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アーティストの仕事図鑑 #3 風間サチコ

アーティスト・サバイバル・メソッド

No.024
風間サチコさん。自宅兼アトリエにて

一歩足を踏み入れたとたん、膨大な情報量と熱量が凝縮されたアトリエ。その主は、近年、作品《ディスリンピック2680》がニューヨーク近代美術館(MoMA)に収蔵されるなど、大躍進中の作家、風間サチコさんです。入念なリサーチによって過去から掘り起こした多様な物事から、物語のある一場面を創出し、木版画の技法を用いて一枚の絵に刷り上げる風間さんに、木版画との出会いから、アトリエの変遷、その唯一無二のスタイルの確立までをお聞きしました。


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2023.08.15

《バベル》 2019年 油性インク、和紙、パネル
撮影:森田兼次
写真提供:gallery αM
20年前に作ったコラージュを元に制作

大正の創作版画に出会い、縄文の原始へ回帰

──木版画に魅せられたきっかけからお話いただけますか。

祖父が日本画材屋の番頭をしていて、うちには日本画や浮世絵の画集があり、それはよく見ていました。ただ、惹かれたのは浮世絵の木版画ではなく、高校生の頃好きになった、萩原朔太郎や北原白秋などの大正時代の詩集の挿絵でした。同じ木版画でも、詩集の挿絵は浮世絵とは全く違う、心象風景を版に刻む創作版画です。「こういう表現があるんだ」と感動して、自分もやってみたいと思いました。

──では、制作も高校生から?

いえ、私が通った定時制高校では、当時の美術の先生がおそらく木彫専門の方で、そもそもの科目名が「美術」ではなく「木彫り」だったのです(笑)。彫刻刀は使いましたが、高校でやったのは木版画ではなく立体の木彫。版画を本格的に学んだのは高校卒業後、武蔵野美術学園(2018年に閉校)に入ってからです。版画が学べる進学先というと私は美大しか思い浮かばなかったのですが、母が買ってきてくれた赤本が私にはちんぷんかんぷんで。美大は諦めて他の学校を調べるうちに見つけたのが、面接だけで入れる武蔵野美術学園でした。

代替わりをしながらも、学生時代からずっと変わらない道具たち

──武蔵野美術学園時代にはどういった作品をつくられていましたか。

はじめの頃は、リリカル(叙情的)でおしゃれな大正モダニズム風の作風でした。その次にハマった谷内六郎っぽい絵だとか。ただ、制作は楽しかったものの絵はモノマネでしかなく、すぐに壁にぶつかりました。先生にもそれは見抜かれていて、「風間さんが描きたいものとは違う気がする。もっと自分に正直に作ってみたら」と、完全に図星を突かれました。叙情の世界に逃避せずもっと自分に正面から向き合おうと思った、それが20歳くらいの頃です。

学園には私のようなちょっと変わったはみ出し者のような学生も多く、かえって私には馴染みやすかったのですが、それまでの自分は引きこもり気味で登校拒否もしていて、社会からの圧力や違和感のようなものを感じていました。過去を振り返るうちに、その違和感は特に、人間中心に合理化されパッケージ化されたシステムや、消費社会に対するものだったと気づきました。
例えば私、幼稚園の頃に疑問を感じて以来、肉が食べられないのです。現代の消費社会では、肉はきれいにパッケージされて商品になっているから食べられる。加工される前の動物を想像できたら、食べられるはずがないと。でも、原始的な世界観ではどうかというと、そこではちゃんと生命を感じながら狩りをして、いただいた生命に祈りを捧げていたのです。原始に共感を覚えて、私の意識は大正モダニズムから縄文時代に一気に遡りました。それならば、縄文の原始的な価値観、世界観に軸を置いて、現代社会を批判するような作品を作れないかと。それが今に繋がるテーマの始まりです。

──学園で学ぶ間に、その後も継続できるテーマを見つけたのですね。

ただ、学園には現代美術作家としてのロールモデルはいませんでした。卒業後、貸し画廊で展示をしてデビューという、そこまでは見よう見まねでやりましたが、美術館で展示できるような作家になる道筋はわからず、手探りでしたね。

《GOLDEN WEEKEND》 1996年 木版画:墨、和紙、パネル
撮影:加藤健
写真提供:横浜市民ギャラリーあざみ野
武蔵野美術学園の修了制作の作品で、初個展に展示した

六畳一間のアパートから、変わらないサイズ感と制作スタイル

──卒業後の制作環境はどうされたのですか。今のアトリエは、作品のサイズや風間さんの中のイマジネーションの広がりに比べてとてもミニマムな印象です。

卒業後は、アルバイトで稼いだお金で六畳一間のおんぼろアパートを借りてそこで作業していました。小さな空間で好きなものに囲まれながら、という生活はそこからですね。今もこの四畳半と六畳の二間で制作しています。小さい空間の方が落ち着くんです。
最初のアトリエは5年ほど借りて、結婚したタイミングで引き上げて自宅にアトリエを移しました。13年間そこで制作して、その後離婚して引っ越した先がここです。もう10年ほどになります。

四畳半のアトリエの定位置でデモンストレーションする風間さん

ここは何から何まで自分一人のもので、一番理想的な場所。もうここ以外には考えられません。とにかく好きなのがこの正方形の4畳半です。好きなものだけを集めて、鴨長明の方丈記みたいな……彼のようなミニマリストにはなれませんが(笑)、私が落ち着くのはこの大きさ、この形なのだと思います。別の場所で滞在制作をする機会もありましたが、どれだけ設備が整っていて制作しやすくても、どこか落ち着かないのです。

──制作を続ける中で、使う道具や技法の変化などはありましたか。

ないですね。学生時代の道具もそのまま使っていますし、作業はずっと全部一人です。人を雇って負担を減らしてはどうかとアドバイスももらうのですが、一人の作業が性に合っているのだと思います。

茶目っ気とユーモアにあふれた風間さん。「こうすると棟方志功みたいでしょ」と、真似をしてくれた。(木版画の大家、棟方志功は版木をごく間近で見ながら彫る)
2023年4月から朝日新聞朝刊「論壇時評」にて連載中のシリーズ(月1回)の版(左)と作品(右)。B5サイズほどの小さなビニール板に、風間さんの世界が凝縮されている

流れるニュースからトピックをつかみ、当時の空気感を掘り起こす

──制作の前段階のお話も伺っていきたいのですが、インスピレーションの源流となるようなものにはどのように出会うのですか。

とても単純で、テレビやネットのニュースです。私は四六時中情報を入れていたいタイプで、テレビもほぼつけっぱなし。情報中毒なのです。
ずっと情報が流れている中で、歴史の問題や今起きている事件、戦争だとか、引っかかるトピックが出てくると、なぜ今これが問題になっているのだろうと掘り下げていきます。掘るうちに過去の出来事など色々な要素が徐々に絡み合ってきて、芋づる式に収穫がどっさり、という感じです。

──資料としては、古本を買い求めることが多いそうですね。

そうですね、主にヤフオクで買います。当時の本が面白いのは、同じ事柄を扱っていても、今とは情報のあり方が違うことです。例えば戦争について、今は皆「戦争はいけない、平和が大事」と書くでしょうが、戦時中の本は全く違います。書籍よりも雑誌の方が当時の旬な情報が載っていますし、省庁が出していた週報なんかも実にあからさまで、当時の空気感がすごく伝わってくるのです。そういうものを読み込んでいくと、自ずとディストピアな風景が頭に浮かんできます。

アトリエの壁一面を埋める資料群

──本だけではなく、実際に足を運ばれることもあるのでしょうか。

あります。古本に当時の空気感を求めるのと同じで、現地の空気感を味わいたいのです。東日本大震災の1年後、原発に関わる作品を作りましたが、原発は実は以前から興味を持って見に行っていました。1999年に東海村の核燃料加工施設で臨界事故がありましたよね。その後、施設見学ツアーに参加したりPRセンターに行ったりしていました。ポジティブな面ばかりが押し出されているのがかえって不気味で、でもそれを感じるのが好きで。東日本大震災が起きて、「あの時の不気味な感覚は正しかったのだな」と思いました。

六畳間に置かれたもう一つの作業机。その脇には押し入れの襖を取り払った物置きスペースが。作品と膨大な資料が整理され保管されている
オリンピックに関するものなど、これまでの作品で使用した資料のごく一部。それぞれ、大きなお菓子の缶などにまとめて保管されていた
アトリエのみならず、家のいたるところに風間さんの「好き」が所狭しと並ぶ
風間さん自作の椅子に座る「可愛い とりちゃん」

木を彫り、紙に刷る作業を経て、絵が変化するさまが楽しい

──作品は批評的な視点を多分に含みながらも、一方で、例えば戦車などの造形には魅力を感じる、そんな気持ちもあるのでしょうか。

おっしゃる通りです。問題意識に触発されて制作をスタートするところはありますが、絵をつくる人間として造形はとても大切にしています。自分の手でフォルムを生み出していく作業が好きで、戦車や建築物は趣向が合致するモチーフです。それが善のシンボルか悪のシンボルか、といったことはあまり意識せず、造形的な自分の趣向にはあまり歯止めをかけないようにしています。作品が独善的になってはいけないと思っているところもありますし、バランスを考えながら、批評性や造形性、全てを包括的に俯瞰してつくれたらと思っています。

《ディスリンピック2680》 2018年 木版画:油性インク、和紙
撮影:宮島径
写真提供:無人島プロダクション

──風間さんにとって、木版画の魅力はどんなところにありますか。

私は美大受験もしていないのでデッサンや絵には自信がないのです。でも木版画は、木を彫り紙に刷るというプロセスを経ることで、かなり絵づくりが変わります。自分の絵が制作の途中で変化するのを毎回体験できる。それが楽しいし、飽きることはないですね。

──次作に向けて、今はどんなリサーチをされていますか。

今のリサーチのテーマは「ユートピア」です。ディストピアを描いた《ディスリンピック2680》と対をなすような大きな作品を、じっくりと時間をかけて制作したいと思っています。ユートピアについては、人類が理想の社会制度を実現する過程で、結局はイデオロギーの対立が起き、戦争に行き着いてしまう皮肉や、地球に見切りをつけて宇宙開発に楽園を見出そうとする身勝手さなどの寓意を集めようかと思っています。もう一つは、「風雲13号地」「臆!怒涛の閉塞艦」の巨大船舶シリーズで、第3弾として「凪」の情景を描く予定です。前2作は荒波ですが、新作は静かな海で不穏さを表現したいです。「ユートピア」と「凪」の大型作品2点は自分が生きてる内に完成させる集大成的なものとして考えています。

一番手前の版木は作品《ディスリンピック2680》の中央部分。下に置かれているのは原画だ。何枚刷っても緊張感が集中する一枚目が一番良い、という経験から、基本的に一枚の版木から一枚しか刷らず、試し刷りもできるだけしたくないという。そのためか、版木はどれもとてもきれい
《臆!怒涛の閉塞艦》 2012年 木版画:墨、和紙、パネル
撮影:宮島径
写真提供: 無人島プロダクション

Text:坂本のどか
Photo:栗原論

風間サチコ
Sachiko Kazama

1972年東京都生まれ。1996年武蔵野美術学園版画研究科修了。現在起きている現象の根源を過去に探り、未来に垂れこむ暗雲を予兆させる黒い木版画を中心に制作する。2018年に発表した作品《ディスリンピック2680》がニューヨーク近代美術館に収蔵されるなど、国内外で高い評価を受けている。2021年にはTokyo Contemporary Art Award 2019-2021に選出され、受賞記念展を東京都現代美術館にて開催。現在、「森美術館開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」(森美術館、-9月24日)に出品中。

今後の予定

所蔵作品展 MOMATコレクション
会期:9月20日-12月3日
会場:東京国立近代美術館
観覧料:一般500円 大学生250円
https://www.momat.go.jp

個展『ニュー松島』
会期:10月28日-12月2日
会場:無人島プロダクション(墨田区)
https://www.mujin-to.com

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