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石川直樹 東京の記憶を旅する
No.014
高田馬場・早稲田〈後編〉 age19-23
石川直樹[いしかわ・なおき]

石川は大学1年時のデナリ登頂を皮切りに、次々と世界の高峰へと出かけていき、在学中に当時最年少の世界7大陸最高峰登頂記録を樹立することとなる。またこの時期は、写真家としての道を進むきっかけとなるさまざまな機会や人との出会いもあった。山との往復を重ねながら過ごした日々の記憶を、街のなかに辿る。

2020.10.28

12-1――Pole to Pole 2000

2000年のはじめ、大学4年のとき、カナダの冒険家マーティン・ウィリアムズ氏の発案で、世界7カ国から8人の若者を集め、北極から南極までを1年かけて人力で縦断する「ミレニアム・チャレンジ Pole to Pole 2000」(以下「P2P」)という冒険プロジェクトが企画されました。応募したところ、運よく日本の代表に選んでもらって、1年の旅に出ることが決まりました。
さっそく大学の事務所に1年間の休学手続きをしに行きました。用紙の休学理由欄に「北極から南極まで旅行するため」と書いたら「なんなのこれ」という感じで事務の人に冷たくされたのを覚えています。当時すでに出席不足で一度留年していたので、無理もありませんでした。しかしプロジェクトを終えて帰ってから学内で賞をいただいたり、旅の途中に書いていた記録が書籍化(『この地球を受け継ぐ者へ―人力地球縦断プロジェクト「P2P」の全記録』2001年、講談社)されたりして、最終的に大学はぼくの活動を認めてくれました。
2000年4月5日に北磁極をスタートし、2001年、21世紀最初の元旦を南極点で迎えて、全走破距離3万2,970キロの旅は終わりました。旅の間、メールの送受信はできましたが、当時ネットニュースなどをいちいちチェックする暇はなかったので日本の様子はまったくわからず、帰国したときに1年分のニュースを一気に知って驚くという感じでした。

高田馬場 2020/9/2
高田馬場 2020/9/2

12-2――1日1本のフィルムを撮る

「P2P」のような北極から南極まで1年がかりという旅は当時も珍しかったようで、出発前、ある新聞社の写真部部長さんから「この旅を写真で記録しなさい。フィルムをたくさんあげるから1日1本撮ってきてほしい」といわれて、36枚撮りの35mmフィルムを300本ほどいただきました。
それを使って北極から南極まで旅の間に毎日1日1本ずつ撮影したんですが、これがぼくにとって、いわば写真の千本ノックのような効果をもたらしました。
36枚撮れるフィルム1本、それを1日で撮りきるというのは、初めはなかなか大変でした。カメラを通して世界を見ることや、それを長時間持続させることは「慣れ」でもあるんです。カメラ・アイを身につけるというか、写真的な体力をつける、とでもいうのでしょうか。このときの経験が、写真家になる原点となったと思っています。
キヤノンの「EOS Kiss」という、一眼レフで一番軽くて安価なカメラを3台持ってきていましたが、ハードな旅だったため、最後の最後の南極大陸で3台とも壊れてしまい、唯一残った富士フイルムの「写ルンです」防水タイプで、南極点到達の記録をおさめました。写ルンですは気温差や衝撃にも強いシンプルな構造なので、昔は高所登山でも登山家がポケットに忍ばせておくことも多かったと聞きます。ぼくは実際に最後の切り札として、遠征に必ず持参していましたね。

高田馬場 2020/9/2
高田馬場 2020/9/2

12-3――写真の面白さに目覚める

新聞社からもらったフィルムは「P2P」の最中に撮影し続け、何回かに分けて日本に送っていました。帰国してから新聞社の人と相談したのですが、「これじゃあちょっと使えないかもなあ……」という反応で、結局それが連載などになることはありませんでした。
「P2P」の旅から帰ってから、写真家の鈴木理策さんが早稲田の文学部に教えにきていて、授業に潜り込んだんです。もともとは平木収さんという写真評論家の先生が写真史を教えていて、その授業は在学時に受けていたのですが、その平木さんの後にいらっしゃったのが鈴木理策さんでした。文学部に写真の授業があるなんてめずらしいので、それもぼくにとっては幸運でした。理策さんの授業で、「P2P」のときに撮ったポジフィルムをスライドショー形式で、暗い部屋のなかでスクリーンに投影して皆の前で見てもらいました。何を言われたのか覚えていないのですが、なんとなく面白がってくれたんだと思います。
まだ写真のイロハもわからないときで、理策さんに使っているカメラについて訊ねてみたところ、「プラウベルマキナ」という蛇腹の中判カメラを見せてくれました。そのコンパクトさと独特のたたずまいと、何より理策さんが使っている姿がかっこいいなあと思い、真似をして1台買ったんです。今ほど高騰していなかったものの、それでも12、3万円はしたでしょうか。清水の舞台から飛び降りる覚悟の買い物でした。
それからずっと愛用していて、今は4台を所持しつつ、順番に修理しながら使っています。
単焦点の50ミリレンズが固定でついていて、レンズ交換ができないこのプラウベルマキナというカメラと長く時間をともにすることが、結果的に、その後のぼくの撮影スタイルを作っていったんだと思います。
「P2P」プロジェクトの終了後は、南極のビンソン・マシフ(4,897メートル)、南米のアコンカグア(6,960メートル)、オーストラリアのコジウスコ(2,228メートル)に続けて登頂。そして2001年、エベレスト(8,848メートル)にチベット側から登頂できて、大学在学中に、7大陸最高峰登頂の最年少記録を更新(当時)することになります。

早稲田 2020/9/1
早稲田 2020/9/1

12-4――思い出の店

大学時代によく食事をしたのは〈キッチン南海 早稲田店〉のほか、当時文学部キャンパスの近くにあったタイ料理屋、うどん屋などでした。今日は早稲田通りを歩きながら、昔はなかったスンドゥブチゲのお店を見つけて「安くていいな、学生だったら絶対入っていたなー」などと思って撮っていました。
「バイキング」「大盛り無料」「おかわり自由」などが、当時のぼくには外食の際の重要なキーワードでした。当時は貧乏旅行ばかりしていたので、とにかく飢えることが恐怖だったんです。「食えるときに腹にためたい」というひもじい気持ちから、量が多いことは喜びでした。普通に美味しくて量が多い店と、むちゃくちゃ極上の、涙が出るくらいうますぎる味だけど量が少ない店だったら、確実に前者を選びます。
今でも、店選びに迷ったら「大盛り無料」と書いてあるほうに行ってしまいます(笑)。さすがに当時ほどは食べませんが、その習慣が今もちょっと癖になっています。

早稲田 2020/9/1
早稲田 2020/9/1

12-5――山との行き来のなかで

1年の留年と「P2P」のための1年の休学、さらに4年の3月には受講日数が足りずに卒業が半年延び、9月に卒業したので、大学には正味6年半いたことになります。
とにかくしょっちゅう旅をしていて、大学にはそのあいまに、単位を落とさないためにがんばって行っているような状況でした。
では大学が退屈だったかと言うと、そんなことは決してありませんでした。行けばいつもの日常があって、学生たちがなんやかんやとワイワイやっていて、「シャバに戻ってきたなあ」というと大げさですが、そんな落ち着く感覚がありましたし、教室の一番後ろに座っていると、「自分もこのなかの一つなんだな」と、溶け込む感じがとても好きでした。
登山をしているときのように、動くために必死で食べて眠り、呼吸も意識的にしなくてもいいし、高山病も滑落も心配しなくていいし、電気も水も当たり前のようにある。山での時間を過ごした後は、街での生活のありがたさをいっそう感じるようになっていました。
あらゆる面で、大学時代は自分にとって激動の時代だったなあと思います。

高田馬場 2020/9/2
高田馬場 2020/9/2

石川直樹(いしかわ・なおき)

1977年東京生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。人類学、民俗学などの領域に関心を持ち、辺境から都市まであらゆる場所を旅しながら、作品を発表し続けている。『NEW DIMENSION』(赤々舎)、『POLAR』(リトルモア)により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞。『CORONA』(青土社)により土門拳賞を受賞。著書に、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか多数。
2020年『まれびと』(小学館)、『EVEREST』(CCCメディアハウス)により日本写真協会賞作家賞を受賞した。

石川直樹[いしかわ・なおき]

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