――小田さんが参加された2015年の「タレンツ・トーキョー」は、タル・ベーラ監督がボスニアのサラエボに開校したフィルム・ファクトリーの第一期生として学んでいた時期とも被っていますよね。
映画界のあたらしい才能を育む
「タレンツ・トーキョー」〈後編〉 小田香
アーティスト・サバイバル・メソッド
No.023アジア圏の若者を対象に講義とワークショップ形式で映画人を育成するプロジェクト「タレンツ・トーキョー」。2022年度の受講生募集(5/1~5/31)にあわせて過去の受講生のインタビューをお届けする。
[後編]では、2021年の「タレンツ・トーキョー・アワード」に輝いた木村あさぎさんが影響を受けた監督と語る2015年の修了生で、ボスニアの炭鉱を主題とした長編作品『鉱 ARAGANE』(2015)やメキシコにある水中洞窟を撮影した『セノーテ』(2017)等で国内外の評価が高まる小田香さんに語っていただいた。
「人と違っていることは孤独だけど、安心する」
小田 はい、まだ在学中の最後の年だったと思います。
――小田さんはフィルム・ファクトリー以前にもアメリカのホリンズ大学で映画の勉強をされています。映画を学ぼうと思ったきっかけはありましたか?
小田 10代の頃はバスケットボールしかしていなかったのですが、靭帯を2回切って全力で走ることができなくなったんです。高校3年生の時で、すごくふんわりですけど海外に行ってみたい気持ちがあったので、アメリカのバージニア州の田舎の一般教養大学に行きました。そこで一応映画製作がメインのコースを取って、卒業制作の指導教員の方に「自分の人生で一番の葛藤を撮りなさい」と言われたのです。私は自分の性自認が曖昧で、性的指向としては女性が好きなんですね。これについて家族に話したことがなかったので、映画にするかはわからないけど一旦告白をしてみたら、なかなか厳しい反応で……。おそらく自分が話したことが自然になかったことになりそうな雰囲気だったんです。
――意を決したけれどスルーされてしまう感じだったのですか?
小田 そうですね。だからもう一回、映画づくりを通して自分たちに何が起きたのかを確かめられないか、もしくは向き合えないかなと思って、家族に自分たちを演じてもらって告白の場面を再現したのが最初の作品『ノイズが言うには』(2010)です。その経験がすごく強烈で、反省も多々ありますが、カメラを通したコミュニケーションのあり方、道具としての使い方に可能性を感じました。ただ、燃え尽きて一旦灰になってしまっていたときに、なら国際映画祭のプログラマーの人が「タル・ベーラがサラエボで新しい映画学校をつくる」と教えてくれたのです。新しい場所でいろんな人に出会ったら、何かが変わるかなと思って応募しました。
――「タレンツ・トーキョー」のコミュニケーション手段は英語ですが、サラエボのフィルム・ファクトリーでは?
小田 英語です。授業もそうですし、ボスニアでは高齢の方以外はだいたい英語を話されましたね。でも英会話はビックリするくらいできなかった(笑)。私、関西外大の短期大学部で英語を2年ほど勉強したんですが、会話になるとほぼ何も喋れないことをアメリカで痛感しました。でもいろんな人が助けてくれたのと、映画とか絵画とか、言語だけじゃない授業を中心に取っていたので、なんとか卒業できました。英語力はサラエボでもそんなに変わらない状態でしたね。
――サラエボでの学費や生活費はどう捻出されたのでしょう?
小田 貯金がゼロで、応募用紙には「お金ないです」って書きました(笑)。サラエボでは一年に200万円あれば学費と生活費が賄えた。一年目は両親から100万円借りました。あと返さなくていい助成金を4、50万もらえて、2年目はポーラ美術振興財団の助成金に受かって300万ぐらいいただいたんです。いよいよ3年目の学費をどうしようってなったときに、学費免除にしてもらえてなんとか卒業できました。
――「タレンツ・トーキョー」にはどうして参加しようと思ったのでしょうか?
小田 私はフィルム・ファクトリーの卒業制作で『鉱 ARAGANE』をつくって、やっと映画を続けていこうと思えたんです。次はエッセイ映画みたいなものをつくろうと考えていた時に、フィルム・ファクトリーで一緒だったシンガポール人の友人から「一回いろんな人の話を聞いてみたり、そういう場所で揉まれる時間があってもいいんじゃないか」と言われて、「タレンツ・トーキョー」のことも教えくれました。
――具体的に学びたいもののイメージはありましたか?
小田 当時の構想を人に話すことで整理してみたかったっていうのと、もう一つは、私の中に“ピッチ”っていうものへの疑念があったんですね。今でもありますけど(笑)。でも、それがどんなものか、どんな雰囲気でなされるのかを勉強してみようと思いました。
――“ピッチ”への印象は変わりましたか?
小田 作品を売るために言葉をわかりやすくするとか、そういうことが大事なのかなという固定概念があったんですが、私の年に賞をもらったのはラウさん(ラウ・ケクフアット)というマレーシア人で、私にも彼のピッチが一番心に響いたんです。彼は決してわかりやすく売るために言葉を選んでたわけじゃないし、本当にその映画をつくりたい、そのために支援が必要だっていうのが非常にシンプルな形で伝わってきた。自分はもしかしたら斜めから考えすぎていただけなのかなっていう気持ちになったのを一番覚えてますね。
――小田さんは『鉱 ARAGANE』でも『セノーテ』でも、最初の時点で完成形が見えておらず、つくりながらどんどん形が出来上がっていく方法を取ってこられましたが、ピッチの時はある程度具体的に「こんな映画です」と言わないといけないですよね?
小田 はい。それができないから、自分はこれまでピッチや具体的な企画書や脚本を必要とするような映画のお金をもらったことがないのだと思います。『セノーテ』の場合は、おおさか創造千島財団や愛知芸術文化センターから製作資金をいただきましたが、足りない部分はじぶんで貯めたお金と、一緒につくったメキシコ人の友だちのお金です。すでに実績がある人ならお名前を担保にすることも可能かもしれませんが、自分たちみたいな若い作家だと保証がない。普通に考えて、私でも出さないなってなりますし(笑)。そこがジレンマですね。でも、ぼんやりとしたものしかない時でも、言葉に尽くす努力は必要だと思うようになりました。そういう意味では、私は「タレンツ・トーキョー」で見たものをもっと勉強しないといけないなと思っています。
――小田さんが「タレンツ・トーキョー」に出されたエッセイの映画の企画は、その後、どうなりましたか?
小田 2015年の11月に「タレンツ・トーキョー」に参加し、2016年の2月にはフィルム・ファクトリーも卒業して日本に帰ってきたのですが、そこから4月ぐらいまで編集期間をつくって、春頃には完成して、ワールドプレミアを「ライプツィヒ国際ドキュメンタリー・アニメーション映画祭」で上映しました。ほかにも映画祭をいくつか回り、日本では自分の特集上映をしていただいた時には、『あの優しさへ』(2017)というタイトルで、『ノイズが言うには』とセットで上映したりしています。
――「タレンツ・トーキョー」に参加したことで、その後の広がりがありましたか?
小田 接点という意味では、マレーシアのラウさんの作品が完成して大阪で上映されたのを観に行って、「映画ができてよかったね」とやり取りしたぐらいです。私が参加した年はみんな真面目で、映画のことしかしてなかったから、もっと遊べばよかったのかもしれないです(笑)。正直なところ、何かやりたいこと、つくりたいものが本当にある人は、映画学校や「タレンツ・トーキョー」に行かなくてもやると思います。でも映画をつくっていて、最初から最後まで一人で完結するのも寂しいじゃないですか。一人でつくるのも楽しいですが、いろんな人と話し合えるのは、また別の快楽があります。あとやっぱりみんなやり方が違う。映画の捉え方も、映画づくりの捉え方も違う。自分が人と違うことを発見するのは孤独だけど、自分も違っていていいんだと安心できます。フィルム・ファクトリーや「タレンツ・トーキョー」に行けたことは、私はすごく幸運だったと思いますね。
Text: 村山章
小田香
Kaori Oda
1987年大阪府生まれ。フィルムメーカー/アーティスト。イメージと音を通して人間の記憶(声)―私たちはどこから来て、どこに向かっているのか―を探究する。2013年、映画監督のタル・ベーラが陣頭指揮する若手映画作家育成プログラム、フィルム・ファクトリーに第1期生として参加し、2016年に同プログラムを修了。ボスニアの炭鉱を主題とした第一長編作品《鉱 ARAGANE》(2015)が山形国際ドキュメンタリー映画祭・アジア千波万波部門にて特別賞を受賞。2019年、メキシコにある水中洞窟を撮影した《セノーテ》が完成。ロッテルダム国際映画祭ブライト・フューチャー部門で上映され各国を巡回。2020年、第1回大島渚賞を受賞。2021年、第71回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞。
https://www.fieldrain.net/
タレンツ・トーキョー2022
映画分野における東京からの文化の創造・発信を強化するため、「次世代の巨匠」になる可能性を秘めた「才能(=Talents、タレンツ)」を育成することを目的に、映画作家やプロデューサーを目指すアジアの若者を東京に集めて実施。世界で活躍していくためのノウハウや国際的なネットワークを構築する機会を提供している。《5月1日~5月31日まで受講生募集中》
会期:2022年10月31日~11月5日(東京フィルメックス開催期間中の6日間)
会場:有楽町朝日ホールほか
対象:東アジア・東南アジア地域の映画監督・プロデューサーを目指す方
募集人数:国内外あわせて最大15名
※新型コロナウイルス感染症の状況に鑑み、実施内容等に変更が生じる場合があります
主催:東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京、タレンツ・トーキョー実行委員会
提携:ベルリン国際映画祭(ベルリナーレ・タレンツ)
協力:ゲーテ・インスティトゥート/東京ドイツ文化センター
ウェブサイト https://talents-tokyo.jp/