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田河水泡

アーティスト解体新書

No.017

昭和初期に熱狂的な「のらくろ」ブームを起こした漫画家、田河水泡(たがわ・すいほう)。物語漫画の原点といえる作風は、手塚治虫や長谷川町子、杉浦茂といった次世代の有名漫画家たちも、幼少期に多大な影響を受け、師と仰いだ存在でした。日本の漫画文化の草創期に礎を残した作家の人物像に迫ります。


Illustration:豊島宙
Text:合田真子

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2017.01.17

田河水泡(たがわ・すいほう 1899-1989)

本名・高見澤仲太郎(たかみざわ・なかたろう)。明治32年、東京市本所区林町(現・東京都墨田区立川)に生まれ、深川で育つ。漫画家としてのデビュー作品は、昭和3年(1928)『少年倶楽部』掲載の「目玉のチビちゃん」。主な作品に『のらくろ』『蛸の八ちゃん』など多数。ペンネームは本名の音を分解し、「TA(田)」「KA(河)」「MIZ(水)」「AWA(泡)」の漢字を当てたもの。


大正8年(1919)、田河は兵役となる。幼少期から絵描きを志し、型にはめられることも苦手だったため、入営後の身上書に「芸術家は軍隊生活になじめないので、病気でもして兵役免除になりたい」と、つい正直に書いてしまった。約1年後、朝鮮の連隊に配属されてすぐ上官に呼び出され、ドキドキしながら赴くと「お前は上等兵候補に上がっているが、あまりそういうことを好んでいないようだ。他の者に譲ってやらんか」。迷わず承諾した田河は、軍用鳩研究班に配属、残りの任期の約1年をここで過ごした。鳩の世話が中心で、隙を見てスケッチもできたという、何とものんびりした軍隊経験が、後年の『のらくろ』の下地となった。

除隊後の田河は日本美術学校図案科に入学、グラフィックデザインを学びながら、同時にキュビスムなどの前衛美術運動にも共鳴、大正12年(1923)、美術団体「MAVO(マヴォ)」に参加して抽象画を制作した。卒業後は細々と広告デザインなどの仕事をするが、生活のために娯楽雑誌『面白倶楽部』の読み物ページで、落語の台本を手掛けはじめる。幼い頃から寄席に通っていた体験と、生来の軽妙なユーモアが活きた原稿は好評を博し、田河はまず落語作家「高澤路亭(たかざわろてい)」として売れっ子に。この時期に書かれた「猫と金魚」は、現代でも寄席で掛けられ続けている、新作落語の名品である。

『面白倶楽部』編集長に「これだけ面白い話が書けるのだし、もとは絵描きだというのだから、漫画を描いては」ともちかけられ、田河は漫画の分野に乗り出す。昭和6年(1931)『のらくろ』連載開始。ドジな野良犬黒吉、通称のらくろが猛犬連隊に入隊、騒ぎをくり広げながらも手柄を立てていく姿は次第に評判を呼び、全国的なブームとなる。当初は田河自身の経験通り、2年ほどで満期除隊、連載終了の予定だった。しかし押し寄せるファンレターの洪水に執筆は延長を重ね、昭和55年末、のらくろの幸せな結婚で大団円を迎えた『のらくろ喫茶店』まで、実に50年にわたって描き続けられたのだった。<完>

田河水泡・のらくろ館

田河水泡が青年期までを過ごした江東区深川の地に、1999年開館。愛用の書斎机と執筆道具で再現された仕事場や、著作とともに田河の生涯をたどる展示パネルなどで構成された展示室と、漫画閲覧コーナーの「のらくろ広場」があります。

所在地:東京都江東区森下3-12-17 江東区森下文化センター内
電話:03-5600-8666
開館時間:9時~21時
休館日:第1・3月曜日(ただし祝祭日の場合は開館)、年末年始、設備点検日
入館料:無料

https://www.kcf.or.jp/morishita/josetsu/norakuro/

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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