――男の人の顔芸に注目の羽根つきですね(笑)。
新年の明るさ・文明開化の明るさを表現
江戸アートナビ
No.010江戸絵画の専門家・安村敏信先生と一緒に、楽しく美術を学ぶコラム「江戸アートナビ」。今回は、新しい年の始まりにピッタリの作品、月岡芳年(つきおかよしとし)の《正月羽根突図(しょうがつはねつきず)》を紹介します。明治という新たな時代の到来で、幕末~明治初期の絵師たちは己の表現とどう向き合っていったのでしょうか。芳年の生き方とともに、検証していきます。
監修/安村敏信氏
Point.1 明治初期の時代を象徴する1点
まず、立派な門前に大きな門松が立てられているので、この女性たちは豪商の娘さんとそのお友達かなにかでしょう。ザンギリ頭の男性は、前掛けをしているので番頭さんかな。羽根つきの相手をさせられて、お嬢様のスマッシュが顔面に直撃したのか、もの凄い表情をしています。だけど、どんなに痛くても文句は言えない身の上。お友達も笑いが抑えられない様子。まさに、新しい年の明るさ、文明開化の明るさを表現した場面と言えるでしょう。
芳年のサインから、この絵は明治11年~17年くらいに描かれたと推定されます。幕末の動乱期から少し落ち着いて来た頃ですが、江戸と明治の風俗がごちゃ混ぜになっていますね。それを象徴しているのが、番頭さんの着物の中のシャツ。表に着れば西洋風ですが、当時は下着として取り入れられていました。高下駄の立体感や着物の濃淡など、表現にも西洋の陰影法が活かされており、和の中に洋を取り入れてごった煮にしてしまう、そういった混沌とした面白さがあります。また、芳年はもともと浮世絵師として活躍していた人物です。その彼が、明治という新しい時代の風俗画を描いたと考えると、《正月羽根突図》は最後の浮世絵のひとつと言えるかもしれません。
Point.2 最後の浮世絵師のひとり、月岡芳年
――導入は明るいお正月の作品ですが、芳年の真骨頂は血みどろ絵ですよね!
血みどろ絵だけでなく、《正月羽根突図》のようなコミカルな作品、晩年の静かな歴史画も見どころはありますよ。幕末から明治初期に活動していた絵師たちは、江戸絵画史からも近代絵画史からも抜け落ちてしまっていることが多く、この時代の転換期に絵師たちは何をしてきたのか。どのような生き方をしていたのか。その変遷を見ていかないとダメなんですね。
芳年は十代で歌川国芳(うたがわくによし)の門人となり、武者絵や役者絵などを描いていました。ちょうどこの頃、黒船が来航し、尊王攘夷運動が活発化したり、幕府軍と新政府軍が衝突したりと、当時の江戸では血なまぐさい事件が多発。グロテスクな見世物小屋が流行したことからもわかるように、残酷な表現が江戸の庶民たちのカタルシスになっていました。芳年も無惨絵を数多く残しています。同門の絵師、落合芳幾(おちあいよしいく)との合作《英名二十八衆句(えいめいにじゅうはっしゅうく)》は有名ですね。まあ、こういう血まみれの絵ばっかり描いたり、自信作の人気が芳しくないことなどが重なり、明治に入ってすぐ芳年は病気になってしまうのですが。
数年かけて復活した芳年は、号を大蘇芳年(たいそよしとし)と改め、新聞錦絵を手掛けるようになります。新聞錦絵というのは、売れなくなった浮世絵に取って代わるメディアで、文字が読めなくてもわかるよう事件を絵で報じる絵入り新聞のことです。今の三面記事のような内容で、芳年はまた猟奇的なシーンばっかり描いています。その後、浮世絵の復興を目指し、様々なシリーズを世に送り出します。説話や歴史をテーマとしたものが多く、血みどろやエロティックな表現が静かな世界へと昇華されていくんですね。最晩年の《月百姿(つきひゃくし)》は、まさに静の境地にある作品と言えます。
芳年の創作の変遷を見ていくと、ずっとこの人は浮世絵の世界を離れなかった、ということがわかるでしょう。時代の転換期に浮世絵師という職人の世界を離れず、新しい時代へ浮世絵を継承していった。そして、浮世絵の本元である当世風俗を描くというのも肉筆で残している。このあたりも、最後の浮世絵師と言われる所以です。まあ、相当頑固だったんでしょう。
Point.3 悩んでいるから面白い、幕末~明治初期の絵
――芳年の印象が変わりました。他にも時代のはざまに埋もれてしまった作家や作品がたくさんあるんですね。
河鍋暁斎(かわなべきょうさい)や小林清親(こばやしきよちか)、小林永濯(こばやしえいたく)、柴田是真(しばたぜしん)なども面白いんですよ。だけど近代絵画史はだいたいフランス帰りの黒田清輝(くろだせいき)の洋画から始まる上、みんな黒田が帰国する前に亡くなっていることもあり、美術史から抜け落ちてしまっているんですね。
西洋美術の本場に留学していた黒田の絵は洗練されているかもしれないけど、そんなに面白くないでしょう。それよりも、西洋からもたらされた絵画や写真を見て、どうやってこの表現を取り入れたらいいのか。自分の中で悩みに悩んで形にしている人たちの作品の方が断然面白い。高橋由一(たかはしゆいち)は「写実とは何だ?」と真剣に考えて、似せることより存在感を与えることだと結論付け《花魁(おいらん)》を描いたら、モデルから「私に全然似てない」と文句を言われてしまっていますけどね(笑)。
油絵具を手にした岸田劉生(きしだりゅうせい)は、黒田清輝のように油絵を描いてもそれは東洋の絵ではないと考え、中国の宋元画(そうげんが)を研究。東洋的リアリティとは表面的なものを似せて描くのではなく、その奥にある精神性であるとして、ひたすら娘の《麗子像(れいこぞう)》を描きました。こういう悩んだ人たちの絵というのは、やっぱり面白い。芳年も浮世絵の伝統を明治へ継承するにはどうずればいいのか、大いに悩んだ人のひとりだったんですね。
イラストレーション/伊野孝行
監修/安村敏信(やすむら・としのぶ)
1953年富山県生まれ。東北大学大学院博士課程前期修了。2013年3月まで、板橋区立美術館館長。学芸員時代は、江戸時代の日本美術のユニークな企画を多数開催。4月より“萬美術屋”として活動をスタート。現在、社団法人日本アート評価保存協会の事務局長。主な著書に、『江戸絵画の非常識』(敬文舎)、『狩野一信 五百羅漢図』(小学館)、『日本美術全集 第13巻 宗達・光琳と桂離宮』(監修/小学館)、『浮世絵美人解体新書』(世界文化社)など。