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飯田橋〈後編〉 age4-12

石川直樹 東京の記憶を旅する

No.007
飯田橋 2015/12/9

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2013.08.28

Photo & text:石川直樹[いしかわ・なおき]

暁星学園周辺から、ふたたび飯田橋駅へと石川直樹の記憶は向かう。現在の飯田橋駅は、JR総武線、東京メトロ有楽町線・南北線・東西線、都営地下鉄大江戸線の各線が集中し、毎日多くの人が行き交う。この駅で、小学生当時の石川の目に見えていた世界は、どんなものだったのだろうか。


5-1――「買い食い」と「車両渡り」

中学に上がってから、学校周辺の行動範囲はどんどん広がっていきました。小学生の頃は「通学路から外れないように」という学校の教えを守って、ほとんど寄り道もせず、飯田橋駅と学校間の決められた道を往復していました。

通学路でできる悪いことと言えば「買い食い」でしょうか。大人になってから反芻すると、変な言葉だなあと思います。「もらい食い」ならいいのか、とか…。ともかく、通学の最中に何かを買って食べることは、小学生当時、きわめて悪いことである、と教えこまれていたのです。駅のホームにあるキオスクなどで、先生に報告されるんじゃないか、とびくびくしながらお菓子を買っていたのを思い出します。

他には、電車に乗り込んでから「車両渡り」をしてはいけない、と教え込まれていました。これも「買い食い」と同じ類の、謎の不良ワードです。一度乗った車両を移動して別の車両に行くことをぼくたちは「車両渡り」と呼んでいましたが、これは一般的な言葉なのか、今もよくわかりません。おそらく連結部分に落ちないように、或いは、混雑時に他の乗客に迷惑をかけないように、という配慮から禁じられた行為だと思います。

ダメと言われるとやりたくなるもので、車両が空いているときに、こっそり車両渡りをしたり、あの連結部分の空間にあえて閉じこもったりしたこともありました。それだけのことなのに、なぜか背徳の香りがしましたね…。

5-2――駅の中の遊び

当時、駅のホームの端を定位置にしていたホームレスの人がいました。改札の電話脇にいた人とは別のホームレスのおじさんです。そのおじさんを、意味もなく確認しに行くのも、少しどきどきする行為でした。

友達と一緒に帰るときは、エスカレーターの手すりベルトを握って親指をベルトの下の動かない部分にギュッと押し当て、親指に見る見るたまっていくホコリの量を競ったり、エスカレーター脇にある大理石でできたちょっとした台状の場所で、コインを落とすゲームをしていたこともあります。特に悪いことではないと思うのですが、決して褒められる行為ではない。そのあたりの微妙なグレーゾーンが、自分にとっての冒険でした。

限定された行動範囲でしたが、小学生なりの遊びを展開し、大人のいる世界とは別の世界に生きていたんだな、と今になって思います。

5-3――チョロQ

小学生の頃、読書やサッカーのほかによくやっていたことといえば、ガチャガチャのキン消し(キン肉マン消しゴム)集め、ビックリマンシール集め、「ドラゴンクエスト」などのテレビゲームや、チョロQやミニ四駆などです。普通の子がやっていることはおそらく一通り熱中していました。特にチョロQは、改造に改造を重ねて小学生を対象としたチョロQレースの全国大会で、3位に入賞したことがあります。ボディを外してゼンマイ式のエンジンをプラ板に貼り付けて車体をつくり、ほとんどエンジンと車輪だけという軽量化を施して、スピードを競っていました。池袋のサンシャインシティにあったおもちゃ屋の前で、そんなチョロQレースが開かれていたので、週末に親に頼んで通っていた時代もありましたね。

5-4――未知の風景

子どもの頃の冒険は、創造力の冒険だったなと思います。まだ一人で自由に出かけることができないためにそうせざるをえなかったということもありますが、実際の旅に引けを取らない冒険だったと思います。

大人になるにつれて、駅は単なる目的地への通過地点に過ぎなくなり、エスカレーターはエスカレーターでしかなくなりますが、子どものときは、車両渡りをすることによって単なる移動が冒険になり、エスカレーター脇のなんでもない台がコイン落としのゲーム会場となり、駅のホームの端でホームレスのおじさんに遭遇して未知の世界を垣間見ていたわけです。

遠い非日常の世界に行かずとも、日常のなかに身を置きながら、視点を変えて新しい世界と出会う。いつものレイヤーとは異なるレイヤーに滑り込んで、目の前に未知の風景を導き出すという術は、子どもの頃のほうが圧倒的に優れていました。そうしようと思って意図的にするのではなく、自然に新しい空間を生み出していたということです。

飯田橋 2015/12/9

5-5――移動する仕事

はっきりいつからかは覚えていませんが、小学生の頃は、漠然と「何でもいいから移動する仕事につきたい」と考えるようになっていました。

タクシーの運転手や、飛行機のパイロット、そんな仕事につけばどこにでも行くことができる、と夢見ていたんだと思います。見知らぬ場所に行きたい、遠くに行ってみたいという願望は、その頃からあったということかもしれません

飯田橋 2015/12/9

石川直樹(いしかわ・なおき)

1977年東京生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。最近では、ヒマラヤの8000m峰に焦点をあてた写真集シリーズ『Lhotse』『Qomolangma』『Manaslu』『Makalu』『K2』(SLANT)を5冊連続刊行。最新刊に写真集『国東半島』『髪』『潟と里山』(青土社)、『SAKHALIN』(アマナ)がある。

石川直樹さん近影

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