――長田さんは2017年、尾田栄一郎さんの漫画『ONE PIECE』の20周年記念マガジンで、同作をモチーフにした絵本作品「光と闇と ルフィとエースとサボの物語」を3回にわたり連載しました。これもユニークなお仕事ですね。
映画監督/石井裕也さん×絵本作家/長田真作さん[後編]
異分野×アーティスト
No.004映画と絵本、それぞれの舞台で活躍するふたりの思い。
「わからないこと」の大切さとは?
映画監督/石井裕也さん×絵本作家/長田真作さん[後編]
映画監督の石井さんと絵本作家の長田さんによる異分野対談の後編。親交のあるふたりならではの対話は、創作を刺激してくれる「根拠のある無茶ぶり」、作家性と商業性のバランス、そして表現の時代性と普遍性にまで広がりました。
長田 依頼を頂いたときは、絶対ウソだと思いました(笑)。でも話を聞くと、尾田さんも僕の絵本にある「不安」に目をとめてくれたようなんです。本家を意識しすぎては負けてしまうから、自由にやらせていただきました。結果、愉快な気持ちで『ONE PIECE』特別号をめくっていくと、異様に不安なページが混じっているという(苦笑)。でも尾田さんご本人は「こういう見方があるんだ」と仰ってくれたと聞いて、嬉しかったです。自分の描いたものがこういう形で世の中に広く届いたことも、ふだんひとりで作る絵本とは別の意味合いがあったと思います。
――予想外の角度から依頼された仕事が、自分の可能性を広げるということは、石井さんにもありますか?
石井 たしかに『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』も、詩集を原作に映画を作ろうと(孫家邦プロデューサーから)最初に提案されたときは「うーん、コレ、どうしようかな」と思いました。でも、いわゆる無茶ぶりって、されたらされたで楽しくない?
長田 それはありますね(笑)。編集者の方などに「あなたのこういう要素を私は知っています」「だからきっと、こういうのもできるんです」と言われると、自分でも意識していない部分が暴かれる。そこから表現に落とし込むのが僕の腕の見せ所になるので、創作の助けになってくれます。いつもうまくいくわけでもないけれど、ありがたいですよね。
石井 だから極端な話、「長田さん、次は女性のハダカ描いてみてください」でもいい。もちろん根拠は必要ですけどね。仕事の依頼ってどうしても「この前のアレがすごく好きで、またああいうものをぜひ」というのが増えていく。でも、それに応え続けるだけだと、その領域において深く、鋭くはなるけど、一方で閉じていく。だからギョッとしつつも、ちょっとワクワクもするような提案をどんどんしてほしい…みたいなマゾヒズム的な一面も、我々(作る側)にはありますね。
原点と、そこからの岐路
――一方でデビュー時には、自分はまずこれを作りたい、という原型のような世界が、作品に強く反映されるのかなと想像します。
石井 処女作とはいわば作家の所信表明ですからね。その後、経験と年齢を重ねるなかでディテールは変容していくし、むしろそうあるべきでしょうけれど、大枠は変わりようがないのではとも思います。でも、これは「処女作」をどこに定義するかによっても変わってくるかもしれません。僕の初めての長編映画は、大学の卒業制作で作った『剥き出しにっぽん』(2005)ですが、そこから数年後に『川の底からこんにちは』(2009)で商業映画デビューをしたので、その意味ではこれも処女作といえます。
――表現する上での商業性と作家性の関係という点でも、興味深いお話だと感じます。石井さんは、このあたりをどう考えていますか?
石井 自主制作映画など、作り手自身が作品に満足できればいいという映画があってもいいし、何百万人の観衆を相手にする映画もあっていいと思うんです。絵もそうで、売れなくとも好きで描き続ける人、また売るために描く人がいてもいい。いろんな選択ができるはずで、普通は各々思うところあって、進む先を自然に選んでいくものだと思う。単純に、もう少し稼ぎたいという理由もあり得るでしょうし、それなら商業映画の世界だなと選択していく。すると必然的に、より多くの人に見てもらうにはどういうことをすればいいのか考える。そういう選択も、ひとつのセンスのような気がしていて。
――石井さんご自身にもそうした選択が?
石井 そうですね。いまお金の例を挙げましたが、僕はもう明確にそうでした。商業映画デビュー作も、「売る」という気分がはっきり自分のなかにありましたから。なぜなら自主映画時代、誰にも評価されない、貧しい暗黒の時代を経験して、このままだと自分がやりたかった表現はできないし、ここは自分がいたい場所ではないと考えたのでしょうね。若い人たち同士で金の話をすると、すごくダサいよという感じになりませんか?
長田 ああ、なるほど。
石井 でもやっぱり、僕は欲しかったんですよね。そんな大金ではなくて、でも、ある程度きちんとした暮らしをしないと、やりたい映画も作れないのではと考えていたんです。より商業的になればなるだけ「やりたいことを我慢しなければならなくなる」可能性もありますが、そうならないよう色々考えてきましたし、実際、割とやりたいことができているほうだと思います。
長田 僕も、自分がやりたい「気分」みたいなものに対して、制作の現場で「子供にわかりますかね?」と言われることはあります。でも僕は、「わかりやすい」はすごく不透明な言葉だなとも思うんです。子供たちではなく、そう言う大人が「わかっていない」だけかもしれませんし。だからそういう編集者の方とは、結果的にあまりお仕事ができていないです(苦笑)。でも僕が幸運なのは、今回の原画展も出版社6社が合同で企画してくれるなど、豊かな絵本の土壌において、こんな作家もいるよという場を用意してもらえている。それがありがたいですね。
普遍性と時代性
――最後に、絵本と映画というメディアの違いについて、お互いの領域への想いがあれば教えていただけますか? たとえば、映画における作品と時代の結びつきや、絵本における普遍性のようなものもあるでしょうか。
長田 僕の場合、普遍性は意識していません。ただ、今日は冒頭から石井さんが「気分」という言葉を発せられて、これはエンターテインメントとの付き合い方がすごく難しいところですよね。気分って自分のなかの作業で、それを扱う作品というのは、見ている方も苦しかったりするから。みんながわかりたいという時代には、そっぽを向かれかねないとも思います。それをどこかで解消してしまうのか、永遠に「持ち帰り続ける」のか。でも、たとえば20代で飛び跳ねて聴いていたブルーハーツを40代になって聴いて泣いた、というような話は、年月を経た気分の違いであると同時に、もしかしたら普遍性と呼べる何かなのかなとも思う。
石井 映画と時代の関係というのは、ありますよね。映画は人間を描くものでもあり、その人間は社会や世相を当然背負っている。だからどの時代に作られるかということも、すごく重要になります。特に最近、そう感じるようになってきました。今度、フルーツ・チャン監督の『メイド・イン・ホンコン』(1997)がリマスター版で上映されますが、これはちょうど香港返還の時期に生まれた映画です。社会的・歴史的に大きな出来事と、作中のラブストーリーや若者の死が結びついている。おそらく、当時の香港社会の不穏な気分ともどこかでつながっています。それを記録するのも、映画のひとつの役割のような気がするわけです。東京でいえば、いま2020年に向けていろいろなことが活発に動いていますが、その後のことは見ないようにしている部分もあると思う。そういう、熱くもなく、ぬるいんだけど結構きつい、みたいな気分は撮りたいですね。
長田 特に石井さんのように実写中心の映画は、ロケーションなども作用しますよね。さらにさまざまな人が関わり、総合芸術として、同時に記録的なものとしての映画が生まれる。そこは絵本の寛容さとも異なる、映画の広大さを感じます。あと、映画がすごくいいなと思うのは、音楽が使えることです。僕も、読み手のなかで音が聞こえてくる絵本っていいなと思っていて。ボレロみたいな絵本、口笛のような絵本があってもいい。もちろん映画と絵本はいろいろ異なりますが、映画の魅力的な要素を自分なりに取り入れているところはあります。
石井 僕からすると、サクの絵本のような仕事は、シンプルな表現だからこそ、作品がひとり歩きして広がっていく動きも生まれ得ると感じます。今日、彼が着ているシャツ(ファッションブランドOURET と長田さんのコラボレーション)もそのひとつですね。そういう広がりは映画にはあまりないので、本当にうらやましい。たとえばこの洋服を着てみたい、ということからサクの絵本にふれる人がいてもいいわけですからね。表現というのは、広げていくことも重要だと思うんです。
〈完〉
構成:内田伸一
Photo:中川周
取材協力:
GOOD MAD 長田真作原画展
2018年1月5日(金)~1月14日(日)
会場:渋谷ヒカリエ 8/01/COURT
主催:現代企画室、リトルモア、PHP研究所、岩崎書店、方丈社、国書刊行会/協力:OURET
企画:小倉裕介(現代企画室)/制作:伊藤ヨシタカ(ルートカルチャー)/空間デザイン:吉田英司(Ballon)/グラフィックデザイン:久保頼三郎/照明:篠原力/制作協力:新井鈴香
石井裕也(いしい・ゆうや)
1983年生まれ。大阪芸術大学の卒業制作として映画『剥き出しにっぽん』(91分/16ミリ/2005)を監督。主な監督作に『川の底からこんにちは』(2010/第53回ブルーリボン賞監督賞他受賞)、『舟を編む』(2013/第37回日本アカデミー賞最優秀作品賞他受賞)、『ぼくたちの家族』(2014)、『バンクーバーの朝日』(2014)など。
長田真作(ながた・しんさく)
1989年広島県生まれ。2014年より独学で絵本の創作活動を始める。2016年に『あおいカエル』(リトルモア)でデビュー。以降『タツノオトシゴ』『コビトカバ』(以上、PHP研究所)、『かみをきってよ』(岩崎書店)、『きみょうなこうしん』『みずがあった』『もうひとつのせかい』(以上、現代企画室)、『ぼくのこと』(方丈社)、『風のよりどころ』(国書刊行会)、『ONE PIECE picture book 光と闇と ルフィとエースとサボの物語』(集英社)などを刊行。
http://www.nagata-shinsaku.com