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豊嶋康子インタビュー

アーティストが語る 私のターニング・ポイント

No.003

本インタビューシリーズでは、第一線で活躍しているアーティストにこれまでのキャリアと転機について、さらに若い頃から現在に至るまでの心境や作品の変化などを、現在の活動とともに語っていただきます。今回は、東京都現代美術館で個展「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」(~2024年3月10日)を開催中の、豊嶋康子(とよしま・やすこ)さんにおうかがいしました。


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2023.12.19

表現を自分のものにしたかった

豊嶋さんは1990年のデビュー以来、鉛筆を削ることやマークシートを埋めること、株の購入や銀行口座の開設など、世の中にすでに存在する一種の型や、社会の仕組みを利用した作品を発表している。そのきっかけは学生時代に出会った書籍にあったという。

──東京藝術大学に入学された頃は絵を描いていたと思うのですが、日常のなかのルールを使った制作を始めたきっかけは何だったのでしょうか?

《鉛筆》1996年
東京都現代美術館蔵
撮影:椎木静寧

豊嶋 当時藝大で教えていた榎倉康二先生から、講評会で「どうして四角いキャンバスに描いているのか?」と聞かれたことがありました。それは私だけでなく学生全体に向けた問いかけだったのですが、たしかに考えたことがなかったと思って、学校の生協で本を探していたら、たまたま映像作家の飯村隆彦さんの『映像実験のために : テクスト・コンセプト・パフォーマンス』(青土社、1986年)という本と出会ったのです。
そこには、原稿用紙のマス目をフィルムのスコアとして使用する、実験的な制作の話が紹介されていました。ここから、ある表現を別のフォーマットに置き換えること、人々が無意識に共有している型を表現に利用することもできるということを学びました。マークシートの記入欄の外側を塗りつぶした「マークシート」(1989〜90年)は、この本に刺激を受けて制作した初めての作品です。

──「絵を描く」という行為に対する違和感もあったのでしょうか?

豊嶋 ありました。基本的に絵が好きなので、描くと集中してしまうし、きちんとわかってもいないのに抽象表現主義風の絵が描けてしまう。そして「いいね」と言われてしまう。でも、こんな絵なら無限に描けてしまうんじゃないか。そんな上っ面のものではないはずだ。そうした疑いを抱いていた私に、飯村さんの本は絵を描くこともコンセプチュアルな行為なのだと示してくれた。そこがしっくりきたのだと思います。

──豊嶋さんの学生時代は新表現主義に勢いがあった頃ですね。一方、先ほどの榎倉さんをはじめ、学内ではもの派の影響もまだ強かったと思います。当時のアートシーンはどのような状況でしたか?

豊嶋 周りを見渡すと、新表現主義的で似たような作品はたくさんありました。それらは表層的な仕事に思えましたが、気にせず描いている人がいる。それがよくわからなかった。私はきちんと自分のことを振り返り、自分がわかっていることを積み上げて、表現を自身のものにしたいという思いがありました。
そんなとき、自分の方法をつくるうえで飯村さんの本が道標になりました。飯村さんが紹介している作品はどれも自分が生まれた頃のものですが、当時の私にはとてもわかりやすかった。世の中にあふれ返っていて自然と耳に入ってくる同時代の情報と、自分でわかろうとしてアクセスした少し前の時代の情報の両者に「理解の深さ」のズレがあると感じていました。そして私は、自分で掴んだ情報を手がかりに制作を始めたのです。

──小さい頃、教会の日曜学校に通われていたことも、ご自身の軸になっているとうかがいました。教会には自主的に通い始めたのですか?

豊嶋 保育園の年長の頃、「正しさ」と言うと大げさですが、日常の価値よりも少し純度の高い正しさで生きている大人がいると思ったのです。両親間や父の職場での話なんかでよく大人同士の攻撃的な口論を聞かされていて、それが怖くて、そうした大人のいない場所に行こうと考えたのですね。日曜学校には高校に入る頃まで通っていました。

──その経験はご自身にどう影響していますか?

豊嶋 正しさの感覚が作られたかもしれない。マタイ伝に出てくる「右の頬を打たれたら左の頬も差し出しなさい」という文言のような、直接的にではなくやり返す話に子どもながら納得するものがあり、そういう姿勢は意識していました。

身近な道具や仕組みのニュートラルさを疑う

初期には鉛筆や定規などの身近な道具を使った作品を制作。その後、大学4年時の1990年9月には早くも高輪美術館(現・セゾン現代美術館)のグループ展「ART TODAY 1990 | 複製技術時代のアウラ(芸術)復興」に参加した。

《定規》1996〜1999年
作家蔵
撮影:大村雄一郎
「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」東京都現代美術館(2023-24年)展示風景より
「マークシート」 1989〜1990年 作家蔵 Photo: Kenji Morita

豊嶋 「マークシート」作品の後、これを繰り返してはいけないと思いました。それで半ば脅迫的に、目につくものを別の方向から見るというチャレンジを自分に課していました。次に展開できる対象を探し続けていましたね。文房具のように身近にあって、自分に攻撃してこない対象、ニュートラルで無垢な対象に疑いを持つというか、人畜無害に見える対象の逆説的な側面を拾おうとしていました。

──「ART TODAY 1990 | 複製技術時代のアウラ(芸術)復興」に参加されたきっかけはなんですか?

豊嶋 4年生の初夏、1990年6月に神田の田村画廊という貸し画廊で、アルバイトで貯めたお金で初めての個展を開催しました。1年前から作っていた作品を見せた展示で、それを高輪美術館の学芸員だった杉山悦子さんが偶然見てくれ、展示に誘っていただきました。

──1990年代半ばからは、株を購入してその変動などを記録・公開し続ける《ミニ投資》や、さまざまな銀行に口座を開設する《口座開設》、ATMから振り込みを行う《振リ込み》(すべて1996年~)など、それまでの身近な道具を使った作品から、社会的なシステムそのものを使った作品に移行していきます。

豊嶋 1990年代前半は自分の制作の方法論が整理されていった時代でしたが、身近な素材ばかりを使っていると作品の「射程」が浅くなってしまう気がして、自分から離れた対象にもチャレンジしたかった。そこで、身の回りにあり、自分に影響しているかもしれないけれど普段は気にもしないような対象を扱おうと考えたのです。投資に興味があったわけではなく、投資自体については今でもよくわかっていません。もともと投資にはネガティブなイメージしかなくて、だからこそ、気になってやってみたところはあります。

「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」東京都現代美術館(2023-24年)展示風景より
壁面:《ミニ投資》 1996年〜 個人蔵 Photo: Kenji Morita
《口座開設》1996年〜
作家蔵
撮影:加藤健

──誰に見せるわけでもなく、「作品」として口座を開設したり投資をしたりするのはとても孤独な作業にも思いますが、何を拠り所にされていたのですか?

豊嶋 株について言えば、1996年に水俣病を伝えるNPOが主催したイベント「水俣・東京展」を母と見に行ったことがきっかけです。そこで、水俣病の被害者が加害企業の株を購入して株主になり、株主総会で被害を会社側に訴えるという「一株運動」を知って、これをアクションとして行ったら美術になるのではないかと思いました。相手のシステムを巧く利用して、その安定を崩すやり方は、一株運動が起きたのと同じ1960年代のコンセプチュアル・アートにも通ずると感じたのです。
また、そうした理屈を話した際、美術に詳しくない母が「わかる」と言ってくれたことも新しい制作に向かう後押しになりました。

長いターニング・ゾーンと、相撲への開眼

若くしてデビューしたものの、その後は大きな活動の機会も減り、悩みの時代が続いた。地道に制作を続けるも、展示やレジデンスの機会に恵まれず、周囲の動きに戸惑っていたという。

──2000年代以降で、制作のターニング・ポイントになった出来事はありますか?

豊嶋 2000年代はターニング・ポイントがないことがターニング・ポイントのような時代でした。デビュー後、1994年には美術評論家の鷹見明彦さんらが企画した展示に呼んでいただき、今後発表の機会が増えるのだろうと思っていたら、そうでもなく。95年には一人暮らしを諦めて埼玉の実家に戻りました。そして、戸惑いのうちに2000年代が進みました。
少し上の世代は海外に行っているという情報もあり、私もどこかにいくべきかといろいろ申請しましたが、《ミニ投資》や《口座開設》は日本のシステムを使っていますから、文脈が複雑で説明が必要な作品になってしまう。そうして私がもたついている間にコマーシャル・ギャラリーが増加し、自分より若い世代はそこに所属することが普通になった。ちょうど世代の狭間に落ちたような感覚でしたね。「私はこんなに考えているのに、なんで上手くいかないのか」と不貞腐れていた。「ポイント」ではなく、長期的な焦りのような「ターニング・ゾーン」とでもいう期間が2000〜07年頃まで続き、とても悩んだ時期でした。

──その長いトンネルをどう抜けたのですか?

豊嶋 その状況に飽き飽きして、どうして不貞腐れたのかわからなくなるほどエネルギーを使い果たしたのが2007年ぐらいです。ちょうどそのころ、相撲を見ることに不思議なほど集中した時期があって、そこで毒が抜けたと言いますか、徐々に道が開けていきました。

──相撲のどこに惹かれたのですか?

豊嶋 当時、ちょうど伸び盛りだった豊ノ島という力士がいて、自分の名前に似ているので応援するうちにハマったのがきっかけです。それまで相撲には全然興味がなくて、美術以外のものに熱中したのも初めてでした。展覧会ポスターの裏を星取表にした《2009年大相撲秋場所-幕下の取組星取表》 (2009年~)は、相撲を見ながら制作できる作品として作ったものです。振り返ると、自分と異質のものに触れたことが楽しかったのだと思います。この時期はさらに、相撲の動画と音楽を組み合わせ、登場したばかりのYouTubeにアップし、海外の相撲ファンと交流するという、個人的な趣味にも没頭していました。

「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」東京都現代美術館(2023-24年)展示風景より
《固定/動作(2009年大相撲秋場所——幕下の取組星取表)》(部分) 2009年 個人蔵 Photo: Kenji Morita

社会的なアクションの作品化と、その隠蔽

この相撲への熱中は、のちに、八百長疑惑で引退勧告をされた蒼国来関(内モンゴル出身)の土俵復帰を日本相撲協会に求める活動への参加《署名運動》(2011〜13年)につながる。

豊嶋 2010年に助成を受け半年間ニューヨークに行ったのですが、帰国後すぐに東日本大震災が発生して、いろんなことが混乱しました。そんな頃、大相撲での野球賭博問題が八百長疑惑に拡大し、外国人力士が大量に処分されることがあったのです。それに対して多くの相撲ファンと同じように、止めてほしい、動かなければいけないと本気で思った。そこで署名活動自体を個人的な活動にしようと思いました。自分が本気で行うことを「作品」と呼ぶならば、これがいまの自分の作品に違いないという一種の仮説として始めた作品でした。

──社会的なアクション自体を作品化する発想は「一株運動」とも連続しています。

豊嶋 自分には「正しさ」に対する憧れがありました。市民運動のように社会と接続して行われる物事のほうが、実際に世の中を動かす分、隔離された美術業界でやることより正しいという仮説があったのです。その背景には、3.11の影響もあったと思います。署名活動のために、それまで避けていた人との会話も積極的にするようになりました。
ところが、署名活動を続けるうちに葛藤があり、この社会的なアクションと自分の制作との関係をもっと抽象化したいと思うようになりました。というのも、社会的な活動を「個人的な活動」と呼ぶことに疑問を持ち始めたのです。相撲には相撲の世界があり、関係者もいる。それを作品に利用することで搾取しているのではないか。ただ、相撲という自分の関心ごとを避けることにも違和感がある……。そんなことを考えた末に、「だったら、自分の思惑を貫くためには、いったん隠せば良いじゃないか」と思ったのです。それが《隠蔽工作》(2012年)につながりました。

《隠蔽工作 20120625》2012年
東京都現代美術館蔵
撮影:大谷一郎

──社会的な活動を自分の表現と呼ぶことにも、それを表現にしないことにも違和感もある。ならば、隠しながらやればいい。それが「抽象化する」ということなのですね。

豊嶋 そうですね。べつに犯罪でもないし、社会的な行為を自分の行為と思うのも自由なら、それを隠すのも自由だろうと。隠して好きにやるという自由を得たわけです。
《隠蔽工作》は、二つの木のパネルが二枚貝のように閉じ、さらに内部に多数の開閉式のパーツが組み込まれた作品ですが、隠し方のパターンをいろいろ試すうちに楽しくなり、片方のパネルを独立させ、要素を研ぎ澄ませたのが「パネル」シリーズ(2013~2015年)です。

──国立新美術館の展示「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(2019年)では、それまで隠していた内部の部分を露出するように表にして展示されていました。

豊嶋 どうしても隠している方を見せたくなって、種明かしのように中身を展示しました。面白かったのが、そのときの作品がカジミール・マレーヴィチ(20世紀ロシア・アヴァンギャルドの画家)に似ていたのです。それまで私の関心は古くても1960年代でした。それが、いつのまにか20世紀初めの画家に近づいた。いきなり100年前とつながった感覚でしたね。私はいつも、美術史を情報として理解するより、自分の行為を通して後から理解できるところがあります。自分のなかで仮説的に、その時点でギリギリまで考えたことを具体化すると、そこから違うものが見えてくるんです。

《パネル #22》2014年
作家蔵
撮影:星野健太

自分の感覚を突き詰める。人間関係の構造に目を向ける

近年は、円形のパネルを同心円状に重ねた「地動説」(2020年)など、円形のモチーフが印象的な作品を多く制作している。

──円形の作品を始めたきっかけはなんですか?

豊嶋 草刈りです。3.11のあと地元で再生可能エネルギーのNPOを立ち上げる動きがあって、それに加わったのですね。大勢で出資して小さな太陽光発電所ができたのですが、太陽光パネルの周りの草を刈らないといけない。そこで日立製のマシンを購入し、作業中に草刈り機の先端の回転するビット(円形の刈刃)を見ているうちに、だんだんそれが抽象化されてきたのです。
太陽光で発電する装置の足元に生える草を、原子力発電とも関わりのあるメーカーの機械でカットしていること。回転する円で、回転する地球の地面と接していること。また、以前から映画『博士の異常な愛情』(1963年)のストレンジラヴ博士が持っている円形の器具(放射性物質の半減期を示すスケール)が気になっていて、そこに放射能のハザードシンボルなども重なり、円形の作品を多く作ることになりました。最近ではこの「地動説」とパネルを組み合わせたような作品も制作しています。

《回転左右》2018年
個人蔵
撮影:豊嶋康子
《地動説 2020 ナルガエ》2020年
作家蔵
撮影:星野健太

──お話を聞いてきて、豊嶋さんが長年、ご自身の関心を一歩ずつ進めてきたのだなと感じるのと同時に、キャリアのなかで、豊嶋さんが2000年代に感じたのと同じような悩みにぶつかる作り手も多いのではないかと思いました。作家活動を長く続けるうえでのアドバイスはありますか?

豊嶋 私もアドバイスが欲しいくらいなんですけど(笑)、ひとつ言えるとしたら、仮の設定でもいいので、自分が正しいと思う方向でやっていくことでしょうか。自分のなかで薄々感じている「正しさ」がありますよね。周りに合わせず、それを突き詰めていくといいのではないでしょうか。いまは情報が溢れていますが、ハウツーは時代ごとに変わるものです。だから活動の軸や価値観はできるだけ自分基準でやっていくべきだと思います。
あとは、できるだけ人と群れないほうがいい。アーティスト同士で団体を作ることもいいのですが、群れることで自分を曲げる部分が出てくると思うんです。どんな団体であれ、人が集まればヒエラルキーや上下関係が生まれます。主張の正しさだけではなく、その奥にある人間集団の「構造」に繊細であってほしい。そうすれば必要なときにだけ連帯し、それ以外は自由でいられる。これは人付き合いや結婚など含め、すべてについて思います。

──東京都現代美術館での個展「豊嶋康子 発生法──天地左右の裏表」の見どころを教えてください。

豊嶋 初期から現在までの作品を同じ平面の上に並べようと考えています。私は文房具から投資、円形の回転などさまざまに対象を変えてきましたが、そこにはつながりがある。普段の個展やグループ展では、その連続する線の断片しか紹介できませんが、ある作品の前段階にはどんな作品があるのか、並行してどんな作品を作っていたのかなど、作品が発生する過程や、複数の作品が同時発生する様を見られるのが見どころだと思います。自分のなかではすべてが時系列でつながっているのですが、鑑賞者にはその時々の作品しか見えていなかった。その間にある見えない線を共有できればいいなと思っています。

Text:杉原環樹(ライター)
Photo:栗原論

豊嶋康子
Yasuko Toyoshima

1967年、埼玉県生まれ。同地在住。1993年、東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻修士課程修了。1990年、田村画廊にて初個展。その後、秋山画廊(東京)、M画廊(足利市)、ガレリア フィナルテ(名古屋)、Maki Fine Arts(東京)などで継続的に個展を開催。近年の個展に、「公開制作27 豊嶋康子『色調補正』」(府中市美術館、2005年)、「資本空間 スリー・ディメンショナル・ロジカル・ピクチャーの彼岸vol.1」(ギャラリーαM、2015年)ほか。グループ展に「ART TODAY 1990」(高輪美術館、1990年)、「傾く小屋」(東京都現代美術館、2002年)、「第9回恵比寿映像祭 マルチプルな未来」(東京都写真美術館、2017年)、「アッセンブリッジ・ナゴヤ2017」(旧・名古屋税関港寮、2017年)、「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(国立新美術館、2019年)ほか多数。東京造形大学教授。

豊嶋康子
発生法──天地左右の裏表
会期=2023年12月9日(土)~2024年3月10日(日)
会場=東京都現代美術館 企画展示室 1F
休館日=月曜日(1月8日、2月12日は開館)、12月28日~1月1日、1月9日、2月13日
開館時間=午前10時〜午後6時(入場は午後5時30分まで)
観覧料=一般1400円、大学生・専門学校生・65 歳以上1000円、中高生600円、小学生以下無料
https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/toyoshima_yasuko/

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