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新宿〈前編〉 age25

石川直樹 東京の記憶を旅する

No.015
新宿 2020/9/24

徳川家康が側近・内藤清成に与えた領地の一部を使って、元禄11年(1698)、甲州街道の新しい宿場「内藤新宿」が開設し、江戸四宿の一つとして繁栄。明治以降も東京西側の大都市「新宿」として発展を続け、現在に至る。日本最大の駅、オフィス街、歓楽街を擁するこの新宿の片隅に、戦後独特の文化を醸成してきた飲食街「新宿ゴールデン街」がある。大学卒業を間近に控え、自身の写真をどのように世に問うか模索していた石川直樹は、この街で写真家・森山大道と運命的な邂逅を果たす。


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2021.08.18

Photo & text:石川直樹[いしかわ・なおき]

13-1――ゴールデン街〈かえる〉

2000年に参加した国際プロジェクト「Pole to Pole 2000」(以下「P2P」)で撮影した写真は、新聞社の人からは「ちょっと使えないかなあ」と言われてしまったのですが、大学の写真の授業で写真家の鈴木理策さんにお会いして、いろいろなアドバイスをいただいて、多様な写真の在り方を学ぶきっかけになりました。ちょうど同じころ、森山大道さんにもお会いして写真を見ていただけることになったんです。自分が早稲田大学に籍を置いていた期間の、最後のあたりだったと思います。
知り合いのキュレーターに紹介してもらって、「じゃあ新宿ゴールデン街のバー〈かえる〉なら、昼間誰もいないし静かだから、そこで話しましょう」との返事をいただきました。
新宿ゴールデン街は、森山さんをはじめ写真関係者も多く出入りしていて、それぞれ行きつけの店がありますね。バー〈ナグネ〉〈こどじ〉など、店内で写真展を常時開催している店もあって、行けば誰かしら知り合いに出会います。そうしたゴールデン街に生まれて初めて行くきっかけになったのが、この森山さんとの待ち合わせだったのです。
ぼくはライトボックスとルーペと何冊ものファイルとをずっしり抱えて向かいました。当時は35ミリのポジフィルムで撮影していたので、写真を見ていただくためには、ライトボックスで透過したフィルムをルーペでひとつずつ見てもらうしかなかったんです。
〈かえる〉も他の店も、基本的に夜から始まるので、昼間は静まり返っています。特徴的な棟割長屋が並ぶ中、その一つの細い階段を上がった先に〈かえる〉があり、森山さんが待っていました。店主も留守で、貸し切り状態でした。
ライトボックスをテーブルにセットすると、森山さんは、持参した何百枚ものスライドを、端折ることなく、1枚1枚ルーペでしっかりと見てくれました。

新宿 2020/9/24

13-2――写真家の視点

「これはいいね」「これもいい」

そう言いながら森山さんがピックアップしていく写真は、新聞社の人には使えないと言われたものだったり、自分でも失敗作と思っていたものが含まれていました。

「P2P」の旅で撮った写真の中には『写ルンです』で撮影したものもありました。特に北極や南極などの過酷な環境では、積極的に『写ルンです』を使っていたんです。ただ、『写ルンです』に装填されているのはネガフィルムで、同時プリントで仕上がってきますよね。他の写真がすべてポジなのに、これだけL判のプリントを持っていくわけにはいかなかったので、写真屋で『写ルンです』のネガの一コマ一コマをポジ変換してもらったんです。が、そこらへんにある街の写真屋さんにお願いしたら、例えば北極の雪原の空が、南の海のようなブルーに転んだりしていました。『写ルンです』のネガをポジに変換する、なんて誰もやらないので、街の写真屋も困惑したんじゃないでしょうか。

「大失敗だな。こんなの見せても、北極かどうかもわからない」と思っていたのですが、森山さんは、そのなかから白熊が遠くに米粒のように写っているショットを指して、「これいいね。むしろこの色が面白い」と言ってくれたのでした。それが結局、のちに最初の写真集(『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』2003年、中央公論新社)の表紙になりました。

このとき「写真は、見る人によって全然見方が違うんだ」という驚きと面白さを感じたことが、写真家への道を辿る決定的なきっかけとなりました。

写真が「ちゃんと撮れている」って何なんだろう。「いい写真」って? 「失敗写真」とは? シャッターを切れば、目の前にある世界の端が写る。それはカメラという機械とフィルムが生み出した像であって、撮る側がゼロから作りあげた像ではないですよね。だとしたら、写真は光学的な反応の末に浮かび上がる像であって、究極的には失敗も成功もないんじゃないか。森山さんと出会ったあと、若くて何も写真について知らないくせに、そんなことを考えたりもしました。

この一日こそが、新宿という街の最初の強烈な思い出になり、今でも新宿に行くと必ず森山さんのことを思い出します。もう20年近く前の、ゴールデン街の一角でのやりとりが、自分にとっての写真の原体験なんです。

『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』表紙

13-3――カラオケの十八番

写真を見ていただいて話をしているうちに、だんだん夕方になってきました。場所を変えて飲もうということになり、〈かえる〉を出て別の店に移動しました。店のカラオケで、森山さんはサザンオールスターズの 「TSUNAMI」を歌い出しました。東日本大震災以降は聞く機会が少なくなった歌ですが、当時は人気があって、よく耳にしましたよね。森山さんが最初に歌ったのが、その「TSUNAMI」でした。
次に森山さんが歌い出したのは、ぼくの知らない曲でした。
タイトルをモニターで確認すると、野坂昭如「黒の舟唄」。男女の悲哀を男目線で語る独特の歌詞で、以降、カラオケに行く数少ない機会に、ぼく自身も歌うようになりました。なんだか共感できる歌詞で……。これも森山さんの真似ですね。

新宿 2020/9/24

13-4――新宿の懐

その後も森山さんとは何度もお会いしていますが、森山さんがお酒をやめてしまったこともあり、カラオケに行ったのは後にも先にもその一回きりです。
ゴールデン街の片隅という以外、名前も場所も思い出せないその店で、森山さんが楽しそうに歌う姿は、今思いかえしても貴重なひとときでした。
早稲田大学に通っていたときも新宿には行っていましたが、さまざまな人を飲み込む新宿という街の懐の深さ、隈雑な魅力にあらためて気がついたのは、この森山さんとの出会いの前後からだったように思います。

新宿 2020/9/24

石川直樹(いしかわ・なおき)
1977年東京生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。
2020年『まれびと』(小学館)、『EVEREST』(CCCメディアハウス)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。

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