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川端康成〈前編〉

アーティスト解体新書

No.006

今回紹介するのは、小説家の川端康成です。14歳で文学を志し、東京帝国大学文学部在学中に菊池寛に見出された川端は、横光利一などとともに「新感覚派」と称されました。大正から昭和までの文壇を生き抜き、日本近代文学に大きな足跡を残した川端には、さまざまなエピソードが残されています。晩年の異色作『眠れる美女』をもとにしたオペラが、12月に東京文化会館にて上演されるのを記念して、2回にわたり彼の選りすぐりのエピソードを紹介します。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部(合田真子)

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2017.01.06

川端康成(かわばた・やすなり 1899~1972)

明治32年、大阪府茨木市生まれ。繊細な筆致で日本の古典的美を表現した小説家。代表作に『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』『古都』『美しさと哀しみと』など多数。昭和43年(1968)、日本人初のノーベル文学賞を受賞。


『伊豆の踊子』の薫や『雪国』の駒子、『浅草紅団』の弓子など、川端の小説に登場する魅力的なヒロインたち。そのキャラクターづくりは、実在の人物から着想を得ていることが多い。なかでも大きな影響を与えたのが、川端が東京帝国大学在学中、大学近くのカフェで働いていた伊藤初代だ。川端は、この6~7歳年下の少女に夢中になり、婚約まで取りつけたが、突如として破談となってしまった。現在まで真相がさまざまに憶測されているこのできごとは、『南方の火』『篝火』『非常』などの作品の題材となったほか、晩年までの多数の作品に、初代の面影らしき少女のイメージが、くり返し確認できるという。

2歳で父、3歳で母を病でなくしてから、15歳までに肉親を次々と失い、天涯孤独となった川端には、気難しく孤独を好む人というイメージがついてまわった。無口であったことは確かなようだが、実際の川端は学生時代より多くの人々と交流し、仲間たちと『新思潮』『文藝時代』といった小説の同人誌を発行し、小説家として成功したのちも、情にあつく、面倒見のよい人物であった。また前半生、文芸評論家としても活動していた川端は、岡本かの子や梶井基次郎、伊藤整など、いくつもの優れた才能をいち早く見出しては、世に送り出していた。

多忙と遅筆のため、締切に遅れることで知られた川端に、周囲の編集者たちは振り回された。NHK連続テレビ小説〈とと姉ちゃん〉のモデルで雑誌『暮らしの手帖』を創刊した大橋鎭子(おおはし・しずこ 1920-2013)も、その一人だ。駆け出しの編集者だった頃、川端へ寄稿を依頼する大役を命じられた大橋。川端は快諾したが、約束の日に家に行くと原稿はできていなかった。「何日後に」という約束を信じ、再訪しては破られること5回。我慢強い大橋も、思わず玄関先で涙をあふれさせてしまった。慌てた川端は、「書いてあげる、書いてあげる」となだめて、2時間で原稿を仕上げたという。

<後編に続く>

監修:国書刊行会

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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