大田区にある昭和のくらし博物館は、1951(昭和26)年に東京都庁の建築技師であった小泉館長の父・孝さんの設計により自邸として建てられ、1996(平成8)年まで実際に使われていた住宅を家財道具ごと保存・公開している博物館です。1950(昭和25)年に始まった政府の住宅政策、住宅金融金庫の融資を受けて建てられたこの公庫建物は、規模や工事費などの制限があったものの、床面積が約18坪の建物内を少しでも広く使えるよう工夫がなされ、収納スペースも多くつくられています。
2018年11月から開催している特別展「映画『この世界の片隅に』~すずさんのおうち展」は、この博物館が同映画を製作する際のモデルになったことから実現しました。開催期間中は、小泉家に間借りするように、主人公すずの実家の浦野家、嫁ぎ先の北條家のくらしのようすが再現されています。
玄関を上がってすぐの洋間は、孝さんが使っていた書斎兼応接間です。机の上には製図に使う道具が並べられ、窓の上には小泉館長が孝さんを描いたスケッチが飾られています。このスケッチを見た片渕監督は『マイマイ新子と千年の魔法』(2009年)にて、登場人物のひとり・貴伊子(きいこ)が自室に母親が描いた赤ん坊の頃の自分の絵を飾っているシーンを入れたそう。
書斎を抜けると、お茶の間と台所、座敷へと続きます。お茶の間のちゃぶ台の上には、すずが作中でつくった料理がレシピの書かれた帳面とともに置かれ、ラジオからはニュース放送が流れていました。台所には「北條」と書かれたヤカン、すり鉢とすりこぎ、帆立貝の貝殻の上に置いた石鹸などが所狭しと並べられています。
座敷には、裁縫道具や戦争中の生活道具が展示され、登場人物の衣装も再現されていました。
座敷の脇にある階段から2階に上がった展示室には、複製原画や設定資料などとともに、戦時中に流通していたクレヨンや絵の具、化粧品などが展示されていました。設定資料を見ると、作中に描かれなかった家事や畑仕事がたくさんあったことがわかります。この展示室は、普段は「小泉知代記念館」として、亡くなった小泉家の次女・知代さんのろうけつ染めやグラフィックデザインの作品展を行っています。
また、庭先には浦野家が海苔業を営んでいることにちなみ、簾に海苔が干されていました。広島と東京では海苔のつくり方が違い、展示は同じく海苔の産地であった博物館のある大田区式です。今回の展示に際し、海苔干し職人が着ていた服装の試着や天秤棒を担ぐなど、庭先ではさまざまな体験コーナーが設けられています。学芸員の小林さんは、「縁側に座って庭の雰囲気を楽しむお客さんも多いんですよ」と教えてくれました。
戦争下の広島・呉に嫁いだすずの日常を描いた『この世界の片隅に』は、クラウドファウンディングで資金を集め、公開後も口コミやSNSなどで評判が広がったという、まさにファンの愛に支えられた作品です。2018年12月24日に開催されたトークイベントの会場には『この世界~』のファンが200名近く集まりました。
浦谷監督補は『この世界~』のために、同博物館で開催しているワークショップ「くらしの学校」に2013年から参加しました。野草茶づくりや縫い物、昔ながらの大掃除の仕方などを学び、無駄なくくらすことの大変さと愛おしさを実感したと言います。
生活史の研究家でもある小泉館長は、映画の感想を聞かれ「とにかく丁寧な時代考証で、状況説明が本当によく行き届いている」と絶賛しました。
会場では、小泉館長が企画制作した記録映画『昭和の家事』(1990~1992年撮影)から、『この世界~』で参考にしたという洗濯板を使う様子、縫い物をする様子、小さな子供に浴衣を着せる様子がスクリーンに映し出されました。
博物館を通して、アニメーション映画を通して、くらしの大切さを伝える3人のトークに、会場は大いに盛り上がりました。
同博物館の来館者数は通常1日に20~40名ほどですが、展覧会開催以降、来館者は倍に増え、多いときは70名ほどの来館者が訪れているそうです。「遠方から訪れる方や十数回と訪れるリピーターの方もいて、日本各地で長く公開されている映画が根付いているように思います」と学芸員の小林さんは言います。来館者が感想を寄せるすずさんノートには、ファンがイラストとともに熱い思いを書き込んでいました。
2019年には新規場面を付け足した別バージョン『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の公開も予定され、昭和のくらし博物館にもますます注目が集まるのではないでしょうか。