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旧岩崎邸庭園〈前編〉

東京の静寂を探しに

No.010

写真家の櫛引典久さんによる写真と、東京都江戸東京博物館学芸員の田中実穂さんの解説で、東京都内の庭園の魅力をお届けする連載。今回はおしゃれな洋館が目を引く、明治の実業家・岩崎家ゆかりの「旧岩崎邸庭園」を訪問しました。今回はスペシャルゲストに建築史家で東京都江戸東京博物館研究員の米山勇さんを迎えて、庭園だけでなく建物の見どころもたっぷりお届けします。


写真:櫛引典久

お話:田中実穂(東京都江戸東京博物館学芸員)

協力:公益財団法人東京都公園協会


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2023.01.25

3つの建物がリズミカルに並ぶ

今回私が訪れた旧岩崎邸庭園は、その名の通り、明治の大財閥である岩崎家の本邸と、付属する庭園です。江戸時代は越後高田藩榊原氏、明治時代初期は舞鶴藩牧野氏の屋敷でしたが、1878(明治11)年に岩崎彌太郎がこの地を購入、1896(明治29)年に三代目当主、久彌(ひさや)の本邸として造られました。
いつもは私が庭園をご案内していますが、今回は建物がメインの庭園ということで、同じ東京都江戸東京博物館で日本の建築史を研究している米山勇さんにも来ていただきました。旧岩崎邸庭園の庭園や建物を見て参りましょう。

右から、旧岩崎邸庭園サービスセンター長の鈴木弓さん、東京都江戸東京博物館研究員の米山勇さん、話者(東京都江戸東京博物館 田中実穂)

「旧岩崎邸庭園は、17世紀イギリスで流行したジャコビアン様式の洋館、スイスの山小屋風の撞球室(ビリヤード場)、室町時代から江戸時代の初めにかけて成立した書院造の和館と、スタイルの違う3つの建築を一度に味わえるのが素晴らしいですね」と米山さん。
イギリスの建築家ジョサイア・コンドルが洋館と撞球室の設計、敷地全体のデザインを担当、和館は明治の名棟梁である大河喜十郎が手掛けたと伝えられています。

旧岩崎邸庭園 見取り図

旧岩崎邸は、和風・洋風の建築様式を組み合わせた和洋併置式住宅の典型と言われ、1896年には住居となる和館とともに客人の接待や宴会に使用する洋館と撞球室が完成しました。洋館と和館は渡り廊下で、撞球室は洋館と地下通路でつながっています。
「洋館、和館、撞球室が斜めに連なっているでしょう。これは雁行配置といって、書院造の形式です。建物ごとに視界が区切られ、それぞれの景色が望めます」と、米山さんは解説します。

かつての敷地面積は約1万5,000坪、建物は20棟に及びましたが、現在の敷地は3分の1となり、当時は庭園で最も大きな建物だった和館も、現在は3部屋が残るのみとなっています。

開放的な「使う庭」と箱庭のような「見る庭」

芝庭の奥にある石灯籠
『東京旧庭』より

旧岩崎邸庭園には、大きな池や築山はありません。洋館や和館の南東側には広々とした芝庭が広がっています。今まで訪れた庭園とは違い、岩崎家やコンドルの意向を反映しているわけではない、オーソドックスで柔らかい雰囲気の庭です。
幕末から明治時代にかけて、庭園は石や草木の配置が少なくなり、土地も平らかになっていきます。大名庭園に多い池泉回遊式庭園のように見立ての庭を散策するだけではなく、よりのびのびと楽しめる庭になっていくのです。

この芝庭では、主に賓客をもてなす行事が行われていましたが、客人のない日には子どもが自転車に乗り、久彌が投網の練習をしていました。清澄庭園では、石好きの初代当主の彌太郎が全国各地から集めた石がありましたが、この旧岩崎邸庭園ではどうでしょうか?
旧岩崎邸庭園サービスセンター長の鈴木弓さんは、「特徴的なのは、芝庭にある石灯籠や貝の形にみえるハマグリ石、和館の巨大な沓脱石(くつぬぎいし)でしょうか。久彌と孫たちが芝庭の石に座っている写真も残っていますよ」と、久彌のエピソードも交えてお話しくださいました。開放的な芝庭を囲むように木々が茂り、庭石は庭の要として空間を引き締めます。

1階ベランダ

米山さんによると、コンドルは庭に関する著作もあり、建物からの庭の見え方には注意を払っていたと言います。
「洋館に設けられたベランダは、通常は直射日光を避け、暑さを凌ぐために設けられます。ここでは建物の内と外をつなぐ役割も果たしているのですね」。
ベランダには、イギリスの陶磁器ブランド、ミントン社のタイルが敷き詰められ、心地よい風を感じながら庭を望むことができます。見上げるほどに大きな灯籠も、建物から眺めるにはちょうどいい大きさかもしれませんね。

一方で、和館の坪庭は、スラリと枝を伸ばしたモッコク(木斛)、手水鉢(ちょうずばち)、苔むした地面に飛石と、和の趣が感じられます。
「通常、洋館は庭から建物を見るのですが、日本は建物から庭を見る伝統があります。その違いは、この坪庭で実感できると思いますよ」という米山さんの指摘通り、芝庭には特定のビューポイントは設けられていません。一方で、坪庭は渡り廊下の窓から見ることを意識して石や草木を配置されているようです。

私がこれまでの連載で紹介してきたような、石や草木で世界観を造り込んだ「見る庭」と、より主体的に楽しむことができる「使う庭」、対照的な二つの庭を楽しむことができました。

財閥の所有地ゆえの苦難

現代に残る庭園の多くは、戦争や震災に見舞われながらも、庭を愛する人々の尽力によって復興しました。その中でも旧岩崎邸庭園は、とくに長い道のりを経て、都立庭園として開園しました。

カラー部分は現在の旧岩崎邸庭園、グレー部分はかつての岩崎邸の敷地
「茅町本邸内実測図」1917(大正6)年より作成

三代目当主・久彌の私邸だった建物と庭園は、財閥解体により1945(昭和20)年にGHQに接収されました。家族の思い出の詰まった邸は、完全に岩崎家の手を離れることとなります。返還後、1969(昭和44)年には和館が取り壊されて、最高裁判所司法研修所が建設されます。
「その後も清掃工場の建設案が浮上するなど、なかなか庭園としての保存が叶いませんでした」と鈴木さん。

洋館入口のモザイク
『東京旧庭』より

昭和30〜40年代にかけて、敷地内の建造物が相次いで国指定重要文化財に指定されます。本格的に庭園の保存運動が起こったのは平成に入ってからで、1999(平成11)年に敷地全体と実測図が重要文化財に指定、2001(平成13)年に和館と庭園が公開されますが、洋館を含む全面開園は2003(平成15)年を待たねばなりません。
つまり、旧岩崎邸庭園は今年(2023年)でハタチになる、新しい都立庭園と言えるでしょう。

後編では、旧岩崎邸庭園のシンボルでもある洋館、和館、撞球室の見どころを、米山さんとともにじっくりと見て参りましょう。

構成:浅野靖菜

旧岩崎邸庭園
住所:東京都台東区池之端一丁目
開園時間9:00-17:00(入館は16:30まで)
休園日:年末年始
入園料:一般400円、65歳以上200円
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index035.html

櫛引典久(くしびき・のりひさ)
写真家。青森県弘前市出身。大学卒業後、ファッションビジネスに携わり、イタリア・ミラノに渡る。現地で多分野のアーティストたちと交流を深め、写真を撮り始める。帰国後は写真家としてコマーシャル、エディトリアルを中心に活動。著名人のポートレート撮影を多数手がけ、ジョルジオ・アルマーニ氏やジャンニ・ヴェルサーチ氏のプライベートフォトも撮影。都立9庭園の公式フォトグラファーを務めたのを機に、ライフワークとして庭園の撮影を続ける。第6回イタリア国際写真ビエンナーレ招待出品。第19回ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(チェコ)入選。

田中実穂(たなか・みほ)
東京都江戸東京博物館学芸員。特別展「花開く江戸の園芸」を担当。江戸時代の園芸をはじめ、植物と人間との関わりをテーマとした講座や資料解説を手掛ける。また、都内における庭園の成り立ちを周辺地域の特徴から考える講座「庭園×エリアガイド」を行う。

米山勇(よねやま・いさむ)
東京都江戸東京博物館研究員、建築史家。建築を学ぶためのワークショップ「けんちく体操」考案者。学術的活動のほか、メディア出演や講演等を通じ、建築鑑賞の楽しさをわかりやすく広めることに力を注ぐ。著書に『写真と歴史でたどる日本近代建築大観』(全3巻、監修、国書刊行会)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(監修、地球丸)、など。稲門建築会特別功労賞(2009年)、「日本建築家協会ゴールデンキューブ賞特別賞」(2011年)、日本建築学会教育賞(教育貢献)」(2013年)受賞。

講座の詳細については、江戸東京博物館ホームページ https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/ をご覧ください。

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