーでもあった岡本敏子は、それが悔しくてならなかった。「岡本太郎という存在はそれ自体が“奇跡”。それなのに……、冗談じゃない!」。敏子はよくそう言っていました。確かに彼は1930年代のパリで抽象とシュールレアリスムという20世紀芸術の二大潮流の両方をど真ん中で体験し、それにもかかわらずいずれとも決別して、マルセル・モースの門を叩いて民族学に没頭したわけですからね。こんな人は日本人にはもちろん、世界にだっていませんよ。そう考えれば、確かに奇跡的な存在なんです。その奇跡が闇に消えようとしていた。「このまま太郎を忘れさせてなるものか」。その強烈な思いが敏子の人生を大きく変えました。それまではいつも太郎の陰に控えて縁の下で支えていた彼女が、太郎が亡くなってからは自ら前面に出て太郎を語りはじめたんです。財団をつくり、川崎と青山の二つのミュージアム設立に奔走し、本を次々と復刻し、全国を講演で飛び回った。いつしか“太郎巫女”と呼ばれるようになり、だんだん顔まで似てきた(笑)。「岡本太郎を次の時代に伝えたい」。それが敏子の唯一最大のモチベーションであり、ミッションでした。

南青山にある岡本太郎記念館(表参道駅から徒歩8分)の外観
南青山にある岡本太郎記念館(表参道駅から徒歩8分)の外観

アトリエ兼住居だった記念館には、作品と共に岡本太郎のエネルギーが満ちている
アトリエ兼住居だった記念館には、作品と共に岡本太郎のエネルギーが満ちている


「それでいいんだ」と作家の背中を後押しするTARO賞

 敏子は財団設立と同時に「岡本太郎現代芸術賞(以下、TARO賞)」を創設しました。動機はいたってシンプルで、太郎と同じように芸術の世界で闘っているアーティストの背中を押すこと。「それでいいんだよ」「もっとやれ」と言ってあげる。もっとも、太郎自身はこうした顕彰制度とは無縁だったし、興味もなかったと思います。なので、一見すると太郎と顕彰制度は相性が悪いように見えるかもしれないし、確かにそういう面があるかもしれないけれど、見方を変えれば、若い人たちに「迷うな。常識や権威にすがらず、自分を信じて一歩前へ踏み出せ」とメッセージすることは太郎がずっとやってきたことですからね。自分の内なる力を信じてなにかに挑んでいる人に「それでいいんだ」と言ってあげるのは、決して非太郎的なことじゃないんですよ。

 バックグラウンドにこの文脈があるので、TARO賞の価値観はシンプルかつ強固です。TARO賞とは「『時代を創造する者は誰か』を問うための賞」。だから、技術的な巧拙は二の次だし、「努力賞」は評価しません。もちろん作品の中には、巧いなあ、凄いなあ、たいへんだったろうなあ、想像を絶する時間と労力が注がれたんだろうなあ……、といった舌を巻くものもたくさんありますが、それだけで受賞することはない。基準はあくまでTARO賞にふさわしいかどうか、この一点です。要するに、世間的な評価軸にはまったく興味がないんですよ。もちろん“美術業界”での評価やポジションにも関心はありません。ひたすら作品だけを見て決める。経歴やキャリアも関係ない。だから、実際、最近の入選者の大半は20代の若者です。年齢で選んでいるわけではないけれど、結果としてそうなっている。言うまでもないけれど、こうした態度は審査員にとってはリスクです。実力も実績もあって、美術界で安定したポジションにいる作家を選んでおけば問題は起きませんからね。でもそれをやったら太郎じゃない。周囲から叩かれたっていい。審査員はそう腹を括っているんです。第12回(2008年)では、学生上がりの若干23歳の作家、若木くるみに最高賞(岡本太郎賞)を出したんですけど、その時に「この作家は確かにすごい。文句なしに太郎賞にふさわしい。でも、こんな無名の新人に最高賞を出すなんて、審査員もすごい。勇気あるなあ」って言われました(笑)。

第12回 岡本太郎現代芸術賞 岡本太郎賞受賞作品 若木くるみ 《面》 キャンバス、お化粧道具、チェキ、ビデオカメラ、テレビ、わたし 他 210×800×150cm
第12回 岡本太郎現代芸術賞 岡本太郎賞受賞作品
若木くるみ 《面》 キャンバス、お化粧道具、チェキ、ビデオカメラ、テレビ、わたし 他 210×800×150cm

公募で大切なのは、新しい一歩を踏み出すこと

 その若木くるみですが、審査の時、審査員一同、一目で釘付けになりました。その瞬間に受賞が決まったようなものだったんですけれど、作品に強烈なインパクトがあっただけでなく、作家本人もすごかった(笑)。作品は一種のパフォーマンスで、彼女自身が作品を構成する一部分になっているから、彼女がいないと作品が成立しない。それで「会期中どのくらいやってくれるの?」って聞いたんです。そうしたら「会期中フルに、開館から閉館まで。いっさい休みません」って言うんですよ。それだけでも驚きなのに、水も飲まなきゃトイレにも行かないって言うんです。そしてなんと、紙おむつを穿いてきたと。これにはブっ飛びました。覚悟が違う。

 今のアーティストって、どこか研究者に似ていませんか? 僕は密かにそう思っているんです。例えば、自分の研究対象を決める時、あるいは論文テーマを選ぶ時、研究者が真っ先に考えるのは「今、どこにスペースが空いているか」「まだ手が付いていない場所はどこか」でしょう? だから重箱の隅をつつくようなことになる。言い換えれば、新しい一歩と見なされるにはどうすればいいか、だけに血道を上げるわけで、そこにあるのは俯瞰する視座です。全体を俯瞰して地図を描き、その中で自分のポジションを探す。同じようにアーティストも、美術の世界地図を上から見ながら、ロジカルに自分の居場所を計算しているように見えるんですよ。囲碁のようにパチン、パチンと布石を打っていく感じっていうか……(笑)。「踏み出す」のではなく「見なされる」ことに腐心する。でも、この若木くるみは違います。彼女にはその種の計算がない。直球ド真ん中を投げることしか考えない。そこが太郎っぽいと思うんです。そして、こういう作家をすくい上げることができるのは、もしかしたら、TARO賞だけかもしれないんです。


今を生きる人間を挑発する太郎と、真剣に向き合う

 「太郎賞」「敏子賞」の受賞者には、岡本太郎記念館で作品を展示する機会をつくっています。ただし「個展」ではありません。貸ギャラリーと同じことをやってもつまらないし、 記念館でやる意味もない。そもそも、当り前だけど、記念館に来てくれる人は100%太郎と触れ合いに来るわけで、行ってみたら知らない新人作家の個展をやっていた、というのでは話になりません。では、何をやっているのか。一言でいえば「乱入」です。太郎の気配に満ちた場所にひとりで乗り込んできて、ケンカを売る。道場破りみたいなもんですね。「太郎の胸を借りて、タイマン張ってごらん」、これです(笑)。

 もちろん作家は必死ですよ。なにしろ「包丁一本……」みたいな感じで、作品ひとつぶらさげて「闘いのリング」に上るわけですからね。単に過去の作品をもってきて壁に掛けるだけ、というのではリングに上がることすらできない。しかも、相手はあの岡本太郎です。相当なプレッシャーでしょう。最初にリングに上がった第10回(2006年)敏子賞の菱刈俊作さんは、自ら太郎の作品を選び、それと対置することを前提とした新作をつくりました。第11回(2007年)敏子賞の上田順平さんは、《挑む》というタイトルで太郎作品と対峙。第12回(2009年)敏子賞の長雪恵さんは、太郎のモチーフを織り込んで新作をつくった。若木くるみは、岡本太郎に憑依した彼女がハーフミラーの向こうから観客を挑発していました(笑)。

2009年、記念館に“乱入する”受賞者の作品。左から、若木くるみ《お面》、長雪恵《ほうじょうのしんわ》

2009年、記念館に“乱入する”受賞者の作品。左から、若木くるみ《お面》、長雪恵《ほうじょうのしんわ》

2009年、記念館に“乱入する”受賞者の作品。左から、若木くるみ《お面》、長雪恵《ほうじょうのしんわ》

現代作家とコラボレーションすることで生まれる、新たな太郎像

 美術史家の山下裕二氏をゲストキュレーターに迎えた2007年の企画展「タナカカツキの太郎ビーム!展」では、太郎が残した描きかけの作品を、アーティストのタナカカツキが“続き”を描いて完成させる、という試みを行いました。具体的には、太郎作品の油彩の上にタナカさんの映像を投射したんです。「えっ、こんなことやっていいの?」とびっくりした人も多かったと思うけど、問題なし(笑)。僕には確信があるんです。実は、設計者として岡本太郎美術館の展示プランを太郎さんに説明したことがあるんですが、その時、作品をガラスケースに入れるプランを見て、彼が怒ったんです。「なぜガラス越しなんだ」と。「作品を守るためだ」と僕は反論しました。そうしたら彼が言うんですよ。「もげたらオレがまたつけてやるから、子どもを彫刻に乗せてやれ」って(笑)。それが岡本太郎です。若い連中を触発するのと引き換えに作品が少し傷んだところで、怒るはずがない。むしろ「よくやった」と言うに違いないんです。

 タナカさんの時も、3ヶ月ものあいだ太郎作品にプロジェクターの光を当て続けたわけで、美術館の常識からいえば常軌を逸した暴挙でしょう。でも、僕たちは墓守じゃない。毎日きれいに掃除をして、ありがたく岡本太郎を拝め、という風なことはしたくないし、それをやったところで太郎さんが喜ぶはずがない。もちろん、一般のミュージアムが背負っている「平安の御物を23世紀に伝える」的な使命を否定しているわけではありません。ただ、少なくとも岡本太郎記念館にとってそれは最上位ではない。いちばん大切なのは、今を生きる人たちを触発すること。逆に言えば、若い人たちに太郎と生々しくぶつかって欲しい。ぼくは、岡本太郎と正しく向き合う唯一の方法は、「真剣に遊ぶ」ことだと考えています。だから、記念館をそのための舞台にしたいんです。

2007年に開催された「タナカカツキの太郎ビーム!展」での展示風景

2007年に開催された「タナカカツキの太郎ビーム!展」での展示風景

2007年に開催された「タナカカツキの太郎ビーム!展」での展示風景

芸術観や精神を正しく伝えることが、彼の名誉を守る

 僕は「『明日の神話』再生プロジェクト」(メキシコで発見された壁画を日本に持ち帰り、修復・公開する事業。2008年に渋谷駅に設置された)をやっていましたが、あのプロジェクトでひとつだけ自慢できるのは、力を貸してくれた人たちが誰ひとり不幸になっていないこと。みな口を揃えて「やってよかった」「楽しかった」と言ってくれます。その人たちの助けがなければプロジェクトはうまくいかなかったわけですが、今から思えば、彼らは例外なく真剣に太郎と遊んでいた。もちろん太郎と真剣に遊ぶためには覚悟が必要です。とりあえず指を一本かけておこうか、みたいなことでは太郎にはじき飛ばされてしまいますからね(笑)。

 僕の役割は、岡本太郎の名誉を守ることです。だけどそれは、桐の箱に入れて「寄るな、触るな」とバリケードを張ることじゃない。まったく逆で、太郎を時代や社会に送り出し、その精神や芸術観をきちんと伝えること、岡本太郎という存在を肌で感じてもらうこと、それこそが名誉を守るただひとつの方法だと考えています。言い換えれば、今を生きる人たちが太郎とぶつかれる環境を用意する。太郎と真剣に向き合わない限り、彼の芸術観に触れることはできないし、芸術観への共感なしに名誉を守ることなんかできませんからね。更に言うと、岡本太郎の名誉を守るためには彼の精神や芸術観を正しく伝えることが不可欠であり、それを伝えるためには触れ合うためのリングが用意されていなければならない。記念館もTARO賞も、すべてはそのためのリングなんです。

2008年、京王井の頭線渋谷駅連絡通路に設置された巨大壁画《明日の神話》
2008年、京王井の頭線渋谷駅連絡通路に設置された巨大壁画《明日の神話》


太陽のように、ライブな存在として生き続ける

 「太郎さんがうらやましい」。村上隆さんがそう言っていました。作家は、結局、死んでからが勝負なんだと。確かに亡くなってからの太郎ムーブメントには目を見張るものがあります。二つのミュージアムが建ち、頻繁にメディアで取り上げられ、書店にいけば「太郎コーナー」が……。冒頭でお話したように、亡くなった時には半ば忘れられかけていたわけですからね。だけど、こうなったのはどこかの広告代理店がキャンペーンを張ったからじゃない(笑)。実に単純な話で、時代が岡本太郎を必要としているからです。閉塞感に包まれた世界にあって、太郎の価値観、芸術観、人生観、美意識に憧れたり、それを支えにしたいと願う気持ちは痛いほどわかる。自分を覆う分厚い雲を太郎が切り裂いてくれる、おそらく若者たちはそんな風に感じているのでしょう。

 彼らにとって岡本太郎は“未来”なんですよ。未来に向かって歩んでいく自分に対して、道を照らし、先導してくれる存在。彼らにとってルノワールやモネは過去だけど、太郎は未来、少なくとも現在です。しかも、ベースにあるのは、作品を超えた、生き方や存在そのものに対する共感ですからね。こんな芸術家がほかにいるでしょうか?少なくとも僕には思いつきません。そもそも太郎のカッコ良さって、美術の世界に納まるようなものじゃないですからね。強いて言えば、キース・リチャーズかな(笑)。いや、冗談じゃなくて、そう感じている人って結構いると思いますよ。


Information

■第14回 岡本太郎現代芸術賞 作品募集のお知らせ

これまで、中山ダイスケ氏、小沢剛氏、山口晃氏、天明屋尚氏、えぐちりか氏らが入賞し、梅津庸平氏、風間サチコ氏、大西康明氏、上田順平氏などの新進作家を輩出してきた「岡本太郎現代芸術賞」が、今年も「時代を創造するのは誰か」を問うべく、「ベラボー」な作品を募集します。年齢、国籍、プロアマ不問。詳細は下記URLよりご確認ください。

・応募期間:2010年7月15日(木)〜9月15日(水)
・問合わせ:Tel:044-900-9898(川崎市岡本太郎美術館 TARO賞係)
http://www.taro-okamoto.or.jp/taroaward.html

 
平野暁臣(ひらのあきおみ) 写真
 
平野暁臣
(ひらのあきおみ)

空間メディアプロデューサー。岡本太郎記念館館長。岡本太郎創設の現代芸術研究所を主宰し、イベントやミュージアムなど“空間メディア”の領域で多彩なプロデュース活動を行う。主な仕事に「リスボン国際博日本館」「川崎市岡本太郎美術館」「六本木ヒルズアリーナ」など。「『明日の神話』再生プロジェクト」ではゼネラルプロデューサーとしてプロジェクトを統括した。2005年伯母・岡本敏子の急逝を受けて岡本太郎記念館館長に。主な著書に、『岡本太郎』(PHP新書)、『岡本太郎と太陽の塔』(小学館)、『プロデュース入門』『空間メディア入門』(ともにイーストプレス)ほか多数。

現代芸術研究所
http://www.ggk-jp.com/

岡本太郎記念館
http://www.taro-
okamoto.or.jp/

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