アングラ演劇は21世紀に入ってすでに20年近く経っているにもかかわらず、依然として消えていない。それどころか、かつてアングラが打倒したとされる新劇系に、アングラの片鱗が見える舞台があり、驚かされる。
例えば、2019年3月に上演された劇団俳小の『殺し屋ジョー』(2019年3月20日~3月24日、於:シアターグリーン)は、米国作家によるハードボイルドな舞台を力強く立ちあげた。演出は温泉ドラゴンのシライケイタ。彼はもともと蜷川幸雄に見出された俳優だったが、近年では劇作・演出家としても高い評価を得ている。シライの劇団に属す、いわいのふ健がタイトルロールを演じたことも功を奏した。リアリズムの演技をベースにした新劇だが、演出に小劇場系を迎えると、化学変化を起こして別種のものが立ち現われる。台詞を説明的に演じるのではなく、身体性を根底に置くことで、言葉だけに頼らない「言語」が発動してくるのだ。これはある意味で、アングラが開発してきた理論の現代的適用である。
[アングラとは何か⑤]アングラ演劇は終わらない
西堂行人のトーキョー・シアター・ナビ
No.0051960~70年代、既存の演劇のあり方に反し、前衛的で実験的な表現に過激に挑戦した「アングラ演劇」。50年の時を経て、アングラ演劇は現在の演劇にどのような影響を及ぼしているのでしょうか? その光芒の行方を追う「アングラとは何か」最終回です。
もう一つの例を挙げよう。劇団東演の『マクべス』(2019年3月24日 ~4月7日、於:世田谷パブリックシアター/シアタートラム)には、通常新劇系の舞台ではめったに見られない強度をもった俳優たちが登場した。自在に使いこなされる巨大な壁の舞台装置も圧巻だった。演出はロシアのユーゴザーパド劇団を主宰していたワレリー・ベリャーコヴィッチ。リアリズム演技の牙城だったモスクワ芸術座に反旗を翻したベリャーコヴィッチは、身体性を打ち出すことで、台詞中心主義のリアリズム演劇に風穴を空けた。東演はロシア=ソビエト演劇と長年交流を持ち、以前からベリャーコヴィッチを演出に招聘していた。すると彼の演技訓練を徐々に身に付けていった若い俳優たちは、彼の実験性、前衛性を体得していった。それが『マクベス』に結実した。ベリャーコヴィッチは2016年、惜しくも急逝したが、今回の公演は彼の追悼の意もこめられている。
かつて小劇場運動の一翼を担った串田和美は、現在松本市にある市民芸術館の芸術監督を務めている。その彼が演出した『K.テンペスト』(2019年5月16日~5月19日、まつもと市民芸術館特設会場/2019年5月22日~5月26日、於:東京芸術劇場シアターイースト)は彼の50年のキャリアが結集されたような舞台だった。
シェイクスピアの最後の作品には、作者自身のラストメーセッジが託されていると言われる。プロスペローを演じた串田は、自分を南海の孤島に追放した積年の恨みを晴らすのでなく、寛容な態度で敵手を受け容れる。この芝居を串田は、役者たちの想像力を基に創り上げた。俳優の身体から立ち上がる演技は、言葉と言葉の行間を埋め、自前の楽器を用いて音を発し、観客との相互交流をはかった。シンプルなつくりだが、俳優の想像力をなによりも大切にした集団創造劇だった。
以上の例から、アングラが1960年代に世界中で勃興したことの理由が浮上してくる。アングラ・小劇場とは近代演劇が行き詰った後に出現した新しい表現の革命であり、身体性を根底に置くことで創造過程の見直しをはかり、言葉と身体の関係を再構築する試みに他ならなかった。「アングラ」は近代から現代を切断する契機であり、「アングラ・小劇場演劇」は、一つのパラダイムを獲得したのである。
アングラ演劇が時代や地域と結びついているだけなら、状況が一変してしまえば、表現も霧消してしまう。アングラは一過的な現象で終わらず、現代まで生き延びた。なぜならそこには、本質的で普遍的な理論が備わっていたからである。
1960年代に始まった演劇の革命は、半世紀を経てもいまだ解決のできない問題性をはらんでいる。この「アングラ演劇」という思考の運動はまだまだ終わらないのである。
<完>
西堂行人(にしどう・こうじん)
演劇評論家。明治学院大学文学部芸術学科教授。1954年東京生まれ。78年より劇評活動を開始し、アングラ・小劇場演劇をメインテーマとする。主な著書に『演劇思想の冒険』『韓国演劇への旅』『[証言]日本のアングラ』『唐十郎 特別講義―演劇・芸術・文学クロストーク』(編)など多数。最新刊は『蜷川幸雄×松本雄吉 二人の演出家の死と現代演劇』。