自分の目で見たものを描こうとするゴッホとは対照的に、現実の世界を通し、心の内という見えない世界を描こうとしたゴーギャン。彼は近代化の波が押し寄せていない地を求め、フランス北西部のブルターニュ地方へ赴き、そこに生きる人びとの素朴な生活を描いた。それを象徴するかのように、「あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とは、ひとつの抽象である」という言葉を手紙に記している(1888年)。そしてゴッホのいるアルルへ発つ前にゴッホへ送った手紙には「私は人物に、素朴で、迷信を信じるような、偉大な単純さを表現できたように思う」と綴られている。
ゴッホ&ゴーギャン 《後編:ゴーギャン》
アーティスト解体新書
No.005たった2カ月の共同生活のなかで、刺激し合い、数々の名作を生み出した2人の画家・ゴッホとゴーギャン。後編は、ポール・ゴーギャンです。フランスで生まれながらも、幼少期の約6年間を南米ペルーで過ごしたゴーギャンは、「西洋」と「野生」といった対比のなかに思想を見いだしました。ゴッホとの共同生活後も「野生」を求め、南国の島へ移住し、多くの傑作を残しています。
イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部(佐藤恵美)
ポール・ゴーギャン(1848〜1903)
フランス・パリ生まれ。ゴッホと同じくポスト印象派を代表する画家。《タヒチの女》をはじめ、大胆な構図や色彩を特徴とする。
1888年10月、ゴーギャンはゴッホが待つ南仏・アルルへ移る。制作への姿勢も対照的な2人はしばしば対立し、ゴッホが夢見た共同生活は長続きしなかった。だが、アルルで描いたゴーギャンの《ブドウの収穫、人間の悲惨》を、ゴッホは弟・テオへ宛てた手紙のなかで次のように称賛している。「今、彼は完全に記憶からブドウ園の女性たちを描いている。彼が、この絵を台無しにしたり、途中で投げ出したりしないなら、とても素晴らしく、かつてない作品となるだろう」。2人の生活が破綻した「耳切り事件」の1カ月前だった。
ゴーギャンはゴッホとの生活を、のちに回想している。「破局は急に訪れたし、制作に没頭していたにもかかわらず、あの時期は1世紀もの長さに感じられる。世間の気づかないうちに、二人の男はそこで、どちらにとっても有益な膨大な量の仕事をした」(『前語録』)。そしてゴッホの死から11年後、「野生」を求めて南国の島・タヒチで制作していたゴーギャンは《肘掛け椅子のヒマワリ》を描いた。まるでゴッホが描いた《ゴーギャンの椅子》に呼応するように、そのヒマワリは肘掛け椅子の上に置かれている。
<完>
協力:大橋菜都子(東京都美術館学芸員)
豊島宙(とよしま・そら)
イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。
国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。