――春らしい、お洒落な蒔絵ですね。
ブランドの陰に、ゴーストライターあり!?
江戸アートナビ
No.012江戸絵画の専門家・安村敏信先生と一緒に、楽しく美術を学ぶコラム「江戸アートナビ」。今回は、江戸時代後期に大流行した「酒井抱一(さかいほういつ)×原羊遊斎(はらようゆうさい)」ブランドのひとつ《蔓梅擬目白蒔絵軸盆(つるうめもどきめじろまきえじくぼん)》を紹介します。梅とメジロという可憐なモチーフからは想像もつかない、江戸の商売の裏側に迫ります。
監修/安村敏信氏
Point.1 「抱一×羊遊斎」ブランド誕生の背景に、遊びあり
これは巻物を2本、縦に置くためにつくられたお盆です。下絵を描いたのは、酒井抱一という人。京都で流行した俵屋宗達(たわらやそうたつ)や尾形光琳(おがたこうりん)などの画風、今でいう琳派(りんぱ)を江戸にもたらした絵師として知られ、繊細で粋な絵を残しています。
抱一は、姫路藩の藩主の次男として神田小川町で生まれました。お兄さんが家を継いだことで藩主にはなれず、お兄さんの仮養子になったり、他の藩との養子縁組話が不調に終わるなど、宙ぶらりんな状態が続いたのですが、結局「これで暮らしなさい」と千石を渡されて、家を出ました。身分は最上級、お勤めはない、お金はある。まあ、好き放題やるわけです。
若い頃から俳句をたしなみ、当時流行っていた狂歌師の連中と交流。谷文晁(たにぶんちょう)や亀田鵬斎(かめだぼうさい)といった文人、歌舞伎役者の七代目市川團十郎(いちかわだんじゅうろう)らと江戸の有名な料理屋、八百善(やおぜん)で狂歌会を開いては、お酒を飲んだり遊んだりしていたようです。狂歌師の大田南畝(おおたなんぽ)企画の「千住酒合戦」という酒飲みイベントも足立区千住で開催され、誰が何升飲んだとか観戦記も残っていて面白いですよ。
とにかく当時の文化人たちはヒマ。出会いは、遊び場が中心。一緒に酒を飲み遊ぶなかで、文化が生まれる。蒔絵師の原羊遊斎も、このような交流のなかで抱一と知り合ったんでしょう。抱一の絵を自分の蒔絵に応用できないか。そう考えて下絵を抱一に頼み、「抱一×羊遊斎」のコラボレーションが実現。すると、ものすごく人気が出て、一大ブランド化するんですね。
Point.2 ブランドの陰に、弟子の、ゴーストライターの存在あり
――ブランド化というのは、抱一と羊遊斎の名前があれば売れる、ということでしょうか。
現代のファッションブランドと同じで、必要なのはロゴ。ロゴさえあれば売れるようになってくるわけです。最近になって抱一の手紙が見つかり、「下絵がなかなか送られてこないんですが」という羊遊斎に対し、「今まで描いたものから適当に選んで使ってください。貴方と私の名前を記しておけば問題ないでしょう」といったことが書かれていたんですね。ブランドとして確立していれば、本人同士がつくらなくてもよいと。抱一×羊遊斎作といいながら、実は二人とも制作に携わっていない可能性もあるわけです(笑)。注文が多い分、さばいていかなければならないので、工房化していくのは当然なのですが。
抱一が面白いのは、弟子に描かせているという証拠を手紙で残してしまったこと。「こないだ代筆を頼んだ秋草図、まだできないの?」そんな内容の手紙がミシガン大学にあって、完全に代筆させているのがバレてしまいました(笑)。おそらく文化文政期の他の絵師たちも、同じようなことをやっていたんでしょう。今までも、サインとハンコは完全に本人に間違いないのに、肝心の絵が違うということがあったのですが、江戸の実情がわかるとなるほどなと。まさに売れっ子の陰にはゴーストライターあり、なんですね。
Point.3 真贋(しんがん)を決めるのは、自分の感覚にあり
――何をもって本物とみなすか、とても難しいですね。
なかなか複雑で、例えば抱一は光琳の百年忌に、光琳が描いたといわれる絵画をまとめた《光琳百図》という版本を出版し、その中にある図を屏風にもしたためています。最近発見されたある屏風は、絵の質が違うので抱一筆ではなさそうなんですが、偽物かというとそうでもない。おそらく抱一の一番弟子、鈴木其一(すずききいつ)が代筆したもので、抱一の偽物でも其一の本物とみなせるというか……本当にこの世界は謎だらけなんです。実は《光琳百図》の中には、光琳没後50年以上経ってから描かれたような図も半分以上交じっているんだけど、抱一は光琳が描いたものだと信じていました。
特に工房作は、どこまでが誰の手によるものか、判断するのが非常に難しい。室町時代から続く狩野派だって、絵の注文があったら、一番偉い人が最初の墨描きだけやって、彩色などその後の工程は全部人任せ。そもそも平安時代の宮廷の絵所の仕組みがそうだったので、継承されているんですね。鑑定の際に重要なサインも、絵師というのはそっくりに描くことができるし、本物のハンコが今に伝わっていることもある。そんな中で何が本物かを見極めるには、現物を並べて見ることが重要。実際に見比べることで、違和感などがわかるんです。
作品によって、研究者の間で真贋の判断が分かれることもありますが、真実はその時代にまで遡らないとわからないもの。自分がいいと思っても、他の人は違うということもあるし、研究が進んで見方が変わると、真贋の判断を改めたほうがいいのでは? ということにもなる。だけど、また50年後には価値観が変わるかもしれない。そう考えると、「あなたがいいと思ったらそれでいい」それしか言えないんですよね。もし自分で買ったものであれば、どこかが気に入って買ったんだから、それを信じればいいんです。
イラストレーション/伊野孝行
監修/安村敏信(やすむら・としのぶ)
1953年富山県生まれ。東北大学大学院博士課程前期修了。2013年3月まで、板橋区立美術館館長。学芸員時代は、江戸時代の日本美術のユニークな企画を多数開催。4月より“萬美術屋”として活動をスタート。現在、社団法人日本アート評価保存協会の事務局長。主な著書に、『江戸絵画の非常識』(敬文舎)、『狩野一信 五百羅漢図』(小学館)、『日本美術全集 第13巻 宗達・光琳と桂離宮』(監修/小学館)、『浮世絵美人解体新書』(世界文化社)など。