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旧芝離宮恩賜庭園〈前編〉

東京の静寂を探しに

No.003
大泉水の中央には、庭園の要となる中島(なかじま)があり、中国の蓬莱山をイメージしてつくられた石組をみることができる。写真は櫛引典久『東京旧庭』(2020年、玄光社)より

写真家の櫛引典久さんが撮影した四季折々の庭園の写真とともに、東京都江戸東京博物館学芸員の田中実穂さんが東京都内の庭園の魅力を深掘りする連載。第2弾は、現存する最古の大名庭園の一つである旧芝離宮恩賜庭園です。最初の所有者であった大久保忠朝の思いが各所に散りばめられているという同庭園の見どころをひも解きます。


写真:櫛引典久
お話:田中実穂(東京都江戸東京博物館学芸員)
協力:東京都公園協会

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2020.11.04

柔と剛のコントラスト

旧芝離宮恩賜庭園(以下、旧芝離宮)は、浜松町駅から徒歩1分、ビルや鉄道に囲まれた43,175㎡と、コンパクトな都会のオアシスです。旧芝離宮がある場所はかつて海でしたが、1650年代後半に埋め立てられ、1678(延宝6)年に老中で小田原藩主の大久保忠朝の屋敷地となり、「楽壽園(らくじゅえん)」と名付けられた庭園が造られます。土地の所有者は時代を経て変わりますが、1924(大正13)年に東京市(現東京都)に下賜され、一般公開に至りました。
旧芝離宮は、江戸時代に多くつくられた大名庭園に顕著な池泉(ちせん)回遊式庭園です。中央に大きな池をつくり、その池の周囲に平らな場所や築山(つきやま)のような高台を築くことで土地の高低差が生まれ、中央の池の見えかたが変わります。大きく見える時も、木立の隙間からチラチラと見える時もあります。また、当時は海水を引き入れた潮入の池だったため、潮の満ち引きで池の水位が変わり、その変化も楽しめたそうです。

旧芝離宮恩賜庭園 ⾒取り図

この庭園の最大の特徴は、池泉回遊式庭園の様式を守りつつも、最初の主である大久保忠朝の思いが具現化されているところです。それは池の周囲を固める護岸の石遣いにみられます。他の庭園はなだらかな石で護岸を固めることが多いのですが、旧芝離宮ではゴツゴツとした石で池の周囲を固めているのです。これらの石は、小田原方面から運んできた富士山噴火時の火山岩がメインで、表面に穴が空いていたり尖っていたりしています。それらの火山岩を整形せずに使用しています。一方、その池の周辺にある築山は、山が連なっているようになだらかな輪郭線を描いている。このなだらかな築山の曲線とゴツゴツとした護岸の石組み、柔と剛のバランスが最大の見どころと言えるでしょう。最初に旧芝離宮に訪れて全景を見渡した時に不思議な感触を覚えたのですが、この池の周辺のゴツゴツした石のせいだったのです。
また、園内には根府川山(ねぶかわやま)という石組みの築山があります。根府川というのは小田原の地名で、東海道線の駅の名前にもなっています。この根府川石は少し赤っぽく、縦にスパッと切れやすい、板状になりやすい石です。根府川山の近く、鯛橋の辺りはこの赤く平らかな面を持つ根府川石と黒朴石(くろぼくいし)というゴツゴツした黒っぽい石とが組み合わされているそうです。
池の縁には火山岩だけではなく、洲浜(すはま)や砂浜もみられます。洲浜は、ゆるい勾配をつけて池に入っていくように小石を敷き詰めた護岸のことで、これも日本庭園ではよく見られる技法です。しかし、砂浜は都内の他の庭園では見られないそうです。

遠景に⽬を向けると、池の淵にゴツゴツとした⽯が置かれているのがわかる
『東京旧庭』より

大久保忠朝と小田原

大久保忠朝は小田原の庭師を呼び寄せ、小田原で産出される火山岩を用いて庭園をつくらせました。忠朝にとって小田原は領地だったというだけではなく、特別な思い入れのある土地なのです。祖父の忠親は徳川家に重用されていた人物ですが、不興を買って小田原の領地を無理やり没収されてしまいます。不本意な形で自分の領地を取り上げられたのを、孫の忠朝の代に取り返した。父祖伝来の地に戻ってこられたという感慨が、作庭に反映されているのでしょう。
旧芝離宮恩賜庭園サービスセンター長の北村葉子さんのお話では、日本庭園の場合、大泉水と呼ばれる中央の池をさまざまな海や湖に見立てることが多いそうです。例えば、小石川後楽園は滋賀県の琵琶湖、六義園(りくぎえん)は和歌山県の和歌の浦を想定してつくられている。いわば一種のテーマパークのようなものですね。
この旧芝離宮も、神奈川県の相模湾を想定しているのではないかというお話でした。もしかしたら園内に小田原の風景を模したところがあるかもしれません。相模湾を模したと考えると、他の庭園ではみられない砂浜があってもおかしくないと思います。
日本庭園というと、池があって、芝生やこんもりとした山があって、松が植えられて……という画一的なイメージを思い浮かべます。けれど、一見同じに見える空間のなかに、作庭した人の個性や思想が具現化されているのです。旧芝離宮の場合、大久保氏の父祖伝来の地が小田原だったことで、このような護岸に特徴のある庭園になった必然性を感じられます。

⼤久保家以降に改造された枯滝。渓⾕に⾒⽴てて⽯や園路が配置され、河川の部分を歩いて散策できる
『東京旧庭』より
上から⾒ると鯛の形をしているという根府川⽯の橋
写真提供:東京都公園協会

時代の動乱や災害を⽣き抜いた庭園

旧芝離宮が現在のような文化財庭園となるまでに、その所有者や使われ方は変化していきました。大久保家の屋敷地は時を経て、1846(弘化3)年に紀州藩徳川家の「芝御屋敷」になります。しばらくすると、日本を取り巻く国際情勢が変化していき、対外政策を意識せざるを得なくなってきます。海に面した芝御屋敷は、砲台や水練場がつくられるなど、海防の最前線として出城のような役割を担わされたのです。1875(明治8)年には宮内省所管となり、「芝離宮」として使われるようになります。1891(明治24)年には皇室の来賓をもてなす場として2階建ての洋館が、4年後に日本館が建てられました。
ところが、1923(大正12)年の関東大震災で、建物は全壊してしまい、火災で一面焼け野原になりました。翌年、この地は皇太子(のちの昭和天皇)の御成婚記念として東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として一般公開されました。同じく下賜された場所として、台東区の上野恩賜公園、江東区の猿江恩賜公園があります。
震災の被害を考えれば、そこで庭園が失われてもおかしくなかったですし、実際に姿を消した大名庭園も数多くありました。しかし、離宮という前歴が幸いしたのか、何とか命脈を繋いだのです。

関東⼤震災での被害の様⼦。樹⽊は震災時の⽕災で燃えてしまっている 出典:国⽴国会図書館ウェブサイトより

関東大震災での被害の様子。樹木は震災時の火災で燃えてしまっている 出典:国立国会図書館ウェブサイトより
東京市の管轄になってからも苦難は続きます。1934(昭和9)年の竹芝桟橋の完成により、庭園の東側が埋め立てられ、借景としての海を失います。1942(昭和17)年には太平洋戦争時の空襲で再び被災しました。また、戦前に史蹟指定を受けたものの、もとが皇室の離宮であったため、1948(昭和23)年にはGHQによる指定解除がありました。再び文化財として名勝指定をされたのは、1979(昭和54)年のことです。第18回オリンピック東京大会決定後には、新幹線開通のため約5,000㎡の敷地が削られ、さらに、横須賀・総武快速線を品川から浜松町の地下に通す工事の際、大泉水の水位低下による圧力で、護岸が崩れてしまいました。
宮内庁に残されている図面を見ると、明治初期における面積は約10万2,500㎡でしたが、現在は43,175㎡に減少しています。それでも、都市化と災害が顕著な江戸東京において、今なお江戸時代の特色ある大名庭園の姿を伝えています。

日本庭園は意外に饒舌

都内各所の日本庭園は一般的に、四季の花々を通して広く親しまれている場所でもあります。日本庭園のお約束事を意識してしまうと鑑賞のハードルが高くなってしまいますが、そういったことを知らなくても、非日常の静謐な空間を楽しめるのです。
しかし、そこから一歩踏み込んで庭園の成り立ちや特徴、個性に気付くと、一見静かな庭園が案外おしゃべりな存在にみえてきます。トントンと扉を叩くとすぐに開いてくれる。「聞いて、聞いて」と庭園の方が話したくてうずうずしているのではないでしょうか。
また、日本庭園には不変の美しさと、季節ごとに変わる美しさがあります。春夏秋冬、365日、天気によっても印象が全然違います。今日は雨のために護岸の石の色が濃くなって、晴れた日よりも荒々しさが感じられました。一見穏やかな旧芝離宮の力強い一面を、ぜひ知って欲しいですね。

⼊⼝付近の⼤きな藤棚から⼤泉⽔を望む。庭内にはショウブ、アヤメなど、季節ごとに植⽣の変化も楽しめる
『東京旧庭』より
東京都江⼾東京博物館学芸員の⽥中実穂さん(右)と旧芝離宮恩賜庭園サービスセンター⻑の北村葉⼦さん(左)

構成:浅野靖菜

旧芝離宮恩賜庭園
住所:東京都港区海岸一丁目(1-4-1)
開園時間9:00-17:00(入園は16:30まで)
休園日:年末年始
入園料:一般150円、65歳以上70円
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/index029.html

櫛引典久(くしびき・のりひさ)

写真家。青森県弘前市出身。大学卒業後、ファッションビジネスに携わり、イタリア・ミラノに渡る。現地で多分野のアーティストたちと交流を深め、写真を撮り始める。帰国後は写真家としてコマーシャル、エディトリアルを中心に活動。著名人のポートレート撮影を多数手がけ、ジョルジオ・アルマーニ氏やジャンニ・ヴェルサーチ氏のプライベートフォトも撮影。都立9庭園の公式フォトグラファーを務めたのを機に、ライフワークとして庭園の撮影を続ける。第6回イタリア国際写真ビエンナーレ招待出品。第19回ブルノ国際グラフィックデザイン・ビエンナーレ(チェコ)入選。

田中実穂(たなか・みほ)

東京都江戸東京博物館学芸員。特別展「花開く江戸の園芸」を担当。江戸時代の園芸をはじめ、植物と人間との関わりをテーマとした講座や資料解説を手掛ける。また、都内における庭園の成り立ちを周辺地域の特徴から考える講座「庭園×エリアガイド」を行う。

講座の詳細については、江戸東京博物館ホームページ https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/event/culture/ をご覧ください。

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