10年以上続くトーキョーワンダーサイトのレジデンス・プログラム「クリエーター・イン・レジデンス」。東京から海外へ、海外から東京へという相互のアーティスト派遣を行なっています。2016年度の参加アーティストの中からトーキョーワンダーサイト本郷で開催された成果発表展「トーキョーワンダーサイト レジデンス2016-2017『C/Sensor-ed Scape』」(4/15-5/28)にも参加した瀧健太郎さんと、山田健二さんにアーティスト・イン・レジデンスを活用したサバイバル術を伺いました。
[アングラとは何か①]アングラの“ルーツ”とは?
西堂行人のトーキョー・シアター・ナビ
No.0011960~70年代、既存の演劇のあり方に反し、前衛的で実験的な表現に過激に挑戦した「アングラ演劇」。現代の東京の演劇シーンにもつながるその歴史を、「未来の演劇への手がかり」として、演劇評論家の西堂行人さんがご紹介します。記念すべき第1回は「アングラの“ルーツ”とは?」です!
劇団唐組『吸⾎姫』(2018年5〜6⽉、新宿・花園神社、雑司ヶ⾕・⻤⼦⺟神で東京公演。その他地⽅公演あり)より
© 唐組
東京芸術劇場の企画「現代演劇“RooTS”シリーズ」では、60~70年代に出発した劇作家たちの作品に若手・中堅の演出家が挑んでいる。これまで5つの作品が上演されたが、巨匠たちの作品は手強く、初演を超えることの難しさを実感した。その理由を考えてみると、いくつかのことが思い当たる。現在上演されている戯曲作品に比べると、60~70年代のそれは圧倒的に難解で解釈不可能なこと。「分かりやすさ」をモットーとする現在にはとうていありえない難解さがまず高い壁になっていることである。
次に、戯曲自体が詩的で虚構性が高いため、これを演じる俳優に非常に高い技量が求められる。現在の俳優は日常に根ざした演技は巧みでも、虚構性の高い言葉にはアプローチの方法を持たないように見える。蜷川幸雄は、唐戯曲を上演するさい、唐世界を理解している俳優(金守珍や六平直政ら)を加えて、他の俳優との仲介役を果たさせていた。一種のドラマトゥルクの役割である。こうした工夫も必要なのではないか。
さらに決定的なのは、芝居に持ち込む観客のエネルギーがまったく違うことである。かつての観客は難解さを気にも止めなかった。解釈不可能な作品に挑むことは当たり前で、舞台と思想的に対決し、対話していた。つまり彼らは演劇に娯楽以上のものを求めていたのである。
自分の中にある枠組みが壊れ、自明性の呪縛から解放されることが真の意味での「出会い」なら、60~70年代の演劇は、先進的な観客と新しい演劇との「出会い」そのものだった。「演劇とは出会いである」とは寺山修司が提唱していたことだが、これは自明性や既知のことを疑い、未知の領域に想像の翼を広げていくことに他ならない。
当時、観客の多くは若者だった。彼らは歴史上はじめて時代の波頭に立ち、いままで経験したことのない局面を生きようとしていた。創る側も若ければ、それを受け止め伴走する観客もまた若かった。総じて、日本社会自体が若く、清新なエネルギーに満ち溢れていた。
こうした時代の演劇は「アングラ」と呼ばれた。「アングラ演劇」は、いかがわしい地下の隠花植物に喩えられるが、そのイメージとは裏腹に、既成の価値観を逆転させる「革命」を意味していた。新しい文化や芸術は必ずマイナーで周縁的なところから発生する。そのマージナル性が当時のメインストリームであった「新劇」に揺さぶりをかけ、やがて演劇界の構図を逆転させた。1970年代の半ばには、この逆転現象は明確になり、演劇界の担い手たちは世代交代していった。
ではこの「交代」は演劇そのものの解体と再構築を意味したのだろうか。アングラは新劇の命脈を絶ち、パラダイムを完全に更新したのだろうか。ここに演劇史の課題がある。
〈続〉
西堂行人(にしどう・こうじん)
演劇評論家。明治学院大学文学部芸術学科教授。1954年東京生まれ。78年より劇評活動を開始し、アングラ・小劇場演劇をメインテーマとする。主な著書に『演劇思想の冒険』『韓国演劇への旅』『[証言]日本のアングラ』『唐十郎 特別講義―演劇・芸術・文学クロストーク』(編)など多数。最新刊は『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇』。