6-1――最寄り駅が変わる
九段下〈前編〉 age13-18
石川直樹 東京の記憶を旅する
No.008Photo & text:石川直樹[いしかわ・なおき]
石川直樹が暁星学園で過ごした14年(幼稚園~高校)のあいだに、実家の引っ越しによって、通学の最寄り駅は飯田橋から、目白通りを南東方向へ1キロ弱離れた九段下へと変わった。江戸城に隣接する九段下という地名の由来は、江戸城の吹上庭園の役人の官舎が、この坂に九棟並んでいたからとも、かつては急坂で九つの石段があったからとも言われている。界隈には、明治2年(1869)創建の戦没者を祀る靖国神社や、野鳥も集まる緑豊かで広大な敷地に日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術館などが点在する北の丸公園、桜の名所で名高い千鳥ヶ淵や牛ヶ淵などの濠、そして、国内有数の古書店街で知られる神保町などがあって、それらすべてが中学・高校時代の石川の行動範囲内だった。学校を中心とした半径数キロの世界から、心の赴くままに国内外の高峰、海、空までをも縦横に旅する現在は、どのようにつながっていったのか。前夜とも言える日々の記憶。
板橋の小竹向原に住んでいたのは、幼稚園から中一の夏休みまででした。暁星学園へは、小竹向原駅から有楽町線で一本の飯田橋駅を使って通いましたが、その後、世田谷区松原への引っ越しを経て目黒区に居を移すことになります。それに伴って、飯田橋駅からではなく、半蔵門線の九段下駅へと学校の最寄り駅も変わることになりました。
暁星小学校へは、飯田橋駅から二合半坂を上っていきましたが、引っ越し後、中学からは九段下駅で降りて靖国神社の南側の九段坂を上っていくのが定番のルートになりました。毎年7月半ばには靖国神社で「みたままつり」が、帰り道、鳥居の奥の参道が献灯で輝く中を歩いて、屋台で色のついたひよこを買ったりしたことを覚えています。動物保護団体からクレームでもきたのか、最近はひよこを売る屋台は見かけなくなりましたが、当時はよく見かけましたね。そういう時代だったのでしょう。
靖国神社は、時代を経るごとに政治的な色合いが濃くなって、無邪気には行きにくくなってしまいましたが、昔は参道の脇で遊んだり、木陰で本を読んだりするのにちょうどいい好きな場所の一つでした。
6-2――広がる同心円
最寄り駅が変わって飯田橋方面に行かなくなったかというとそんなこともなく、放課後に友人たちとゲームセンターへ遊びにいきました。ゲームセンターは飯田橋や神楽坂に点在していて、悪友と入り浸るスポットになっていきます。パンチの打撃力を競うゲームやパズルゲームのテトリスに熱中し、50円硬貨や100円硬貨を握りしめて出入りしていました。当然、学校では行くのを禁止されている場所でしたから、時々先生に見つかってこっぴどく叱られたことも。
家と学校の往復が中心だった小学校時代とは違って、中学、高校と進むにつれ、ゲームセンターにとどまらず、ぼくの活動範囲は学校から近い飯田橋や九段下を中心に、徐々に同心円状に広がっていきます。
6-3――陸上部の先輩
靖国神社の鳥居前の歩道橋を渡ると、北の丸公園になります。ここは中学から入部した陸上部の練習場所になっていて、頻繁に通っていました。
昔から運動会の時にアンカーを任されたりして、短距離走は得意でした。クラスで一番足が早かったし、学年でもいつも上位でした。そんな理由で選んだ部活でしたが、なぜか不良の集まる部でもあって、先輩たちは特に悪い人が集まっていた(笑)。
大人っぽい雰囲気の彼らからは、学校の外の世界、とりわけ洋服などのファッションのことを教えてもらいました。ニューバランスのレアなモデルを見せびらかされてうらやましく思ったり、ラングラーのブーツカットのジーンズを真似して買ってみたり、今ではちゃんちゃらおかしいですが、かなり影響を受けていました。
陸上部は高校2年まで続けましたが、高二の夏休みにインドに行ったのをきっかけに、すっぱりと辞めました。その前からバイトなどを始めたために部活に参加できなくなり、集団行動よりも一人で何かを計画することのほうに比重が移っていったんです。
6-4――北の丸公園
北の丸公園は、部活以外でも何かと立ち寄る場所でした。科学技術館には小学校のときから見学で何度も訪れたし、東京国立近代美術館へもたまに見に行っていました。武道館もコンサートに行った覚えがあります。恥ずかしくて言いにくいのですが、中学時代は谷村有美さんという歌手のファンで、武道館のコンサートに行ったこともあります。
授業が早く終わっても家にすぐに帰りたくない気分の時は、公園内の森を散歩したり、芝生や木陰で本を読んだりしていました。
中学生の時、部活が終わって北の丸公園のお濠を見下ろせるあたりを散歩していた時、森の中に建っている石碑の裏で、カップルがいちゃいちゃからみ合っているところを見てしまったこともあります。衝撃的な情景で、興奮しながらなぜか走りだしてしまったのを覚えています。それからしばらくは、公園を歩くときにそれとなくカップルを目で追ってしまうようになりましたが、ああした光景に出くわすことは二度とありませんでした。最近、その石碑があったと記憶している場所を歩いてみたものの、石碑すら見つからずじまいだったのが残念です。
国立近代美術館近くの首都高速と接する付近のフェンス脇を通ると、父が勤めていた住友商事竹橋ビルの黒い建物が見え、「あそこで働いているんだな」と思いながら通り過ぎたりしていました。父と家を出る時間は別でしたが、帰りにはたまに車に乗せてもらうこともありました。
千鳥ヶ淵の桜が舞う光景は、ぼくの桜にまつわる原風景でもあります。卒業式や入学式が続いて、別れと出会いで人並みにナイーブになっていた時期と、千鳥ヶ淵に舞う桜が重なって、桜の季節になるとあの頃のことを思い出すんです。
石川直樹(いしかわ・なおき)
1977年東京生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。最近では、ヒマラヤの8000m峰に焦点をあてた写真集シリーズ『Lhotse』『Qomolangma』『Manaslu』『Makalu』『K2』(SLANT)を5冊連続刊行。最新刊に写真集『国東半島』『髪』『潟と里山』(青土社)、『SAKHALIN』(アマナ)がある。