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平櫛田中

アーティスト解体新書

No.003

ルネサンスの巨匠「ミケランジェロ」に引き続き紹介するのは、日本近代彫刻界の巨匠、文化勲章受章者の平櫛田中(ひらくし・でんちゅう 1872-1979)です。100歳を超えてもなお創作活動に情熱を注いだ田中には、多くの人間味あふれるエピソードや名言が残されています。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部

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2017.01.03

平櫛田中(ひらくし・でんちゅう 1872-1979)

明治5年、岡山県井原市生まれ。卓越した技法による写実的な作風で知られる彫刻家。代表作に《転生(てんしょう)》《烏有先生(うゆうせんせい)》《鏡獅子(かがみじし)》《五浦釣人(ごほちょうじん)》などがある。


107歳の長寿をまっとうした平櫛田中。晩年の書には「六十七十は はなたれこぞう 男ざかりは 百から百から」「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」などの名言を記した。90歳を過ぎた田中が、同じ岡山県出身の陶芸家と展覧会を見に行った時のこと。観覧後に別の展覧会場へ歩くことにした二人だが、途中で同行の70歳を過ぎた陶芸家が疲れてタクシーを使うことを提案。すると田中は「若造のくせにだらしない!」とカンカンに怒り、自分は立ったままとうとうと説教を始めたという。

田中は昭和37年、90歳の時に文化勲章を授与され、木彫界の最高峰として認められた。伝達式の日、天皇陛下から「一番苦心したこと」を尋ねられた田中は「それは、おまんまを食べることでした」と答えたという。約20年の歳月をかけて制作された《鏡獅子》は、国が国立劇場の落成にあわせ2億円で買い上げようとした。しかし田中は「お金はいりません。この作品は私一人で作ったものではなく、六代目菊五郎さんと2人でこさえたもんです」と固辞、東京国立近代美術館に寄贈されることになった。この大作は現在も国立劇場の正面ロビーに設置され、見るものを圧倒し続けている。

若き田中に重要な影響を与え生涯の師となったのが、日本美術研究の権威・岡倉天心だった。天心は「諸君は売れるようなものばかり作るから売れないのです。売れないものを作りなさい。そうすれば必ず売れます」とアドバイス。天心のもと設立された日本彫刻会で、田中は数多くの魂を込めた仏教彫刻を制作した。《尋牛(じんぎゅう)》は、禅の悟りへの道をテーマにしたもので、田中は牛を追う老人の姿に真の芸術を追い求める自身の姿を重ねた。《尋牛》を高く評価した天心は、しかしその完成を見ることなく、52歳の若さで世を去る。通夜の席、田中が涙ながらに天心の亡骸(なきがら)に見せた作品、それが《尋牛》だった。

<完>

監修:藤井明(小平市平櫛田中彫刻美術館)

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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