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アドルフ・ヴェルフリ

アーティスト解体新書

No.009

近年注目を集める「アール・ブリュット」の巨匠、アドルフ・ヴェルフリ。精神を病み、病室で創作した膨大な作品はいずれも、詩や曲などを組み合わせた独創性にあふれるもの。正規の美術教育を受けていない人たちが、内側から生まれる衝動のままに創作した芸術を指す「アール・ブリュット(生の芸術)」(英語名:アウトサイダー・アート)を代表する作家です。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部(合田真子)

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2017.01.09

アドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)

スイスの首都ベルンに近いボーヴィル生まれ。貧困のため8歳のときに一家は離散し、近隣の町シャングナウの農家に一人で里子に出される。成人後は職を転々としながら暮らすが、過酷な境遇のなか次第に精神を病み、1895年、31歳でベルン近郊のヴァルダウ精神科病院に収容。66歳で亡くなるまでそこで過ごした。


ヴェルフリが絵を描き始めたのは、入院から4年後の1899年、35歳のときのこと。院内で暴力事件をくり返していたヴェルフリは、あるとき新聞印刷用の大きな白い紙と鉛筆を与えられたところ、描くことで落ち着きを取り戻すようになり、やがて葛藤を吐き出すかのように熱中していく。彼の絵を初めは軽視していた医師たちだったが、その創造性に次第に着目。1907年に初めて色鉛筆が与えられて空想の世界はより豊穣さを増し、翌1908年、最初の大作『揺りかごから墓場まで』(1908-12)の制作が始まる。主人公の少年ドゥフィ(アドルフの愛称)が家族とともに冒険を重ねるこの架空の自叙伝は、ヴェルフリ自身の悲惨な幼年時代の記憶を修復する作品ともいわれている。

次いで、「聖アドルフⅡ世」として宇宙までにおよぶ王国を築く未来を描いた『地理と代数の書』(1912-16)から、未完に終わった『葬送行進曲』(1928-30)まで、絵画やコラージュ、文章、数字、そして楽譜などを組み合わせた、混沌とした内面をほとばしらせる作品を次々とつくり続けた。毎日、食事や身だしなみを順番通りにすませた後は、ひたすら制作に打ち込み、その集中力には凄まじいものがあった。2、3日で1本の鉛筆を使い切っていたといい、戦後に再発見された45冊の自作ノートと16冊の市販ノートには、それぞれ約1600点の絵画とコラージュが含まれ、総ページ数は2万5000ページに及ぶものであった。

ヴェルフリの画家、作曲家としての自負は大きく、作品には「アドルフ・ヴェルフリ、シャングナウの作曲家」と署名した。物語的な大作と並行して「ブロートクンスト(日々の糧のための芸術)」と呼ばれた1枚絵も描き、病院の職員や訪問者に売って画材の購入にあてていた。高いと文句を言われると怒り出し、自分がいかに優れた芸術家かを説明したという。ヴェルフリの旺盛な活動は次第に知られるようになり、やがてダダ、シュルレアリスムなどの芸術家たちにも影響を与えたアール・ブリュットの代表的画家として、その存在は不動のものとなった。現在、スイス連邦鉄道の特急列車には、スイスを代表する人物として、アインシュタイン、ル・コルビュジエなどに並び、ヴェルフリの名を冠した車両が走っている。

<完>

監修:服部正(甲南大学准教授)

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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