世界で最も有名な絵画の一つである《叫び》。その着想源にはムンク自身の体験があったとされています。ある夕暮れ時、フィヨルドが見えるクリスティアニア(現在のオスロ)の道を歩いていたムンクは、血のように赤く染まっていく空を前に、極度の不安に襲われ、自然を貫いていく「叫び」を聞きました。これを作品とするべく試行錯誤を重ね、正面を向いて必死に耳をふさぐ、この印象的な人物が生まれたのです。SNSやテレビでも目にする機会の多い《叫び》ですが、ムンク自身も絵画と版画でいくつかのバージョンを制作しています。2018年にはオスロ市立ムンク美術館所蔵の《叫び》(1910年?)が来日しましたが、こちらはそれよりも早い時期にドイツで制作されたもの。テンペラとクレヨンを用いた荒々しい描線が特徴で、それによって切迫した感情が生々しく表現されています。
オスロ国立美術館 エドヴァルド・ムンクの代表作
パブリックドメインで巡る世界の美術館
No.008パブリックドメインとは、著作権を有さない公共の知的財産のこと。世界には、そのような所蔵品をインターネット上で公開している美術館があります。パブリックドメインとなった所蔵品を取り上げ、その魅力をあらためて紐解きます。
パブリックドメイン(公共の知的財産)となった所蔵品をオンラインで公開している、世界の美術館を巡るシリーズ。第8回は2022年6月にリニューアルオープンしたばかりのオスロ国立美術館の所蔵から、ノルウェーを代表する作家、エドヴァルド・ムンクの作品をご紹介。有名な《叫び》をはじめ、ムンクの画業を多角的に鑑賞できる3作品を、DIC川村記念美術館の亀山裕亮さんにご解説いただきます。
エドヴァルド・ムンク《叫び》1893年
エドヴァルド・ムンク《生命のダンス》1899~1900年
明るい夏夜の浜辺、海には滴り落ちるような月光がきらめいています。ムンクの絵画で何度も登場する、オスロ近郊の避暑地オースゴールストランを思わせる風景です。ムンクはたびたび訪れたこの美しい土地を、生命をめぐるドラマの舞台としました。中央では男女が手を取り合って踊っており、女性のドレスや髪が絡みつくような曲線を描くことで、2人は溶け合うかのように見えます。左右の端には白と黒のドレスを着た2人の女性が立ち、若さと老いとを象徴しているかのようです。ムンクは病や死、愛や嫉妬などをしばしば絵画の主題としており、それらを〈生命のフリーズ〉という連作にまとめようと考えていました。人間のさまざまなありかたを一枚の絵画のなかで描いたこの《生命のダンス》は、そのなかでも重要な一点です。
エドヴァルド・ムンク《スペインかぜの自画像》1919年
この自画像はスペインかぜにかかった自分の姿を描いたものです。スペインかぜは1918年から20年にかけて世界中で大流行しましたが、ノルウェーでも100万人以上が感染し、当時50代であったムンクもその一人となってしまいました。描かれたムンクは分厚い上着を肩から羽織り、顔つきもやつれています。背景のベッドは整えられておらず、先ほどまで寝ていたのでしょうか。病にさいなまれた彼の姿が、鮮明に描かれています。ムンクは青年時代から晩年に至るまで、何度も自画像を描き続けた画家でした。そうすることで自分という存在を直視し、客観的に分析しようとしたのかもしれません。スペインかぜという病に直面してもそこから目をそらさず、作品へと結実させようとする真摯な(あるいはしたたかな)姿勢は、今日でもなお新鮮に感じられます。
Text:亀山裕亮(DIC川村記念美術館 学芸員)
オスロ国立美術館
1837年、ノルウェー議会によって初の公立の美術館として誕生。2022年6月、リニューアルオープン。これまでオスロ市内に点在していた国立美術館群のうち3つのミュージアム(近代以前の美術、現代美術、デザイン・工芸)が統合し、収蔵品は40万点以上、北欧地域で最大級の国立美術館となった。ムンクの画業の中核をなす貴重な作品群を展示する「ムンクの部屋」も新設。
https://www.nasjonalmuseet.no/en/
住所:Pb. 7014 St. Olavs plass N-0130 Oslo ノルウェー
入館料:大人NOK 180、シニア・18–25歳NOK 110、17歳までは無料