旧岩崎邸庭園のシンボルとも言える洋館、和館、撞球室。和館は大部分が失われているものの、庭園に建物が残っていることは珍しく、当時の面影を偲ぶことができます。
旧岩崎邸庭園〈後編〉
東京の静寂を探しに
No.011写真家の櫛引典久さんによる写真と、東京都江戸東京博物館学芸員の田中実穂さんの解説で、東京都内の庭園の魅力をお届けする連載。
旧岩崎邸庭園の後編では、洋館、和館、撞球室(ビリヤード場)の建築的な特徴を、建築史家で東京都江戸東京博物館研究員の米山勇さんのガイドも交えてご紹介します。
写真:櫛引典久
お話:田中実穂(東京都江戸東京博物館学芸員)
協力:公益財団法人東京都公園協会
若き建築家のエネルギー
洋館と撞球室の設計を手掛けたイギリスの建築家ジョサイア・コンドルは、1877(明治10)年に工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)の教師として来日しました。鹿鳴館(ろくめいかん)を手がけたあと1884(明治17)年に教え子の辰野金吾が教授に就くと、コンドルは三菱の顧問となり、三菱一号館(現・三菱一号館美術館)をはじめ日本の近代建築を代表する数多くの作品を設計しました。
洋館は17世紀のイギリスで流行したジャコビアン様式です。19世紀の建築家であるコンドルは、なぜ17世紀の様式を採用したのでしょうか。米山さんにお尋ねしました。
「旧岩崎邸を訪れると、英国ドラマ『ダウントン・アビー』に登場するハイクレア城(1842年造)を思い出します。もともとのジャコビアン様式はコンドルにとって過去のものですが、建築時期が近く、ジャコビアン・リバイバルの性格が強いハイクレア城を参考にしたのかもしれません」と米山さんは答えます。
ジャコビアン様式の特徴は、直線を強調した柱や手摺り、彫刻的な装飾にあるそうです。外観だけでもドアや窓の周囲、柱など、随所に彫刻が見られます。
「バルコニーの裏側にも模様があって、隅々までコンドルのこだわりを感じますね」と旧岩崎邸庭園サービスセンター長の鈴木弓さん。
「当時30代半ばだったコンドルの若さと勢いが溢れているのか、過剰なまでの装飾が見事ですよね」と米山さんも感嘆した様子です。
確かにいたるところに装飾がありますが、不思議と圧迫感はありません。ふんだんに使われた木材のおかげで、温かみのある空間に感じられるのでしょう。
華麗で遊び心のある装飾
正面玄関から入って右手が和館への通路、左手が各部屋をつなぐメインホールです。華麗な彫刻が目を引く階段は、日本の最初期の吹き抜けと言える例なのだそう。艶やかな木の質感が重厚感を醸し出しています。
「以前、病気をして一年半ほど仕事を休んでいた時、夢にこの階段が出てきたのです。『元気になって必ずこの階段をのぼるぞ!』と励みにしていました。念願叶って、感動しています」と米山さん。
米山さんの夢に出てきてしまうほど存在感のある階段が、洋館の1階と2階をつなぎます。
複数の人が集まる食堂や集会室を除き、1〜2階のほとんどは客室として使用され、どの部屋にも暖炉が備え付けられています。
「暖炉には国産の大理石が使われています。暖炉と言っても、後年はガスストーブを据え付け、ガスの火で真っ赤に燃やした耐火粘土製のスケルトンの輻射熱(ふくしゃねつ)で部屋を温めていました」と鈴木さん。
2階の客室には、日本独自の金唐革紙(きんからかわし)の壁が復元されています。金唐革紙とは、和紙に錫箔を貼り、丸太に模様が彫られた版木を使って凹凸をつけ、ワニスと彩色を施した壁紙です。金色に浮かび上がった洋風の唐草模様が華やかですね。貴重な金唐革紙を大きな壁面で見る場所はなかなかないでしょう。
1階の婦人客室は、シルクの日本刺繍が天井に施され、他の部屋とはどことなく雰囲気が違います。米山さんに尋ねると、この部屋の装飾はヨーロッパのものではないそう。
「コンドルはイスラムの意匠も好きでした。玄関やベランダのタイルにもそうした風合いが見られますが、1階婦人容室にも『オジー・アーチ』と呼ばれる先のとがったイスラム風のアーチが取り入れられています」。
建築家・建築史家で東京都江戸東京博物館の藤森照信館長によると、イスラム経由でヨーロッパにタバコが伝わったことから、イスラム様式はタバコと結び付けられることが多いそう。この婦人客室も喫煙室だった可能性があるそうです。
通常は洋館の一室として撞球室がつくられるそうですが、旧岩崎邸では独立した建物となり、洋館と地下通路でつながっています。通常は外から、雨の日は地下通路から入ったのでしょう。
「離れにしたことで、茶室の趣さえ感じられますね」と米山さん。
コンドル曰く、スイスの山小屋風のデザインで、校倉造(あぜくらづくり)風の木材の組み方や「シングル」と呼ばれる魚のうろこのような壁には、遊び心を感じます。こちらの室内にも、金唐革紙の壁紙が貼られています。
おもてなしは見えるところに
洋館から渡り廊下を通り、和館に移りましょう。かつては十数棟の日本家屋が廊下でつながり、岩崎家の人々が大勢暮らしていました。
「一般的な書院造と違い、軒が深いですね。大きな屋根ですが、瓦と銅板の二重構造になっていて、軽やかな印象です」と米山さん。書院造をベースにしながら、軽妙なデザインも取り入れられているのですね。
現存する大広間には、明治時代の日本画家・橋本雅邦による障壁画が残されています。四季の風景や富士山が描かれ、海外からの客人も喜びそうです。
長い廊下の中ほど、奥の部屋に差し掛かる辺りには、竹節欄間(たけのふしらんま)があります。両端に竹の節のような装飾があり、この欄間を境に部屋の格式が上がる目印なのだそう。また、天井をよく見ると、端から端まで一枚の板で造られています。
「見えるところに、わかる人にだけわかるように贅を尽くすのが、本当のおもてなしなのです」と、米山さんは教えてくださいました。
洋館に比べるとシンプルに見える和館ですが、米山さんの解説でたくさんの趣向が凝らされていることに気付けました。
建築と庭園のハーモニー
米山さんにとって、旧岩崎邸は建築を研究するうえで心の拠り所となる、親しみを感じる建物だそうです。
「旧岩崎邸は洋館・和館・撞球室の三段構えと、コンドル建築のなかで最も華やかな装飾が魅力です。コンドルは建物から庭を見ることを強く考えた、最後の建築家でした。ここは建物と庭園の両方が残された貴重な場所なので、そのことを意識して鑑賞していただきたいですね」。
これまでは地形の変化に富んだ池泉回遊式庭園をメインに紹介してきましたが、今回はスタイルの異なる3つの建物、広々とした芝庭に小さな坪庭と、いつもとは違う庭巡りとなりました。
建物が現存する庭園は少ないですが、本来庭園は建物から鑑賞するもので、家族の住まいや来賓のおもてなしといった建物のコンセプトに合わせてデザインされます。
「建物ありきの庭園」ということを心に留めて鑑賞しようと、改めて思いました。
構成:浅野靖菜
旧岩崎邸庭園
住所:東京都台東区池之端一丁目
開園時間9:00-17:00(入館は16:30まで)
休園日:年末年始
入園料:一般400円、65歳以上200円
https://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index035.html
櫛引典久(くしびき・のりひさ)
写真家。青森県弘前市出身。大学卒業後、ファッションビジネスに携わり、イタリア・ミラノに渡る。現地で多分野のアーティストたちと交流を深め、写真を撮り始める。帰国後は写真家としてコマーシャル、エディトリアルを中心に活動。著名人のポートレート撮影を多数手がけ、ジョルジオ・アルマーニ氏やジャンニ・ヴェルサーチ氏のプライベートフォトも撮影。都立9庭園の公式フォトグラファーを務めたのを機に、ライフワークとして庭園の撮影を続ける。第6回イタリア国際写真ビエンナーレ招待出品。第19回ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(チェコ)入選。
田中実穂(たなか・みほ)
東京都江戸東京博物館学芸員。特別展「花開く江戸の園芸」を担当。江戸時代の園芸をはじめ、植物と人間との関わりをテーマとした講座や資料解説を手掛ける。また、都内における庭園の成り立ちを周辺地域の特徴から考える講座「庭園×エリアガイド」を行う。
米山勇(よねやま・いさむ)
東京都江戸東京博物館研究員、建築史家。建築を学ぶためのワークショップ「けんちく体操」考案者。学術的活動のほか、メディア出演や講演等を通じ、建築鑑賞の楽しさをわかりやすく広めることに力を注ぐ。著書に『写真と歴史でたどる日本近代建築大観』(全3巻、監修、国書刊行会)、『世界がうらやむニッポンのモダニズム建築』(監修、地球丸)、など。稲門建築会特別功労賞(2009年)、「日本建築家協会ゴールデンキューブ賞特別賞」(2011年)、日本建築学会教育賞(教育貢献)」(2013年)受賞。
講座の詳細については、江戸東京博物館ホームページ https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/ をご覧ください。