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小津安二郎

アーティスト解体新書

No.031

低い位置にカメラを据えた構図や、静かな会話のやりとりを軸にした物語運びで「小津調」と呼ばれる独自の美学に基づいた映画をつくり、変わりゆく日本の家族を捉え続けた小津安二郎。「なんでもないことは流行に従う。重大なことは道徳に従う。芸術のことは自分に従う」との言葉も残した、こだわりの多い人物像を紹介します。


Illustration:豊島宙
Text:竹見洋一郎

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2019.11.06

小津安二郎(1903-1963)

1903年、東京に生まれる。1923年に松竹キネマ蒲田撮影所に撮影助手として入社。1927年時代劇『懺悔の刃』で監督デビュー。戦後は『晩春』(1949)『麦秋』(1951)などの名作を発表。『東京物語』(1953)は1958年ロンドン国際映画祭でサザーランド賞を受賞し、以降は国際的な注目も浴びた。


ライス・カレーがきっかけで監督デビューへ

健啖家の小津の好物を挙げれば、とんかつ、ラーメン、うなぎ、天ぷら、鶏鍋と長いリストになる。監督デビューのきっかけも、好物のライス・カレーが関わっていた。蒲田撮影所に助手として働いていたある日、撮影が長引いて空腹をかかえ、撮影所内の食堂にかけ込むと、カレーのいい香りが漂っている。唾をためて配膳を待っていたが、あろうことか後から食堂に入ってきた監督のもとに、待っていた皿が運ばれてしまう。「順番だぞ!」と思わず怒鳴る小津。あわや大げんかという一幕のあと、この話が撮影所の所長の耳に入ると「おもしろいやつだ」と印象づけることに。翌月、時代劇『懺悔の刃』(1927)の監督に抜擢されるきっかけだったと後に小津は振りかえっている。

ローポジションへの執着

カメラを低いポジションに据える「ローポジション」が小津映画の画づくりの代名詞。逆に俯瞰のショットは嫌いで、『浮草』(1959)など数えるほどしか登場しない。さらに屋外でのロケよりも、セットのなかで芝居をつくり込む演出を好んだ。ローポジションで覗いた構図に合うよう、和室に置かれた薬缶(やかん)からカウンターの灰皿の位置まで、徹底してこだわり抜く。さらには奥行きを強調した長い廊下のセットをつくるなど、理想の構図を手に入れるための工夫は惜しまなかった。その一方、「画調を壊さない、画面からはみださない綺麗な音なら良い」と、音楽についてはうるさく言わない一面も。

本物志向と絵画

映画に登場する美術作品には、小道具とはいえ模造品は使わない本物志向で「人間の眼はごまかせても、キャメラの眼はごまかせない」と語る。絵画が最も多く登場するのは、年ごろの娘の結婚というお得意のテーマを扱った『秋日和』(1960)だろう。『晩春』、『麦秋』、『東京物語』(1953)でもヒロインを演じた原節子との再婚が叶わなかった北竜二がやけ酒をあおる場面に着目すると、料亭の壁には梅原龍三郎の《浅間山》が、北のくすぶる思いをあらわすように飾られている。キャラクターの心情を補足したり、場面の意味を引き立てたりと、絵画は後期小津映画の名脇役ともいえる存在だ。『秋日和』にはこの他にも、東山魁夷、橋本明治、速水御舟らの作品がシーンを彩っていて、Tokyo Art Navigationの読者なら、贅沢な絵画の数々を楽しみながら観ることができるはず。今もなお、日本のみならず世界中から愛され続けている名作だ。

<完>

国立映画アーカイブ
日本で唯一の国立映画専門機関として、映画の保存・研究・公開を通して映画文化の振興をはかる拠点となっています。2018年、独立行政法人国立美術館の6番目の館として設立されました。常設展示「NFAJコレクションでみる 日本映画の歴史」では、小津安二郎の映画ポスター、撮影台本をはじめとして、時代ごとの貴重なコレクションで日本映画の歴史的な流れをたどることができます。

住所:東京都中央区京橋 3-7-6
電話:03-5777-8600(ハローダイヤル 8時~22時)

https://www.nfaj.go.jp

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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