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映画界のあたらしい才能を育む

「タレンツ・トーキョー」〈前編〉 木村あさぎ

アーティスト・サバイバル・メソッド

No.022
2021年「タレンツ・トーキョー・アワード」を受賞した木村あさぎさん。アテネ・フランセ文化センターにて

東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、タレンツ・トーキョー実行委員会が主催に名を連ねる「タレンツ・トーキョー」。アジア圏の若者を対象に映画監督や映画プロデューサーを育成するプロジェクトで、参加者自身の企画を磨くとともに世界で活躍するスキルを身につけるワークショップだ。2022年度の受講生募集(5/1~5/31)にあわせ、[前編]では2021年に「タレンツ・トーキョー・アワード」を受賞した木村あさぎさん、そして[後編]は2015年の修了生で、ドキュメンタリー作品『鉱 ARAGANE』(2015)や『セノーテ』(2017)等で国内外での評価が高まる小田香さんに、「タレンツ・トーキョー」での体験を語っていただいた。


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2022.05.09

映画監督やプロデューサーを志す人たちにとって、ほんとうに役立つ知識や経験を

「ベルリン国際映画祭」の一環として開催されている人材育成プログラム「ベルリナーレ・タレンツ」のアジア版として2010年に開始し、世界で活躍するためのノウハウやネットワーク構築の機会を提供する人材育成ワークショップ「タレンツ・トーキョー」。その特色のひとつは、映画界で作品の企画を売り込むスキルの獲得と実践だ。

世界で活躍する映画人と共に企画を見つめなおし、ピッチと呼ばれる数分間で行われるプレゼンテーションで披露する。ピッチは製作・配給会社が企画を検討する手がかり、いわば映画づくりのはじめの一歩でもある。「タレンツ・トーキョー」では講義だけでなく、これらのスキルを得るべく6日間の濃密なプログラムが組まれている。

参加するのは毎年公募で選ばれる約15人のアジアのタレンツ。これまでも侯孝賢(ホウ・シャオシェン)やアピチャッポン・ウィーラセタクンといったそうそうたる講師陣(エキスパーツ)の指導を受けながら企画を磨き、世界に羽ばたいてきた。『イロイロ ぬくもりの記憶』のアンソニー・チェンや、『蜜蜂と遠雷』のヒットも記憶にあたらしい石川慶も、この「タレンツ・トーキョー」の修了生だ。

「タレンツ・トーキョー」の参加者はワークショップからどんな経験を得るのか。まずはコロナ禍の影響でオンライン開催となった2021年に公開プレゼンの最優秀者へ送られる「タレンツ・トーキョー・アワード」を日本人として初めて受賞した木村あさぎさんに話を聞いてみよう。

「一緒に闘いたいと思える人たちに出会えました」

――木村さんが「タレンツ・トーキョー」に応募されたきっかけを教えてください。

木村 『蹄』(2017)という作品でドイツのハンブルクに行ったことがあり、ドイツの映画祭ってすごくいいなって思ったんです。日本だとお客さんがシリアスな顔で劇場から出てくるのですが、ドイツではお客さんに爆笑されて。もちろんそうじゃない方もいたし、いろんなベクトルの人たちがいることがなんて面白いんだろうと思って。それでベルリン国際映画祭について調べていて「ベルリナーレ・タレンツ」というワークショップがあることを知りました。でもその時は言語の壁もあったので「絶対に選ばれない」と思い、いろいろ探していたらベルリンと提携している「タレンツ・トーキョー」にたどり着きました。

『蹄』(2017年)

――その後すぐに応募されたのですか?

木村 いや、数年くらいは遠慮していたというか……。「タレンツ・トーキョー」も英語での参加が条件になるので、まず英語が話せないのと、ほかにもハードルがあって自分にはムリだろうと思っていたんです。「タレンツ・トーキョー」の時にも話していたのですが、『蹄』をつくることで家族を傷つけたという感情に引っ張られてしまって、「私の作品は上映されていいのだろうか、自分がまた映画を撮っていいのか」と葛藤していました。

――作品をつくって、そこまで悩んだ理由はなんだったのでしょう?

『蹄』は大阪アジアン映画祭に間に合わせるために一度完成させたのですが、編集に納得がいかず、再編集をしました。そのときに、本当に自分が撮りたかったものはフィクションじゃなくて、自分の父親の過去の問題だとか、そこに付随する自分の身体と精神の不和みたいなものと向かい合うために物語を利用していたのだと気づいたのです。その作品が動いていく過程みたいなものをドキュメンタリーとして撮って、再編集で組み込みましたが、家族のプライベートな部分や自分の身体をストレートに表現することになり、家族からやめてほしいと言われたんです。

――世間に家族の内情を見せないでほしいということですか?

そうですね。それで自分の表現のために家族を傷つけてしまったという感情に引っ張られてしまって、本当は表現するにいたる客観的な理由がちゃんとあったんだと気づくまでに5年くらいかかってしまいました。今では家族とも話し合って、背中を押してもらっています。

――「タレンツ・トーキョー」での講義や受講生とのコミュニケーションは基本的に英語なのですよね。

木村 はい。開催の前に交流のための顔合わせがあったのですが、その時にあまりにも何もわからないことにビックリして、そこから英会話の勉強を初めました。オンライン英会話を始めて、とにかく数をこなして度胸だけはつけようと思ったんです。英語力はともかくレッスンの30分間絶対に話さなければならない環境をつくって、メンタルだけは鍛えて臨みました。「タレンツ・トーキョー」の参加者のみなさんは本当に流暢で、私が(英語が)できないとわかった上で話してくれたので、なんとかいけた感じです。

――2021年はコロナ禍の影響で、「タレンツ・トーキョー」もオンライン開催になりましたね。

木村 そうなんです。本当なら受講生は東京に集まっているはずで、みなさんが東京に関心を持っている人たちだったので、そういう話題の広がりはありましたね。

「タレンツ・トーキョー2021」受講時の様子(上段一番左が木村あさぎさん)
「タレンツ・トーキョー2021」は、オンラインで受講生をつないで講座が実施された。

――「タレンツ・トーキョー」では何を一番学びたいと思って参加されたのですか?

木村 さきほど数年は応募できなかったと言いましたが、この企画も、5、6年前から先に進められなくて、メモ書きだけが増えていくみたいな状態でした。とにかくスタート地点に立って、形にできるように自分を追い込みたいという気持ちでしたね。あとは韓国や台湾、タイの作品が好きなので、アジアの作家の方々とお話したいなという本当にシンプルな動機です。

――例年、世界で活躍する監督、プロデューサーやマーケティングの方たちがエキスパーツ(講師)を務めていますが、6日間のプログラムはどんな内容なのですか?

最後にプレゼンをするというのが大前提としてあるのですが、授業が多いですね。メインでレクチャーしてくださる方とは別に、ゲスト講師のお話を聞く時間も結構ありました。諏訪(敦彦)監督の授業では、ひとつの作品をみんなで観て、その作品について話し合ったりしました。あとはマーケティングの方が専門分野について授業をしたり。急いでいるというよりは情報量が多い。駆け抜けたという感じはあまりしなかったです。

「タレンツ・トーキョー2021」受講時の木村あさぎさん

――木村さんの企画に対してどんな指導がありましたか?

木村 私は英語ができないので、プレゼンではとにかく映像や画像のイメージを使った方がいいと言われました。でも、監督や作品によって得意なところや打ち出すべきポイントが違うので、それぞれに合わせてアドバイスをしてもらえたという印象です。

――木村さんの企画「Your Hair is Come from Blue green Fruits(あなたの髪は青緑の実から)」は沖縄と戦争もテーマのひとつとして扱っています。歴史やルーツに向き合うことがアワード受賞の大きなポイントになったのでしょうか?

木村 そこはやはり、プロセスに重きを置いているところを評価していただけたのだと思っています。90歳の祖父にインタビューをして、それをもとに詩を書き、その詩を読んでもらって、そこから引き出されるその人の記憶や、または引き出されない言葉を得て、そこでまた詩を書いて、会話を重ねていく。その過程の中で、詩をもとにしたフィクショナルな部分を撮り、語られないことを映像として見せる。「タレンツ・トーキョー」では、その試したい点を見て、評価してくれる方が少なからずいらっしゃったことにびっくりました。

木村さんの企画「Your Hair is Come from Blue green Fruits(あなたの髪は青緑の実から)」のイメージビジュアル(プレゼンテーション資料から)

――ワークショップで内容が変わったりはしましたか?

木村 作品としてはそんなに変わっていませんが、ここをもっと深めていけばいいとか、ここは目をそらしちゃいけないとか、フォーカスが合っていくような変化はすごくありましたね。作品を見る目、捉え方がすごく変わって、研ぎ澄まされるというよりシンプルになったのかも知れないです。

――木村さんの企画書にはジャンルに「エクスペリメンタル」と書いてあります。実験的なアート映画はどういうところに売り込めば出資を得られるのでしょうか?

木村 私も(自分の企画を)どこに出せばよいのだろうとは思っていて、「タレンツ・トーキョー」で評価していただけるとも思っていませんでした。企画書にも製作資金を得たいと書きましたが、まだ具体的な進捗は報告できない状態です。でもアワードで自信がついたので、祖父とのインタビューは継続してやっています。

――エキスパーツの方々のお話で印象に残っているものはありますか?

木村 アーミ(プロデューサーで講師のアーミ・レイ・カカニンディン)の言葉はすごく背中を押してくれました。アーミの作品も7年くらいかかったそうで、それくらい私たちがやっていることは長い長い旅なんだよって言ってくれて。たった5年で悩んでいただけの私はダメだ、なんて思ったりしました(笑)。

――最後になりますが、「タレンツ・トーキョー」に参加してどのような刺激を受けましたか?

木村 私の時はパーソナルな題材を扱っている監督がかなりいて、いかにフィクショナルに映画として組み上げていくかっていうことをすごく真摯に考えていました。そのおかげで、自分が向き合ってきたことも間違っていなかったと思えたのです。あと今、生活そのものが脅かされている中でも映画をつくろうとしている人もいる。生死の境でつくる価値観、彼らの覚悟を感じて、改めて映画って闘いなんだと感じました。日本では作家同士でもそういう話にはならないのですが、「一緒に闘いたい」と思える人たちに出会えたことが大きかったですね。

>>「タレンツ・トーキョー」〈後編〉 小田香 を読む

Text: 村山章
Photo: 櫛引典久

撮影協力:アテネ・フランセ文化センター
http://www.athenee.net/culturalcenter/

木村あさぎ
Asagi Kimura

1994年沖縄生まれ。イメージフォーラム映像研究所の卒業制作として、2人の女のドキュメンタリー映像を元につくった短編『鱗のない魚』(2016)を監督。同研究所卒業上映会にて最優秀賞を受賞。翌2017年にはじめての長篇『蹄』を監督。本年冬、東京にて『蹄』上映会を開催予定。1テイクで収録し物語の読み聞かせをするポッドキャスト『今夜はひとつだけ』を配信中。
https://linktr.ee/asagikimura

タレンツ・トーキョー2022

映画分野における東京からの文化の創造・発信を強化するため、「次世代の巨匠」になる可能性を秘めた「才能(=Talents、タレンツ)」を育成することを目的に、映画作家やプロデューサーを目指すアジアの若者を東京に集めて実施。世界で活躍していくためのノウハウや国際的なネットワークを構築する機会を提供している。《5月1日~5月31日まで受講生募集中

会期:2022年10月31日~11月5日(東京フィルメックス開催期間中の6日間)
会場:有楽町朝日ホールほか
対象:東アジア・東南アジア地域の映画監督・プロデューサーを目指す方
募集人数:国内外あわせて最大15名
※新型コロナウイルス感染症の状況に鑑み、実施内容等に変更が生じる場合があります
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、タレンツ・トーキョー実行委員会
提携:ベルリン国際映画祭(ベルリナーレ・タレンツ)
協力:ゲーテ・インスティトゥート/東京ドイツ文化センター
ウェブサイト https://talents-tokyo.jp/

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