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東京アートポイント計画 + 一般社団法人シマクラス神津島(神津島)

Next Tokyo 発見隊!

No.012
スペース「くると」にて。左から、櫻井駿介さん、中村圭さん、飯島知代さん

東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、そしてNPOが共催し、東京にたくさんの「アートポイント」をつくることを目指したプロジェクト「東京アートポイント計画」。2009年にスタートし、これまで50以上の団体と共催し、45のプロジェクトを行ってきました。

この東京アートポイント計画に参加する団体を取材するシリーズの第2弾は、太平洋に浮かぶ神津島(こうづしま)でアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」を運営する一般社団法人シマクラス神津島です。事務局の中村圭(なかむらけい)さん、飯島知代(いいじまともよ)さん、そしてアーツカウンシル東京プログラムオフィサーの櫻井駿介(さくらいしゅんすけ)さんに話を聞きました。


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2023.03.09

幸せな島暮らしを探る「HAPPY TURN/神津島」

東京・竹芝ふ頭から高速ジェット船で約3時間。伊豆諸島のうち、北から5番目にあたる人口約1900人の神津島(こうづしま)。神という名がつくのは、伊豆諸島をつくる神々が集まって相談をした島という説もあるとか。現在はキンメダイやイセエビなどの漁業が中心で、そのほか観光業や農業も営まれています。

東京から約180km離れた、太平洋に浮かぶ神津島

この島で「くると」という約50平米のスペースを拠点にアートプロジェクト「HAPPY TURN/神津島」を展開するのは、一般社団法人シマクラス神津島です。代表の中村圭さんは神津島で生まれ、中学卒業と同時に島を出て進学したのち、鉄道会社に就職。そして26歳のときに故郷に戻りました。
「島では、東京から戻ると『しまってきたんだね』といわれるんです。つまり、東京での活動を『閉まって戻ってきた』と。でも僕は閉まってきたんじゃなくて、『開く』ためにここに帰ってきた。この島でも楽しいことがたくさんあるし、それを通じて幸せになれると思っています。それを伝えていきたいというのが活動の根っこにあるんです」
その思いを胸に、島に戻った2015年より神津島村地域おこし協力隊として勤め、2017年の終わりにNPO法人神津島盛り上げ隊を立ち上げました。

一般社団法人シマクラス神津島で「HAPPY TURN/神津島」のディレクターを務める中村圭さん

その頃アーツカウンシル東京でも、東京アートポイント計画を一緒に担っていくパートナーを探していました。過去に伊豆諸島で三宅島や大島でもプロジェクトを行うなど、継続的に島しょ部で活動してきましたが、島しょ部の次なるパートナーのリサーチが続くなかで、「中村さんという面白い人がいる」と名前が挙がります。「UターンやIターン、もともとの住民など、誰でも自分なりに島に関わり、学び合うことができたら」という中村さんの考え方は業趣旨とも重なると判断し、2018年、東京アートポイント計画として「HAPPY TURN/神津島」はスタートしました。

スタートする前に準備したのはチームづくり。東京アートポイント計画では、事務局をつくる際に「3人体制」を推奨しています。
「『事務局3人組』というフレーズのもと、事務局では事務局長、広報、経理の3者が必要だということを伝えています」と「HAPPY TURN/神津島」に伴走するアーツカウンシル東京プログラムオフィサーの櫻井駿介さんは話します。

アーツカウンシル東京のプログラムオフィサー、櫻井駿介さん

そこで、ディレクターの中村さんは以前から知り合いだった飯島知代さんに声をかけました。飯島さんは栃木県出身。夏の間だけ神津島に来て海の家で働いていましたが、Iターンとして神津島に移住し、「HAPPY TURN/神津島」の運営に携わるように。そしてもう一人、会計担当のスタッフがいますが、現在は育休中です。
「昨年度まで3人で運営していましたが、2人になった途端に意見がぶつかることが増えて、やはり事務局は3人以上いた方が良いのだと感じました。今は、子育て世代のお母さんたちや移住者の方々が、プロジェクトのスタッフとして事業全体の運営を手伝ってもらっています。複数人体制になってから意見もより多様になり、事業の可能性を広げて考えられるようになりました」と飯島さんは話します。

一般社団法人シマクラス神津島で「HAPPY TURN/神津島」事務局長の飯島知代さん

目的のない拠点「くると」と、月1回の紙メディア

「HAPPY TURN/神津島」が最初に取り組んだのは拠点づくりでした。「拠点」も東京アートポイント計画では活動を継続するための重要な要素。一方で、神津島も空き家が増えているという問題を抱えていました。「島内の空き家について調べたところ、80件ほどありそうだということがわかりました」という中村さん。事務局のメンバーで、島内を歩き、物件を探しました。

神津島の風景

拠点にする場所が決まると、まずは掃除からスタートしました。もともと大工小屋で建築資材が多量に残されていた物件。しかし、「業者は入れずみんなで片付けてくださいね」と、当初アーツカウンシル東京の担当だった大内伸輔さんに言われたそうです。
「業者にクリーニングしてもらったら効率的ではありますが、そこで終わりで、人々の関わりは生まれにくいです。自分たちや周辺地域が主体的に関わっていける場所として、一から関わるきっかけをつくっておくことで、徐々に仲間も増えていく。それが東京アートポイント計画でいう拠点づくりなんです」と櫻井さん。

大工小屋だった建物から不要品を少しずつ片付けていった(※)

その後1年ほどかけて片付けと掃除、改修をし、現在の「くると」が生まれました。半屋外の入口には大きな黒板があり、中に入ると椅子や机が置かれ、スピーカーからは音楽が流れて「くると」は、島の子供たちをはじめとした憩いの場になっています。
長かった改修の間、島の人には「何の場所になるの?」ときかれても、具体的には答えないという方針を、東京アートポイント計画のスタッフや、拠点改修に関わったアーティスト「岩沢兄弟」と共有していた、と飯島さんはいいます。当時は答えられないことをもどかしく感じていたそうですが、カフェやレンタルスペースなど、決まった目的のある場所にしないことで場所の可能性が広がることを、意図していたのだと、後に分かったそうです。
そんな「くると」の現在について、飯島さんはこう話します。「ふらっと訪れて、仕事でも遊びでも何をしてもいい場所にしています。飲食はしてもいいけれど、こちらからは提供しない。フラダンスの練習をしてもいいけれど、貸切にはしない。あえて機能を明確にしないスペースにしています」。

くると。来ると「遊べる」「出会える」「学べる」など「くると○○」という思いが込められて命名された。設計・デザインは岩沢兄弟(※)
くると。道ゆく人とも団らんがはじまる(※)

現在「HAPPY TURN/神津島」では、くるとの運営のほか、毎月『くるとのおしらせ』を配布しています。これは、数年前から始めた手書きの新聞で、毎月1回、欠かさずに発行してきました。A4サイズ1枚に、実施したことのレポートや翌月の予定を掲載し、島内に全戸配布しています。定期的な媒体をつくることも、東京アートポイント計画で培われてきた技です。
「『ジムジム会』という、アートポイントの各プロジェクトが集まるオンラインの交流会で、ほかの地域の事例を見て、真似をしました。私たちは何をやっているかわからないと言われがちでしたが、最近では『あのおしらせの人ね』と言われることもあり、少しずつ浸透してきたのかもしれません」と『くるとのおしらせ』づくりを担当してきた飯島さんは話します。

『くるとのおしらせ』
Photo: 高岡弘

島の生活に、アートプロジェクトが必要なわけ

拠点をつくり、媒体を発行した「HAPPY TURN/神津島」では、2021年度よりアーティストプログラムも行っています。2021年度はアーティストの大西健太郎さん、山本愛子さん、2022年度からはアーティスト集団のオル太、ミュージシャンのテニスコーツの2組も加わりました。
「私たちはアートに詳しいわけではないため、『こんなアーティストがいたら』と櫻井さんに相談すると、『この人がいいかもしれない』と提案していただき出発しています。東京アートポイント計画として事業を進めていなければ、できないことだったなと思います」と飯島さんは言います。

アーティスト・大西健太郎さんによって、砂浜の漂流物や島で集めた素材を使って盆栽をつくり、島のなかを歩いた「くると盆栽流し」(2021年12月)(※)
Photo: 岡桃子

どのアーティストも、島を訪れて入念なリサーチをもとに、作品制作や、ワークショップ、パフォーマンスイベントなどを行っています。アーティストと仕事を一緒にすることもはじめてだった事務局の2人。
「山本さんの草木染めのワークショップに参加すると、島に生息する植物の生態系を知ることができました。また、オル太は島に住む人にインタビューするのですが、島の歴史や生き方、生活を知るきっかけになりました。昔は漁業ではなく農業が盛んで、いつ頃から観光業に変わっていったかなど、生の声を聞くことができました」と、中村さん。

2021年から山本愛子さんは、島で集めた植物や資源を使って、草木染めをするワークショップを開催(※)
同ワークショップ。染料液をつくる(※)

2018年にスタートした「HAPPY TURN/神津島」は、2023年で6年目を迎え、東京アートポイント計画からの卒業が視野に入ってきています。「当初と比較すると、島の人と信じられないほどの関係性ができていて、日々賑やかな風景が生まれています。すでに基盤があるので、ここからは様々な人との関わりを深くしたり、仕組みをつくったりして、プロジェクトを続けていけるのではないかと思っています」と櫻井さん。

2022年春からオル太が神津島でリサーチをし、作品を制作。そのプロセスを公開するオープンスタジオ(2022年9月)も開催(※)

「課題や不安は多いですが、東京アートポイント計画に参加して視点が大きく変わりました。このプロジェクトを始める前は、伝えたいことは話せばいい、と思っていたんです。でもアートのような直接的ではないからこそじわじわ伝わる方法もあることを知りました」と、中村さんは東京アートポイント計画に参加した印象を語りました。
また、飯島さんもアートプロジェクトに出会って変わったこととして「新しい視点をもらった」と話します。
「明確な目的を細かく決めずに進めることの良さや、その過程で起こっていることに目を向けること、それから普通や当たり前を自分の考えですぐに決めつけないことが大事なのだと気づきました。最近『くると』の拠点スタッフのお母さんたちとよく話しますが、たとえば、子供が家から鍋を持ってきてたたくと世間では怒られてしまう。でも、『くると』の枠組みだと『よくその楽器をみつけたね』と褒めることができるんですよね。島にはいろんな人がいて、まるで日本の縮図のようです。島に来るまでは出会わなかった考え方を持つ人とも出会います。そうやって自分と違うバックグラウンドや考えの人と出会ったとき、『くると』でのふるまいのように視点を変えて物事を見ることは大事になっていくと思います」

テニスコーツによる2日間のイベント「つくって、うたって、あるいて、おどって、大漁だ‼︎ くると 冬まつり 2022」(2022年12月)(※)

ディレクターの中村さんは今後の展望について、「学校でも家庭でも教えないことを伝えていく、『地域のおじさん』になりたい、と思っています」と語ります。アートプロジェクトを通して、幸せな暮らしを探る「HAPPY TURN/神津島」。時間をかけて、少しずつ島の未来を変えていくプロジェクトです。

Text:佐藤恵美
Photo: 小野悠介(※以外)

東京アートポイント計画
https://www.artscouncil-tokyo.jp//ja/what-we-do/artpoint-concept/

一般社団法人シマクラス神津島(「HAPPY TURN/神津島」事務局)
http://happyturn-kozu.tokyo/
東京都神津島村998
MAIL: shimakurasu@gmail.com

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