アートスペースの前身が職業紹介所というのは、なんだか少し奇妙な感じがしますが、その成り立ちには、当時の社会状況が見て取れます。
1928(昭和3)年の竣工時、明治から徐々に増えたサラリーマンが一般化し、企業への人的供給は肥大していました。高等教育を受けサラリーマンになる「知識階級」と呼ばれる若者たちが増えていたのです。しかし、1923年に起きた関東大震災や世界恐慌の影響で経済的な危機に陥っていた日本の社会は、そんな若者たちに応えることができず、それどころか、働き手を解雇せざるを得ないような状況でした。
そこで、当時の東京市が設けたのがこの建物です。1、2階に「婦人少年職業紹介所」、3階に知識階級を対象とした「本郷職業紹介所」を設け、仕事の斡旋を行なったのです。1929年に開所、その後1991年まで、職業安定所や職業訓練校など、マイナーチェンジを重ねながらも、「仕事」に関連した建物として使われ続けました。