丹野 私は、この作品は、2013年のアメリカでの上演を見て以来、人と人の繋がりが頼りなくなっている現代社会を問い直す作品だと感じていましたが、ここにきてのコロナ禍で、いっそうその思いが強まっています。
コロナ禍って、今のただでさえ薄い人々の関係を、さらに希薄にするパンデミックじゃないですか。もしこの時代がまだまだ続くとしたら、そこで演劇がどう成立していくのかは誰にもわからない。でも、ソーシャルディスタンスを守った芝居、ガイドラインに沿った芝居、「それはもう演劇の本質から外れてしまうのでは」って、私なんかは思うんです。
テレビやPCで舞台中継を見ても、本当の舞台と全然違う感触でね。それは映像でしかなくて、生の、ライブの演劇ではないですよ。それこそ、ときには役者の汗が客席に飛んでくるような距離で、演じている人の熱に当たりたい。そういうのが演劇だと思うんです。
千葉 本当にその通りですよね。接近して、泣いたり喚いたり転がったり、人と人との魂の触れ合いが舞台で白熱する仕事ですもんね。
丹野 コロナの時代に新しい演劇を提案っていうところまでは、今は私はちょっと行かないですね。やっぱりコロナが収束した時に、その時にこそ再び、生の演劇ならではの熱をお届けしたいと思っています。それこそが演劇だろうと思います。
新型コロナウイルスって、いろんな芸術の分野があるなかでも演劇には一番影響が大きい。だって、生の人間対人間の熱みたいなものの結果が演劇であるならば、それがいけないっていうんですもの。演劇はまず最初にダメじゃないですか。
千葉 今の世の中は、演劇と真逆の方向に行ってしまっているので、本当に心配です。
樫山 それは私もつくづく思います。芝居って映画とかテレビとは違いますから。生身の人間が舞台で一生懸命やっている姿だからこそ、見たくなるものですよね。
コロナ禍の収束はまだまだ先が見えないですけれど、特に若い人で演劇をやっている人には「なんとかお互い、乗り越えていきましょう」と言いたいです。こんなに豊かに、自分の人生観を変えてくれたり、刺激を与えてくれたり、生きるというのはどういうことかを学んだりできる世界は、ほかにないと思いますから。
チェーホフは『かもめ』で女優のニーナ に「大切なのは名誉でもなければ成功でもなく(中略)ただ一つ、耐え忍ぶ力」と言わせています。お芝居って、どんな困難があっても、続けるに値する素晴らしい仕事です。コロナで参りそうになっても、なんとか工夫を重ねて続けられるような状態にもっていってもらえればと願っています。
そして若い人たちには自分と同じ世代だけにじゃなく、視野を広く向けて、いろいろなお芝居を観て勉強していただきたい。そしてときには中高年世代が作る演劇も観にきていただいてね(笑)。お互い、いい演劇をつくっていきたいですね。