――今日は蓮沼さんの個展「作曲的|compositions : rhythm」会場に来ています。冨永さんは、美術館などでの展覧会はお好きですか?
蓮沼執太「作曲的|compositions : rhythm」スパイラルガーデン
アーティスト/蓮沼執太さん×ピアニスト/冨永愛子さん[後編]
異分野×アーティスト
No.002音楽が生まれ、奏でられ、人々に届くとき、
そこでは何が起きている?
異なるフィールドで活躍する2人が、率直に語り合います。
アーティスト/蓮沼執太さん×ピアニスト/冨永愛子さん[後編]
蓮沼執太「作曲的|compositions : rhythm」スパイラルガーデン
前編とは舞台を移し、後編では冨永さんが蓮沼さんの新作展覧会を訪問。
「作曲」という手法をさまざまなメディアに応用し、新たな表現に挑んだ蓮沼流「音楽の展覧会」を、冨永さんはどう体感したのか―。
会場での楽しいやりとりをお届けします。
撮影協力:スパイラルガーデン
冨永 印象派の絵画展などが好きで、時々行きます。この蓮沼さんの個展は、だいぶ趣が違って新鮮ですね。映像もあれば、彫刻や楽器とも言えそうなものもあるし……多面的かつ体感的ですね。たとえばこの、3つのモニターでそれぞれの楽器演奏の映像が流れる作品《リズム - ヴィデオ》は、合奏のようですが、一つひとつの映像はソロ演奏ですか?
蓮沼 そうです。ソロの即興を別々に撮影し、その映像を使って僕が「作曲」したものです。ふだん僕は録音→編集という形での曲作りが多くて、これを録画した映像を素材にやったらどうなる?という試みです。単体では「音」としか認識されないかもしれないものが、たった3つでも集まると「音楽」になる。それは、聴く側が何かの調和を感じたときと言えるかもしれません。
冨永 シンプルなのに、いろんな感覚を刺激される作品ですね。「目で感じるアンサンブル」のような……。展覧会タイトルに「作曲的」とあるのがまさに! という印象ですが、タイトルには「リズム」というキーワードも入っていますね?
蓮沼 展覧会など空間を使う表現に取り組む際、やはり僕は自然と音楽を通じて考えるようで、西洋音楽の三大要素とされるメロディー、ハーモニー、リズムのことが思い浮かんだんですね。ちょっと冗談みたいな話と思われるかもしれませんが。
冨永 いえいえ。むしろ私にとっては馴染みやすいかもしれません。
蓮沼 それで、これを近年の自分の活動に当てはめると、メロディーといえばまさにソロアルバム『メロディーズ』で、ある種の歌謡曲的な歌モノをやったり、ハーモニーといえば「蓮沼執太フィル」を組んで演奏家たちとのアンサンブルを試みたりしてきました。それなら次はリズム=律動かな?というのが今回の展覧会につながっています。各作品の与えるイメージの「重さ」「軽さ」もリズムと言えるし、会場内の2ヵ所のスタッフさんたちが、30分ごとに同時にこっそりオルゴールを回す作品《そして私 - パフォーマンス》も、空間上のリズムという考えから生まれたものです。
冨永 多面的な活動に見えて、蓮沼さんの中では全てつながっているんですね。つながっていると言えば……この作品、さっきから気になっていたんです。都会の中を、ヘッドフォンをした蓮沼さんが淡々と歩く映像で、良く見るとボーカルマイクを引きずりながら、その音を聞いているっていう。これはまさに、蓮沼さんがご自身の原点と仰っていたフィールドレコーディングですよね。
蓮沼 そうですね。《ウォーキング・スコア》という作品です。スコア=楽譜って「指示書」でもあるなと思い、同じく歩くための指示書と言える地図(Google map)を使い、展覧会場付近の南青山エリアを30分ほど歩きました。
冨永 道ってこんな音やリズムがするんだ!という新鮮さがあり、時には演奏のようにすら聴こえてきます。
蓮沼 行く手に警察官がいらっしゃって、特に法律違反もしてないのですが、手前の路地裏に進路変更というチャンス・オペレーション(偶然を利用してスコアを作成する手法)的な場面もあります(笑)。
――さて、この会場空間でもっとも特徴的といえる吹き抜けの円形アトリウムにやってきました。気持ち良さそうなハンモックがありますね。
冨永 私、実はハンモック初体験です! 吹き抜けの上のほうから、気づかないほど控えめなボリュームで音楽が鳴っていますね。
蓮沼 この作品は《アンシーン》と名付けたもので、吹き抜けの上のほう、見えないところに置いたスピーカーから、僕の作ったサウンドを流しています。この会場で展覧会をする多くの作家は、まずこのアトリウムに何を置くかを考えると思うんですね。でも僕は音楽をやっていることもあり、あえて何も置かない、言い換えれば「空虚な何かをインストールする」ことができたらと考えました。それで、すぐ隣のカフェのざわめきからも離れ、しばし頭の上に広がる空間を見てもらえたらと思って。「記録と体験の反転」みたいなことも考えながら生まれた作品です。
冨永 私が演奏するコンサートなどの場では、基本的に、お客さんは舞台上で行われることに集中してくれます。それが当然と感じてきましたが、この作品を通じて、表現にはより多面的な感じ方もあることを実感しました。自分の体を動かすことでハンモックが揺れたり、カフェがあるからか、空間には香りもあることに気づいたり――。もちろん展覧会と演奏会は違いますが、何かヒントをもらえた気もします。
蓮沼 感じ方は人それぞれというのは、展示後半にもつながるかもしれません。《ブーメラン》は、シンプルな短い旋律をいろんな人に聴いてもらい、その場で歌って再現した記録した映像です。
冨永 忠実に再現しようとする人、ラップを始めちゃう人、さらにそのメロディーを伴奏にして全く別の歌を歌い始める人までいて、楽しいですね。東京、青森、ナイロビと、土地柄の違いも感じられます。ナイロビの人たちの自由すぎる感覚、私も欲しくなります(笑)。
蓮沼 声のリズムにも興味があるんです。続く《届かない声》では単一志向性スピーカーを使い、正面で立ち止まると聴こえるけれど、通り過ぎると耳に入らなくなる「声」を流しています。声は報道でも広く知られたある事件にまつわる映像から抽出したもので、政治的な側面も暗示するものになりました。
――そこから、会場の環境音を取り入れた作品《フィードバック》へとつながる展示の流れも、連想を広げてくれますね。
冨永 今日はこうして、作家ご本人とお話しながら展覧会をめぐる贅沢な体験ができました。たとえばベートーヴェンの『運命』は予備知識なしで聴いても強い印象を残しますが、あの有名な旋律が運命の扉をノックするリズムでもあると知ると、より豊かな体験につながる。特に私はピアニストとして、演奏する曲について自分なりに掘り下げる過程は欠かせないのですが、音楽家・作曲家の頭の中を覗けるような体験は滅多にありません。その意味でも新鮮でした。
蓮沼 そう言って頂けると、嬉しいです。
冨永 個々の作品に加えて、展示構成も大切だと実感したのですが、こちらはどうやって考えるのですか?
蓮沼 それが、細かい過程は忘れちゃうんです、僕(笑)。もちろん考えてつくるし、空間との戦いみたいな面もありますが、多くは会場をじっくり見る中で、気がついたら決まっている。
冨永 そこは何か、モーツァルトのようでもありますね。彼は多くの著名な作曲家の中でも、試行錯誤の記録が残っていないことで知られています。それが天才と呼ばれる所以かもしれないし、一方で考察のヒントが少ないので研究者は大変だとも聞いたことがあります。
蓮沼 最近はもう自分がやっていることを、「全部音楽です」とこれまでのように言い切ることに限界も出てきたと思っています。アルバム作りという記録の行為とも、ライブという現全性の中で追究する行為とも、明らかに違う面があるから。ただ、その2つの音楽活動からこぼれ落ちるものの中にも、僕にとって大事な要素があります。この展覧会はまさにそういう存在で、会期中にダンサーを招いてのパフォーマンスも行いました。そうして「広げる」ことで自分の表現を深め、力強いものにしていけたらと思うんです。
冨永 私もこれから、自分にとっての「多面的なピアノ演奏」を考えてみたいと思います。感情や好奇心といったものの重要さにも、改めて想いをめぐらせることができました。今回は私のコンサートに来ていただき、またこのような機会を得てとても良い刺激になりました。ありがとうございます。
蓮沼 こちらこそ、冨永さんのような演奏家の方から率直な感想や意見をもらえて、とてもありがたいです。また、何かご一緒できたら嬉しいですね。ありがとうございました。
構成:内田伸一
冨永愛子(とみなが・あいこ)
1987年、神奈川県生まれ。東京音楽大学ピアノ演奏家コース卒業、ドイツ国立エッセン・フォルクヴァンク芸術大学・プロフェッショナルパフォーマンスコース(修士課程)修了。2008年、第6回東京音楽コンクールピアノ部門 第1位。レパートリーはバロックから現代まで幅広い。
蓮沼執太(はすぬま・しゅうた)
1983年、東京都生まれ。コンサート公演をはじめ、映画、演劇、ダンス、音楽プロデュースなどでの制作多数。近年では、作曲という手法を様々なメディアに応用し、映像、サウンド、立体、インスタレーションを発表。最新アルバムに『メロディーズ』(2016)、シアターピース『TIME』(神奈川芸術劇場・KAAT)。主な個展に『have a go at flying from music part3』(東京都現代美術館 ブルームバーグ・パヴィリオン 2012)など。