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トーキョー・アートビジョン
No.045 密度が濃くなるほど、逆に真っ白になる
アーティスト 佐藤允さん

大学在学中にニューヨークで個展を開催し、今年はVOCA展や光州ビエンナーレに参加するなど国内外で活動を展開する注目のアーティスト、佐藤允さん。シャーペンに紙というシンプルな手法で、画面いっぱいに細密描写されたイマジネーションの渦は、独自の世界を生み出し、私たちに強い衝撃を与えます。今回は、テスト用紙の裏の落書きからはじまったという作品制作についてお聞きしました。


描くことは落書きの延長線上にある

佐藤允 《吊られたゴム女》 2005 pencil on paper 25.6x18.4cm courtesy of Gallery Koyanagi
佐藤允 《吊られたゴム女》 2005 pencil on paper 25.6x18.4cm courtesy of Gallery Koyanagi

 はじめの頃の作品は、テスト用紙やプリントの裏に描いてあるんです。高校の授業とかテストの時間を利用して配布されたプリントの裏にシャーペンで描いていたので、先生に見つかって破られたり、ふつうに捨てたり、その時はもったいないとも思わなかったですね。描くことだけに意味を感じていたのかもしれないです。そんな時に人から何気なく美大に行ってみたらと言われて、京都造形芸術大学に入学しました。

 それまでは、すごく個人的で、人に見せられないような絵を趣味で描いていたので、小中高の美術の授業の課題では、みんなと同じようにそれらしくやるように心がけていました。他の科目と同じように通過できればいいと思っていました。だからと言って、ふつうのことができるかって言ったらできないんですね。例えば受験のために通った予備校でのデッサンでは、正確に描くための訓練だって言われてるのにどうしたって歪ませたくなっちゃうんですよ、身体を。目の前には均整のとれた石膏像があるのに、頭の中では右手がぶっとい方が面白いとか。頬から石膏でできた射精間近の男性器が飛び出していたらとか。でもそれはデッサンではない。それでは当然美大は受からないと言われるし。苦しんでいましたね。経験できてよかったとは思います。これがいろいろなことをあきらめるきっかけになりました。描きたいものを描く方向を選びました。子どもの頃から落書きをするたびに何か罪悪感みたいなのがあって、その行為を両親もあまり喜んでいなくて。いまだに絵を描いていると罪悪感みたいなのはある。でも描いていないとまた何か悪いことしてるみたいにむずむずして。何なんでしょうね。悪い友達と遊んでいるみたいな。絵を描くことって。

 大学には先行入試で受験したので、入学するまでにもいろいろ課題があって。それは、作品をつくってそれについて考察してくるというシンプルな課題で、でもあの頃の僕は美術とかそういうものをちゃんと意識したことがなかったし、そもそも作品って何なのかがわからない。だけど、他に受かった人たちは結構すんなりとつくってきているから、作品という感覚が存在していることはわかる。教わればわかると思っていたけれど、現代アートの認識と同じようにいまだ漠然としていて、難しいですね。ただ、描くことは好きだし、落書きの延長線上じゃないといやなんです。だから、紙とシャーペンだけという手法も変わらないと思う。単純にイマジネーションで遊べればどうにでもなるっていう、紙と鉛筆の可能性を信じているというか。その二つは僕にとって最強の遊び道具なんですよね。

 田名網敬一さんの絵をはじめて見た時、ただ印刷されただけの一枚のペラッペラの紙なのに、その奥にすごい世界があるって思えたんです。とにかくショックで、じっと眺めていました。何だこりゃって言うか。でもずっと前から知っているような。こういう絵を描いていいんだと思えた瞬間でもありました。今でも更に最強な作品をバンバン発表されているので、その度に僕は頭を狂わされている。最近森永博志さんと出版された『幻覚より奇なり』という先生の自伝もすごかった。果てしなくてとても追いつけそうにない。でも、がんばりたい。


イメージの乗算が、真っ白な世界を創出する

佐藤允 《獣性》 2009 pencil, colored pencil, ink, paper, panel 103x72.8cm courtesy of Gallery Koyanagi
佐藤允 《獣性》 2009 pencil, colored pencil, ink, paper, panel 103×72.8cm courtesy of Gallery Koyanagi
photo by Norihiro Ueno

 最近はバラバラな紙にバラバラに絵を描いていて、一枚完成させたから次、というわけではないんです。作業机に途中でやめたりした絵がごちゃごちゃと散らばっていて、後で描き足したりしながら、それを切り取って別の絵に貼り付けたり、更にその上に描いたりして一枚の絵を制作していきます。絵を切り取ると、それはシールのように無機質なモノになるんですが、コラージュすることで気持ちをバラバラにできるようになったと言うか。とても感情を高ぶらせて描いた絵でも、余白を切り取られて他の絵の一部になってしまうと、それはまた別の存在に変わってしまう。既製品の雑誌とかを切り取って貼り付けるっていう通常のコラージュとは違って、紙以外全て自己生産していくんです。何枚も絵が貼り合わされることで絵が乱暴な迷路のようになっていく。僕は少し物事を、複雑に考えてしまうみたいで、何か嬉しいと感じても嬉しいだけじゃない。嬉しい時は悲しくて、生きたいと思うことと死にたいと思うのが一緒みたいな、常にそれが五分五分で揺れている。自分でも関わり切れないくらいに面倒くさい人間なんです。そんな自分自身をいろいろな角度から見て描くためにも、このコラージュの手法が合っていたんですね。

 最近描く絵は、いろんなバラバラなモチーフが一画面の中に全部ピントが合っている状態であるんですが、全てピントが合っているというのは、逆に焦点をつくらないということでもあります。例えば、少年、泣く、ナイフというモチーフだけだと、意味がなくても何かしら適当な意味を感じられそうじゃないですか。でも適当はいやで、それを過剰なくらいに突き詰めた気になってどんどん重ねて乗算していくと、光みたいに白くなる。何もなくなるんですよ。自分が見えなくなっていく。密度が濃くなるほど、迷路が複雑になればなるほど、真っ白に発光してシンプルに見える感覚。光を見ているだけっていう感じ。最近は、それを制作の終わりにしているんですよね。自分が関与できないレベルまでもっていく。もはや何を描いているのか想像できない状態が面白いんです、すごく。でも、自分では何かわかってる気がするんですよ。言葉では何も言えないんだけど。こういうものが描きたいと思っても最終的には全然違う形になるから、いつも絵の完成形がわからない。僕の絵って描いているうちに絵自体が勝手に意識を持ちはじめるんですよ。自分で描きはじめたものなのに、どんどん絵に要求されて、締め切りだったり、体調がめちゃくちゃ悪いのに、簡単に開放させてくれない。変な話、倒れるまで絵には体も心も生活も狂わされている。自意識過剰で不健康ですよね。

 一方、密度があるようで、すごいスカスカな人が描いている絵にも見えると友人によく言われます。どんなにドラマティックな状況の絵を描いても、どこかスカスカにしか描けない。周りを見ていてもスカスカにしか思えない時もある。それはいやなんだけど、理解できるスカスカ感。本当は何かを声高に訴えたいし、こうなんじゃないかって断言したい。でも何も言えないという状態。ある意味、情報って偏っていた方が動きやすいと思うんですが、今は全て自分で情報を選んで世界をつくっていかなければいけない。その選択が正しいかを論じることもなく「それはあなたの世界や考え方だよ」と突き放されてしまった時、僕にはそれでもこれが正しいと言えるってことや共感できることがよくわからなくなる。もしかしたら僕は本当にスカスカなのかもしれない。心は何だか熱いのに燃やせるものもスカスカなものだけが残ってしまったのかもしれない。でも、生きることとか、好きな人のこととか、日常のいろんなことをできるだけ実感のあることとして考えたいから絵を描くんです。

自分が納得するまで突き詰める

「10,000 Lives,」 第8回光州ビエンナーレでの展示風景
「10,000 Lives,」 第8回光州ビエンナーレでの展示風景

 田名網先生もそうですが、大学時代は藤本由紀夫さんや伊藤桂司さん、束芋さんからも、たくさんのことを学びました。とりわけ、束芋さんからの影響はすごく大きいと思っています。たまたま束芋さんのアトリエに伺った時、アニメーションの原画を描かれている現場に遭遇して。筆を使ってすごく繊細で綺麗な線で下絵をなぞっていたんですね。一枚の動画のために信じられないくらいの時間をかけている。それを見て、自分もちゃんとやりたいって思うとともに、逆にそれだけの時間をかけていいんだとも気づいた。それまで考えられなかったんです。絵は一日三時間くらいで一枚描くものとしてやっていたので。それ以降、じっくりと納得するまで突き詰めて、絵に取り組むようになったと思います。一枚の絵に半年かかってしまうことも今ではよくあって、落書きにしては少し長すぎるんで問題かなと思いつつも、多分今はやり尽くさなければ今見たい絵が描けないような気がしてしまいます。

 うまく描こうとは思ってないんですね。何かを意識し過ぎて描き辛くなってしまったら描きたいとは思えないだろうし、学生の頃は、現代アートについてすごく考えさせられたけど、卒業した今は、どうでもいいものになっちゃってると言うか、自由にやりたい。特に現代アートは、面白いけど、面倒くさい感じのものも多いじゃないですか。僕は、コンセプトやテーマが長々としたものよりもパッと見てそこに言葉以上に深い何かが見える方が好きで、バカでも、生きていれば、目があれば見られる、そんな絵、当たり前の絵が好きなんです。たかが「絵」なのにいろいろなものを賭けて、すごいものが描きたい。


次回は…
引き続き佐藤允さんに、海外での発表や個展の準備などについてお聞きします。[2011年1月13日(木)アップ予定]
 
佐藤允(さとうあたる) 写真
 
佐藤允
(さとうあたる)

1986年、千葉県生まれ。2009年、京都造形芸術大学芸術学部情報デザイン学科先端アートコース卒業。2006年、ギャラリー小柳のビューイングスペースにて作品を特別展示。2007年、初個展「ATARU SATO: His Sea」(Mehr Gallery/NY)を開催。主なグループ展に、2009年「どろどろ、どろん 異界をめぐるアジアの現代美術」(広島市現代美術館)。2010年「VOCA展2010―新しい平面の作家たち」(上野の森美術館)。2010年「第8回光州ビエンナーレ」(韓国)など。2011年6月に日本初となる個展をギャラリー小柳にて開催予定。作品集に『はつ恋』(アートビートパブリッシャーズ/2009年)がある。現在、京都在住。
http://www.art-
it.asia/u/ab_satoa/

 
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