祈るように筆を取る
敬虔なカトリック教徒であったルオーは、自身の制作を「熱心な信仰告白」と称している。その生い立ちから、辛い境遇に生きる人々への深い共感と理解を持つルオーは、娼婦や道化師をしばしばモチーフに選び、彼らを救済するかのようにキリストの顔(聖顔)やその姿を繰り返し描いた。朝から晩まで求道的なまでに制作をし、仕舞いには作品の額縁や、すでに完成させた作品の裏にも絵を描いていた。また、納得の行くまでひとつの作品に繰り返し手を加える制作スタイルは、なかなか作品を完成させられずに画商ヴォラールを怒らせ、作品が顧客や美術館の手に渡った後でも筆を入れてしまうほどだった。
ルオーと日本の友人
日本には、パナソニック 汐留ミュージアム(2019年4月より「パナソニック汐留美術館」に名称変更)や出光美術館など、世界に知られたルオーコレクションを持つ美術館がいくつかある。ルオーと日本の接点をつくった人物が画商の福島繁太郎(1895-1960)だ。1923~34年にかけてフランスに定住していた福島は、ルオーをはじめピカソ、マチスといった同時代の芸術家の作品を100点以上収集し、日本に紹介していた。自作を収集する日本人の噂を聞き付けたルオーは福島を訪ね、その後も福島の所有する自作に手を加えるために訪問を重ねた。その交流は、福島夫人のスイス療養に同行して共同生活を送り、福島が帰国してからも手紙のやり取りを続けるなど、家族ぐるみの付き合いに発展した。
時代を超えて伝わるメッセージ
銅版画集『ミセレーレ』(1912-27)は、父親の死や第一次世界大戦を受けて制作された。「憐れみたまえ」という意味のタイトルが付された本作には、孤独な人、社会の不正や堕落する権力者、そして戦争と災厄が描かれている。深遠な黒のグラデーションと力強い線は白を際立たせ、重苦しさのなかにも眩い希望の光を感じさせる。ルオーはこの作品に、同時代の人に向けたイコン(崇拝の対象となる聖像)のような性格を持たせ、作品を通して彼らの心を救済しようと図ったのである。この作品は、1957年に当時のフランス大統領が法王ピウス12世と謁見する際の贈り物にも選ばれた。
2016年には、法王フランシスコがルオーの《キリスト(受難)》(1937)を十字架のペンダントにデザインし、ミサに集まった8万人の若者に配っている。没後60年以上経った現在も、ルオーの愛と情熱が込められた作品には人々の心を動かす力がある。