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中村彝

アーティスト解体新書

No.018

日本の近代美術史に残る肖像画の名作《エロシェンコ氏の像》を生み出した、大正期を代表する洋画家・中村彝(つね)。内省的な洞察にあふれ、力強くも繊細な画風で時代の寵児として輝きながらも、忍び寄る病魔と闘い、燃え尽きるように駆け抜けた、その生涯をたどります。


Illustration:豊島宙
Text:合田真子

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2017.01.18

中村彝(なかむら・つね 1887-1924)

明治20年(1887)、茨城県水戸市生まれ、11歳で上京。17歳で肺結核となり、東京陸軍幼年学校を中退。療養中に始めた素描や水彩画から、絵画の道へ。当時革新的だった印象派の絵画形式を日本でいち早く取り入れ、独特の光の表現を確立した。


軍人だった長兄の影響で自らも同じ道を志した彝は、名古屋陸軍地方幼年学校を卒業後、東京陸軍幼年学校へ進む。しかし過酷な教練が生来病弱な体に負荷となり、明治37年(1904)、17歳で肺結核と診断、中退を余儀なくされる。治療法が確立していなかった当時、結核の罹患は緩慢な衰弱を経ての死を意味していた。エリート軍人への道のみならず青春の入口で人生までをも挫折する形になり、一時は絶望の淵に立たされた彝だったが、転地療養先で始めた素描や水彩が、雑誌の懸賞で連続一等入選を果たす。1906年に白馬会、ついで1907年に太平洋画会研究所に入り、洋画を習得。芸術の道へと邁進していく。絵を描くことが彝の新たな、そして唯一の希望となった。

明治42 年(1909)、22歳で文展初入選、画壇の新星となった彝には、芸術に理解を寄せる実業家たちから、画の注文や経済支援の話が舞い込んだ。明治44年(1911)、食品製造業(当時)の中村屋創業者・相馬夫妻より、店舗裏の画室兼住居を提供され、制作に打ち込む。大正2年(1913)より夫妻の長女・俊子をモデルに描き始め、翌年文展の三等賞に入賞した《小女》など、生命の輝きをとらえた名作の数々を生み出した。美しく聡明な俊子は、彝にとって芸術の源泉と同時に、愛情の対象となる。大正4年(1915)、結婚を申し込むが、娘の裸体画を展覧会に出し衆目にさらされることへのとまどいや彝の病気のことなどから、相馬夫妻は猛反対。彝は傷心のうちに画室を去った。

理想の制作環境を求め、彝は大正5年(1916)、東京・下落合に住居兼アトリエを構える。病状は年を追って悪化するも、新たな制作に打ち込むことで失恋の痛手は癒やされていった。大正9年(1920)、友人の画家、鶴田吾郎(1890-1969)がアトリエに連れてきた盲目のロシア人詩人、ワシリー・エロシェンコ(1890-1952)をモデルに、鶴田とともに8日間にわたって肖像画を制作。こうして生まれた傑作《エロシェンコ氏の像》は、その年の第2回帝展で、さらに大正11年(1922)パリのグラン・パレで開かれた日仏交換美術展覧会でも絶賛を博し、病床の彝を力づけた。大正13年(1924)12月24日、37 歳の若さで没。死に顔は安らかなものであったという。

<完>

協力:新宿区立歴史博物館

中村屋サロン美術館

平成26年(2014)開館。明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家・文化人たちが新宿中村屋に集まり形成した「中村屋サロン」。その精神を継承し、芸術文化の振興につながる企画を実施。中村彝を始めとする、中村屋サロンゆかりの芸術家の作品も多数所蔵しています。

所在地:東京都新宿区新宿3-26-13 新宿中村屋ビル3階
電話:03-5362-7508
開館時間:10時30分~19時(入館は18時40分まで)
入館料:展示によって異なります(高校生以下無料、障害者手帳呈示で本人および同伴者1名無料)
休館日:火曜日(祝祭日の場合は開館し、翌日休館)、年末年始

http://www.nakamuraya.co.jp/museum/

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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