──諏訪さんのキャリアの転機となったきっかけなどがあれば教えてください。
諏訪 2011年に意思を持って業界内における立ち位置を変えるように具体的な行動を始めました。まず現在も仕事を共にしている成山画廊で初めて個展を開催しました。この画廊は少数精鋭といいますか、現代美術業界で異様な存在感を放っていて惹かれたわけです。そうしなければならなかった理由は、日本の美術業界には画壇系と現代美術系という棲み分けがあって……。現在はもうちょっと複雑化していますが、まあざっくりとそんなところです。商いの習慣も違う。
私は作家活動を始めた当初、気付けば画壇系の画家にカテゴライズされていました。つまり選択を誤っていたのです。断っておきますが画壇系がダメだといっているわけではありませんよ。間抜けな話ですが当時の私には無自覚なところがあって、自分の指向性と画壇のそれが擦り合わせられない部分があることを、走り出してから気付いてしまった。そこで、2011年の個展を契機に腹をくくって現代美術系へ軌道修正を試み、前代未聞ですが作家自身の意志で活動領域を移したのです。怖かった……、周囲の人たちが大きく変化しますし、市場性が壊れる可能性もあったわけですから。
そのタイミングで幸運にも、NHK『日曜美術館』で「記憶に辿りつく絵画~亡き人を描く画家~」と題された、私が作品を制作する模様を長期密着取材したドキュンタリーが放映されました。この番組は一般層にも届くような反響がありました。それから、作品集『どうせなにもみえない 諏訪敦絵画作品集』(求龍堂)の刊行も続きました。
──直感に頼るほうですか?
諏訪 私は絵描きとして戦略的と思われているようですが、本来は場当たり的で適当な性格です。ただ、状況がチャンスと一致した時は嗅覚といいますか、感覚を優先していた気がします。いろいろ考えに考え抜きますが、結局は直感をとることが多い。
──作家活動に加えて、諏訪さんには教員としての一面もありますね。
諏訪 はい。2018年に母校の武蔵野美術大学造形学部油絵学科に就任しました。
──大学で学生とはどう接していますか?
諏訪 学生たちからテクニカルなことやロジカルなことに関する質問を受けることがあります。そのあたりは定量的な答えが用意できるので的確に応じられていると思います。がっかりさせたくないので、むしろ勉強する量は学生時代より増えますよね。みんな人に教える立場を経験してみたらいいと思います(笑)。
その一方で、絵の内容についてとか指向性のことは、安易に手を突っ込まないことにしています。学生たちはそれぞれが研究者で、幼稚にみえても自醸した流儀をもっています。どんなに現時点で間違っているように見えても、あるいは回り道に感じても、私の価値観で歪めたくないのです。ですから環境を整えることの方が私には重要に思えていて、教授なんて一種の庭師みたいなものでしょうか。