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旧安田庭園

東京の静寂を探しに

No.012
両国の町のなかの日本庭園。かつて池の水には隅田川の水を取り入れていた Photo: 櫛引典久

東京都江戸東京博物館学芸員の田中実穂さんの解説で、東京都内の庭園の魅力を楽しく学ぶ連載。
今回は、両国・隅田川沿いにある庭園、旧安田庭園を訪れました。水と緑あふれる園内は、地元の人々にとっても居心地の良い場所となっています。その礎を築いたのは、実業家・安田善次郎の熱い志でした。

写真:櫛引典久・中川周
お話:田中実穂(東京都江戸東京博物館学芸員)
協力:一般社団法人 墨田区観光協会

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2024.03.05

江戸と東京を感じる庭園

池のほとりに佇む田中実穂さん。奥に刀剣博物館と東京スカイツリーが見える Photo: 中川周

東京都指定名勝の墨田区立旧安田庭園は、東京都江戸東京博物館の一番近くにある庭園で、私も休憩時間などによく通っています。その名は、明治・大正時代の実業家で、安田財閥の創始者である初代・安田善次郎に由来します。
約1万4千m2と決して広くはない敷地ですが、築山を備えた起伏のある造りで、池や中島、松などの植栽、石組みといった日本庭園の要素、遠くに見える東京スカイツリーが、江戸と東京を同時に感じさせるシンボリックな光景を生み出しています。

旧安田庭園平面図。昭和初期の公園案内に現代の園内施設を追記したもの
園内にあった両国公会堂の様子。2015年に解体され、現在は刀剣博物館が建つ
2007年、田中さん撮影

干満する水辺を歩く

旧安田庭園の特色は、水辺の風景にあります。かつて隅田川の水を引いた潮入回遊式庭園だった名残で、現在も人工的に池の水位を調節しているのです。昔は隅田川も海に近く、東京湾の干満差にともなって川の水位も上下していました。水位が低くなると露出する石の面積が増えて、印象が変わるんです。

池の淵に沿った飛石 Photo: 櫛引典久

石灯篭(いしどうろう)の足元は石浜といって、石を敷き詰めて水辺を表現しています。ここから池の外周に沿って飛石がつながっていて、水位が低い時には歩くこともできるんですよ。けれど、水に埋もれていた石は苔で滑りやすくなっているので、気をつけてくださいね。
水際の近いところまで寄ることができ、カメやカモ、アメンボといった生き物をじっくり観察するにもいいところです。この日はなんとエビもいました。私も初めて見ましたね。

かつては潮入りの池を備えた庭園もたくさんあり、どこも水辺の演出には趣向を凝らしていました。現在、都内で潮入りの池を再現しているのは、旧浜離宮恩賜庭園と旧安田庭園などで実際に海水を使用しているのは旧浜離宮のみです。

石と緑のアクセント

身長の2倍ほどの石板がそそり立つ Photo: 中川周

木立に隠れているところは築山になっていて、水際とはまた違った風景が見られます。築山に登る途中に、大きなふたつの石が園路を挟むように置かれていますね。このふたつの石は、庭園の要となる石ではないかと考えています。
庭づくりには石組みが重視されます。限られた空間のなかに石をどう置くかで、空間の広がりや遠近感といった見た目の印象を変えることができるのです。この大きな石は、池を挟んで反対側から中島を経由して見えるので、庭の景観を引き締める役割を担っているのではないでしょうか。そうでなければ、園路の途中にこんな大きな石を持ってこないでしょう。

水や石と並ぶ日本庭園の見所といえば、四季の移り変わりを感じる植物です。園内に桜はないようですが、他ではあまり見かけないツツジやツバキ、キンモクセイのような花木も植えられて、彩りが感じられます。太鼓橋のあたりは紅葉も綺麗で、絵になるんですよ。広葉樹の葉が落ちると石組みも見えやすくなりますし、中島に植えられた松も、冬には雪吊りが施されます。春夏秋冬で刻々と変わる景色は、毎日見ても飽きないですね。

隅田川の周辺には公園もいくつかありますが、これだけ自然な形で水と緑がまとまっている場所は珍しいかもしれません。だから生き物たちが集まってくるのでしょうね。

庭園の歴史を刻む史跡

園路を奥に進むと、ひらけたところに出ました。ここは一見地味な場所ですが、旧安田庭園の歴史を刻む、大切な史跡があります。

まずは、江戸時代の本所横網町を偲ぶ駒止稲荷(こまどめいなり)と駒止石(こまどめいし)です。三代将軍・家光の時代、隅田川にはまだ両国橋がかかっておらず、現在の北千住と南千住を結ぶ千住大橋があるのみで、この辺りから対岸に渡るには、渡し船を頼るしかありませんでした。そうした状況のなか、1631(寛永8)年に隅田川で大洪水が起こります。家光は被害状況を調べさせようとしましたが、濁流が行く手を遮り、なかなか上手くいきません。そこで阿部豊後守忠秋(あべぶんごのかみただあき)が馬で川を渡り、調査を行いました。この時に馬を止めて休憩したのが駒止石で、周辺に住む人々が忠秋の功績を讃えて建立したのが駒止稲荷です。

そして「至誠勤倹(しせいきんけん)」という石碑も、旧安田庭園を語る上では欠かせません。至誠=公平かつ誠実、勤倹=己の業務を勤勉して冗費(無駄なお金)を使わない、という意味で、かつてこの庭を所有した安田善次郎の人生訓のような言葉です。ここは、江戸東京における旧安田庭園の有り様を伝える重要な場所と言えるでしょう。

駒止稲荷 Photo: 櫛引典久

安田善次郎の志

安田善次郎は17歳で富山から上京、1864(元治元)年に日本橋に両替店安田屋(銀行)を開業します。安田屋はたちまち東京屈指の金融業者となり、その後は生命保険業・損害保険業にも進出しました。彼が起こした会社の数々は、みずほ銀行や明治安田生命などの前身となりました。

現在の旧安田庭園、そして安田学園中学校・高等学校、同愛記念病院までの敷地は、江戸時代には常陸国笠間藩主の本庄因幡守宗資(ほんじょういなばのかみむねすけ)の屋敷でした。この時、すでに隅田川の水を引き入れた潮入りの池があったようですが、庭園の詳細は伝わっていません。明治維新後に旧備前岡山藩主池田侯の邸宅となり、1891(明治24)年、安田家の所有となりました。

当時の新聞記事によると、安田邸には日本の政財界のトップや清国(現・中国)の貴賓といった国内外の賓客が招かれ、現在では迎賓館赤坂離宮で行われるような国家外交に関わる接待がしばしば行われていたようです。接待時には庭園内にビアホール、汁粉屋、おでん屋などが設けられ、余興として獅子舞や玉乗りが催されるなど、ちょっと意外な使い方もされていました。
安田家しかり、清澄庭園や旧岩崎邸庭園の岩崎家しかり、実業家が豪華な邸宅を構えるのは、このように迎賓の理由もあったのです。

1921(大正10)年、東京市市長・後藤新平が唱える構想に賛同した善次郎は、本所横網町の邸宅及び庭園を東京市に寄贈することを決めました。また、日比谷公会堂・本所公会堂(のちの両国公会堂)建設の費用として東京市政調査会に350万円を寄付しています。
公益性の高い事業には資金を投入するポリシーがあったのですね。それは裏を返せば、そうではない事業にはお金を使わないということです。さらには「陰徳」、つまり人知れず徳を積むという考え方を持っていたため、それを大々的にアピールするようなことはしませんでした。それが裏目に出てしまったのか、同年、善次郎は凶刃に倒れました。

震災と戦災を乗り越えて

善次郎の死後、東京市の所管となった安田邸及び庭園には、急展開が待ち受けていました。
1923(大正12)年の関東大震災です。安田邸の隣にある陸軍被服本廠跡(りくぐんひふくほんしょうあと)(現・都立横網町公園)には、近隣の住民たちが家財道具を持って大勢避難していましたが、火災旋風により約4万人もの命が失われました。
この火災旋風による被害は安田邸にまで及び、善次郎の四男夫婦が亡くなっています。庭園のほうも、土地の起伏や石組みなどの輪郭のほかは、壊滅的な状態でした。この震災を受け、安田邸の敷地内にはバラックが建てられ、無料で被災者を収容していたそうです。

その後、東京市による復旧作業を経て、1927(昭和2)年に善次郎の望みであった庭園の一般公開が叶うこととなりました。この時発行された安田庭園のパンフレットを見ると、現在の姿とほぼ変わらないことがわかります。庭園の使用料が記載されているので、両国公会堂とセットで利用できる仕組みだったようです。終戦後は一時期米軍に接収されますが、1955(昭和30)年には解除、翌年より一般公開が再開されています。

雪見灯篭 Photo: 櫛引典久

戦後、またしても試練が訪れます。1962(昭和37)年、隅田川の洪水に備えて護岸工事が行われました。それまでは川と池がゆるやかにつながっていましたが、水の流れが止まって水質が悪化、園内の木々が枯れるなどの被害が出たのです。しかし、1969~70(昭和44~45)年に大改修が行われ、現在のような人工の潮入式回遊庭園になったことで環境も改善しました。
そうした努力が実り、1996(平成8)年に旧安田庭園は東京都指定名勝となります。

2000年代に入ってからも保存管理計画が実施され、橋の色も赤から石本来の色になり、心字亭という休憩スペースが設けられ、園路の砂利も歩きやすくなりました。庭園に隣接した両国公会堂の解体や刀剣博物館の開館といった歴史を経て、昭和初期の開園当初の姿を現代に伝えています。安田善次郎の遺志を受け継いで、よくぞ残してくれたと感嘆しますね。

両国の隠れた名所

園路から大泉水を臨む Photo: 中川周

旧安田庭園には下町のオープンな雰囲気があり、平日でも朝一番に散歩をされる方、ベンチでお昼ご飯を食べている方もよく見ますし、フォトウェディングにも利用されているようです。私もここで仕事をしたいと常々思っているくらい居心地の良い庭園です。ですが、江戸東京博物館や両国国技館、すみだ北斎美術館といった周辺の施設に埋もれて、その存在を知らない方も多いのではないでしょうか。

小さいながらもメリハリのある造りで眺めの変化を楽しめ、日本庭園の様式をきっちり押さえている旧安田庭園。日本庭園のお約束を知らなくても、花や緑を見る楽しみ、生き物を愛でる楽しみがあります。そんなほっと一息できる場所ですが、近代社会に貢献した実業家の生き様が入り込んでいる奥深い庭園なのですね。

〈完〉

池には鯉や亀、羽を休める水鳥など、都市のなかで自然の生態系に触れられる Photo: 櫛引典久

構成:浅野靖菜

旧安田庭園
住所:東京都墨田区横網1-12-1
開園時間:9:00-19:30(4〜9月)、-18:00(10〜3月)
休園日:年末年始
入園料:無料
https://visit-sumida.jp/spot/6085/

櫛引典久(くしびき・のりひさ)
写真家。青森県弘前市出身。大学卒業後、ファッションビジネスに携わり、イタリア・ミラノに渡る。現地で多分野のアーティストたちと交流を深め、写真を撮り始める。帰国後は写真家としてコマーシャル、エディトリアルを中心に活動。著名人のポートレート撮影を多数手がけ、ジョルジオ・アルマーニ氏やジャンニ・ヴェルサーチ氏のプライベートフォトも撮影。都立9庭園の公式フォトグラファーを務めたのを機に、ライフワークとして庭園の撮影を続ける。第6回イタリア国際写真ビエンナーレ招待出品。第19回ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(チェコ)入選。

田中実穂(たなか・みほ)
東京都江戸東京博物館学芸員。特別展「花開く江戸の園芸」を担当。江戸時代の園芸をはじめ、植物と人間との関わりをテーマとした講座や資料解説を手掛ける。また、都内における庭園の成り立ちを周辺地域の特徴から考える講座「庭園×エリアガイド」を行う。
講座の詳細については、江戸東京博物館ホームページ https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/other-venues-culture/をご覧ください。

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