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長谷川町子の画業を紹介する記念館がオープン

「長谷川町子記念館」(長谷川町子美術館分館)

新しいアートスポット

No.003
長谷川町子記念館には『サザエさん』をはじめ多くの作品が並ぶ

『サザエさん』『いじわるばあさん』など多くの人に愛され続ける傑作を生んだ漫画家・長谷川町子。町子の生誕100年となる2020年7月、長谷川町子記念館が誕生しました。彼女の生涯や作品世界を存分に紹介するこの記念館は、向かいにある長谷川町子美術館の分館として建てられました。


長谷川町子が集めた数々の美術品や工芸品

『サザエさん』の舞台である世田谷区の桜新町は、東急田園都市線で渋谷駅から4つ目の駅にあります。桜新町駅を降り立つと街にはいたるところに磯野家のキャラクターが見られます。その桜新町の一角にあるのが、長谷川町子美術館と長谷川町子記念館です。

1985年に建てられた長谷川町子美術館(本館)

長谷川町子美術館は、長谷川町子(1920-1992)が姉の毬子(1917-2012)とともに収集した美術品・工芸品を広く見てもらう場として、1985年に「長谷川美術館」の名でオープンしました。1992年の町子亡きあとも毬子は収集を続け、姉妹によるコレクションは日本画、洋画、工芸品、彫塑など合わせて約800点にものぼります。長谷川町子美術館では、それらの所蔵作品をもとにコレクション展を開催しています。

2020年度のコレクション展のテーマは「長谷川町子が愛したものたち」。第一弾(2020年7月11日〔土〕~9月27日〔日〕)では、町子が初めて購入した岡鹿之助の《三色すみれ》をはじめ、初期に収集した加山又造や東山魁夷、山口華楊などの日本画のほか、マルク・シャガール、ジョルジュ・ルオーなどの近代絵画、藤田喬平のガラス工芸など約50点が展示されていました。「毬子さんは写実的な作品、町子さんはどちらかというと柔らかい印象の作品がお好きだったようでした」と長谷川町子美術館学芸員・広報の相澤弘子さんは解説します。

美術館1階(左)から、2階にかけて吹き抜け(右)が特徴的な展示室となっている

2階では、アニメ「サザエさん」の制作の裏側も覗けます。「アニメと原作では微妙な違いがあります」と相澤さん。

「4コマ漫画は、新聞に1946年から1974年までの28年間掲載されましたが、はじめはちゃぶ台でご飯を食べていた磯野家が、やがてダイニングテーブルでワインを飲むなど、時代にあった生活が描かれています。一方1969年にスタートしたアニメは、磯野家の間取りもキャラクターも、スタートの際の頃に設定されました」

漫画では間取りに辻褄の合わないところもあるそうですが、アニメでは全ての間取りの設定を作成しているので、写真のようなジオラマが作れるほどです。また、キャラクターに対しても表情など細かいところまで設定されています。

「アニメの部屋」ではジオラマの展示や、登場人物や登場する物の設定を描いた資料も

美術館の設計にも町子のこだわりを垣間見ることができます。

相澤さん「自然光によって作品の表情が豊かになるように、と展示室には大きな吹き抜けと天窓が設けられました。また、順序を設けずにさまざまな角度から作品を自由に見てもらいたい、と三角形の軸線が多いのも特徴です。外壁のレンガには凹凸がありますが、愛知県にある会社に自ら出向いて、レンガを削って見せたそうです」

長谷川町子が自身の収集品や美術館について描いた漫画「私と美術館」も、2階に展示されている。「私と美術館」は美術館のウェブサイトでも公開

https://www.hasegawamachiko.jp/wp-content/uploads/2020/03/watashi.png

なぜ『サザエさん』は愛されるのか

そして、2020年7月に、長谷川町子美術館の向かい側に建てられたのが、分館の長谷川町子記念館です。地上2階の建物に、2つの常設展示室と企画展示室、ショップ(購買部)やカフェ(喫茶部)があります。

長谷川町子美術館(本館)の道路を挟んだ向かい側に建てられた長谷川町子記念館

1階の常設展示室「町子の作品」は、町子の三大作『サザエさん』『いじわるばあさん』『エプロンおばさん』を中心にその作品を紹介する部屋です。大きな見所は、最新技術によって作品世界が楽しめるところ。原作のデジタルアーカイブを自由に閲覧できるほか、インタラクティブな仕掛けで遊べる落書きなどで『サザエさん』の世界を体験できます。奥にあるコーナーでは、町子の貴重な絵本や塗り絵が閲覧でき、塗り絵の体験も。

常設展示室では人気キャラクターたちがお出迎え
カツオが落書きをしていた板塀に、デジタルで落書きができる
原画のデジタルアーカイブ。ところどころ切り貼りされているものもあるが(左)、新聞や雑誌の連載用に描いたものから、単行本にする際にコマの幅を広げるために、細かな作業をしていたことがよくわかる

もう一つの常設展示室「町子の生涯」は2階です。ここでは誕生から72歳で亡くなるまでの町子の人となりや仕事を伝える、貴重な資料が展示されています。長谷川町子はなぜ漫画家になったのか、またどのような思いで作品をつくっていたのか。相澤さんの解説で、見ていきます。

「佐賀県で生まれた町子さんは、2、3歳の頃に福岡県に引っ越しました。両親と姉と妹の5人家族。父親が事業で成功したため裕福な家庭に育ちました。少女の頃から絵も得意で、おてんばだったそうです。そうした生活が一変するのは13歳のとき。父親が他界し、親戚を頼って一家で上京します。なんとか娘たちを一人前にしようとした母親は、ある日「田河水泡(たがわすいほう)先生のお弟子になりたい」と呟いた町子の言葉を聞いて、娘の背中を押します。町子は自分の描いたスケッチを持って田河先生に会いに行き、弟子入りを志願しました。『のらくろ』のヒットで人気作家だった田河先生への弟子入り志願者が多くいたなかでも、町子は認められ、学校に通いながら田河先生の仕事を手伝いました」

そうして1年ほど経った1935年、町子15歳の時に、「狸の面」で漫画家デビューします。その貴重なデビュー作をはじめ、少女の頃に描いた絵のスケッチブックなども展示されていました。

常設展示室「町子の生涯」

そこから『サザエさん』がスタートしたのは、終戦の翌年、1946年。町子が26歳のときでした。疎開で福岡にいた町子に、新たに創刊される新聞『夕刊フクニチ』への連載の話があったのがきっかけです。町子は自宅前の海岸で『サザエさん』の構想を練ったため、登場人物がすべて海の生き物になったと後に語っています。

初期の『サザエさん』原画。終戦直後の生活が描かれている

その後、三姉妹で姉妹社という出版社を立ち上げ、『サザエさん』の単行本を出版。『エプロンおばさん』や『いじわるばあさん』を週刊誌へ連載し、『サザエさん』の人気とともに活動を広げていきます。

「新聞連載は子供から大人まで見るので題材に悩むこともありましたが、週刊誌連載は気楽に書描けた、と町子さんは語っていたそうです」と相澤さん。ヒット作の裏側では大きな苦悩もあったようです。漫画を描きすぎて嫌になってしまい、1年ほど筆をとらなかったことも。その時期に制作した陶芸作品も展示されています。生涯アシスタントを取らなかったという町子。その膨大な仕事量と自身の作品へのこだわりや情熱がうかがえます。

長谷川町子の陶芸作品

2階には企画展示室もあり、あらゆるテーマで町子の作品や画業を紹介しています。開館第一弾の展示は、創作過程を追った「長谷川町子の漫画創作秘話」(2020年7月11日〔土〕~9月27日〔日〕)、第二弾は「漫画原画にみる1964東京五輪」(2020年10月10日〔土〕~2021年1月11日〔月・祝〕)です。

町子の作品や生涯を通して、多くの人に愛される作品を生み出す技術や情熱、そして町子誕生から現在に至るこの100年がどんなものであったのか、その一端を知ることのできる場所となっています。

喫茶部ではコーヒー(上)のほか、町子が好んで口にしたエピソードから着想を得たほうじ茶やドライパパイヤ(右下)なども。注文すると、番号札の代わりにキャラクターのカードを渡される(左下)
長谷川町子美術館学芸員・広報の相澤弘子さん

Text:佐藤恵美
Photo:畠中彩

長谷川町子美術館・長谷川町子記念館
住所:東京都世田谷区桜新町1-30-6
電話:03-3701-8766
開館時間:10:00-17:30(受付締切16:30)
休館日:月(祝日の場合は翌平日)、展示替期間、年末年始
入館料:一般900円ほか
https://www.hasegawamachiko.jp

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