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洒脱なセンスで江戸の風俗を描いた絵師

江戸アートナビ

No.003
江戸アートナビ3

江戸絵画の専門家・安村敏信先生と一緒に、楽しく美術を学ぶコラム「江戸アートナビ」。今回は、これからの季節、私たちも東京の街なかで一度は遭遇しそうな場面が描かれた《雨宿り図屏風》をピックアップ。話題は、作品解説から作者・英一蝶(はなぶさいっちょう)の波瀾万丈な人生へと続きます。


監修/安村敏信氏

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2014.06.13

Point.1 新しい風俗画に挑戦

江戸アートナビ3
英⼀蝶 《⾬宿り図屏⾵》 東京国⽴博物館蔵 Image: TNM Image Archives

――バラエティに富んだ人たちが雨宿りしていますね。

江戸時代には、庶民から武士まで、いろいろな階層の人がいたじゃない。そういうあらゆる階層の人たちが一か所に集まることってあんまりないんだけど、突然降ってきた雨によって、たまたま江戸の街を歩いていた人たちが大名屋敷の庇の下に集まってきた。《雨宿り図屏風》は、そんな偶然性がもたらす情景を描いたもので、新しい風俗画と言っていい絵です。一蝶が生きた時代、今から300年以上も前の元禄期は、狩野派の絵しかないような状況から、版画による浮世絵が普及し始めた頃。当時の風俗画は吉原とか歌舞伎小屋とか、ある特定の場所に集まった人たちを描いていた。でも、《雨宿り図屏風》はちょっと違うでしょ。街の一角を舞台に、物売り、職人、旅芸人、お坊さん、子どもに下級武士まで、江戸に生活していた様々な人たちを描いている。ワンちゃんまで雨宿りしてるしね。そういう風俗画って、なかったんですよ。

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《⾬宿り図屏⾵》(部分) 突然の⾬に⾝を寄せ合う⼈びと。やぶれ傘は⼀蝶作品に頻出するモチーフ

――浮世絵の祖・岩佐又兵衛(いわさまたべえ)や菱川師宣(ひしかわもろのぶ)のさらに上を目指すとも言っていたとか。新しい風俗画を描こうとしていた一蝶ってどんな人なんですか。

Point.2 医者の息子が太鼓持ちを経て島流しへ!?

一蝶は承応元(1652)年、京都の医者の家に生まれ、15歳頃、江戸に出て狩野派に入門し、20代~30代は俳諧師としても活動していたんですね。その頃から吉原に出入りするようになり、宴会を盛り上げる太鼓持ちとして活躍。紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)や奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)などの豪商も遊ばせているくらいだから、お金の使わせ方はすごかったでしょう。なんと、時の将軍・徳川綱吉(とくがわつなよし)の生母の甥にあたる大名に、遊女の身請けのため千両も使わせちゃったとか(笑)。これで、幕府から睨まれるようになるんだな。だけど、そんなことを公にして罪に問えないから、「生類憐れみの令」を皮肉る流説に関わったとかいう罪をなすりつけられて、牢屋に入れられてしまうんです。その時はなんとか出牢できたものの、派手な遊びは一向に止まず。ついに、一蝶は死罪の一歩手前みたいな、島流しを言い渡されます。罪状は「生類憐みの令」関連になっているんだけど、《朝妻舟図》で綱吉の妾を誹謗中傷したとか、幕府が弾圧していた日蓮宗の一派を信仰していたからとか、諸説あります。この時、一蝶47歳。これから12年間、三宅島での暮らしが始まります。

――すごい経歴ですね。三宅島でも絵を描いていたんですか。

Point.3 たくましく生きた島での12年間

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三宅島時代は、江戸での生活を思い出して《四季日待図巻》《吉原風俗図巻》を描いたり、島の人たちのために天神さんや観音様といった仏画をたくさん描いていたようです。何でそんなことができたかというと、島には江戸から定期船が来るので、一蝶はひそかに絵具や紙を取り寄せては絵を描き、その絵を江戸の商人たちが売りさばいていた、というわけ。商魂たくましい(笑)。島流しの身でありながら、一蝶はお小遣い稼ぎはできるは、パトロンはできるはで、結構裕福な暮らしをしていたようです。江戸の商人が送り込んだ、金泥や絹本を使ったものまで残っているからね。一方で貴重な紙を節約したり自分で表具をするなど、苦労の跡も見られます。そして宝永6(1709)年、綱吉が亡くなり、将軍代替の大赦でようやく一蝶は江戸に戻ります。島で世話をしてくれた女性との間にできた子ども(二代目一蝶)を連れて。

――家族までつくって……罪人とは思えない暮らしをしていたんですね。

Point.4 江戸に戻り、初めて英一蝶を名乗る

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実は一蝶、58歳で江戸に戻って来てから初めて“英一蝶”を名乗ります。それまでは、多賀朝湖(たがちょうこ)を名乗っていました。《雨宿り図屏風》は英一蝶の落款があるので、江戸に戻って来てから描かれたものだとわかります。今残っている絵も英一蝶のサインが多く、定年間際から再スタートして、いかにたくさん描いたのかという(笑)。古典のパロディーみたいなものもやっていて、それも一蝶の面白いところです。普通の人が見たら、ただ眠ってるおっさん。でも知識があれば哲学的な画題、荘子の胡蝶の夢だとわかるとか、元ネタがわかって初めて笑いがとれるという、ちょっと高尚な趣味人向けの絵も多く残しています。狩野派の画家なんだけど狩野派としてはあんまり扱われず、かといって浮世絵師でもない。ジャンルの狭間にうもれた感じがあるんだけど、英一蝶はもっと注目されていい人なんです。

イラストレーション/伊野孝行

No.004「しかけで楽しむ、隅田川の花火」へ

監修/安村敏信(やすむら・としのぶ)

1953年富山県生まれ。東北大学大学院博士課程前期修了。2013年3月まで、板橋区立美術館館長。学芸員時代は、江戸時代の日本美術のユニークな企画を多数開催。4月より“萬美術屋”として活動をスタート。現在、社団法人日本アート評価保存協会の事務局長。主な著書に、『江戸絵画の非常識』(敬文舎)、『狩野一信 五百羅漢図』(小学館)、『日本美術全集 第13巻 宗達・光琳と桂離宮』(監修/小学館)、『浮世絵美人解体新書』(世界文化社)など。

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