「戸谷成雄 彫刻」展は、戸谷の出身地である長野県と、現在の制作拠点である埼玉県の県立美術館による共同開催。埼玉会場での展示は3部で構成され、大学在学中に制作した人体彫刻作品から初個展で発表された《POMPEII‥79 Part1》、代表作「森」シリーズ、最新の「視線体」シリーズまで、半世紀にわたる制作の足跡を辿る内容となっている。
──卒業制作など大学時代の作品も展示されていますが、今ご覧になってどう感じますか?
戸谷 複雑な気持ちがあります。大学の4年間は具象をやり、大学院から抽象に移ったのですが、現代美術の方向に進もうという思いは学部の頃から芽生えていて、具象と並行して実験的なこともやっていました。
学生時代の彫刻を見ると、当時の時代状況を思い出します。在学中はベトナム戦争が終盤の凄烈な状況があり、70年安保闘争で学生運動も激しく、大学の中に機動隊が入って来たりしていました。その中で学生たちは、自分の思想的立場をどう位置付け、どう行動しなければいけないか、決断を突きつけられていたのです。学生時代の彫刻は、その頃の自刻像の意味合いが強いですね。
──1970年には「もの派」の作家も多く出品した「人間と物質(第10回日本国際美術展)」展が開催されています。
戸谷 観に行きました。こういう考え方や美術の在り方があるのだと、衝撃を受けました。しかしその一方で、抵抗感もありました。近代美術に対しての批判的な作品が大半で、美術の古典的な形式を解体させようという意図でつくられていました。もちろん作品の中には物質性がありますが、「彫る」「刻む」という行為によるコンセプトで成り立つ作品はほとんど見当たりませんでした。
それはつまり、物質と形が組み合わさることで発せられる「彫刻の言葉」を失うということです。絵画であれば色彩や筆触などの関係性の中で、物質と行為によって生み出される「絵画の言葉」がある。そういった情感や感覚を排除してしまっていいのかと。彫刻の言葉を失うということは、彫刻のあり方も排除してしまうことになるので、それは僕はちょっと許せないという感じがありました。