東京のアートシーンを発信し、創造しよう。

MENU
MENU

髙島野十郎

アーティスト解体新書

No.001

記念すべき「アーティスト解体新書」の第1回は髙島野十郎(たかしま・やじゅうろう、1890-1975)。「孤高の画家」「蠟燭の画家」として、NHK「日曜美術館」でも再三取り上げられるなど、超俗的な画業と潔癖な人柄を物語るエピソードによって、近年多くの人々から注目を集めている洋画家です。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部

Share
2017.01.01

髙島野十郎(たかしま・やじゅうろう 1890-1975)

明治23年、福岡県久留米市生まれ。終生画壇と交わることをせず、独自の写実表現を切り開いた「孤高の画家」。


野十郎は東大農学部水産学科を首席で卒業した俊才。でも周囲の反対を押し切って画家の道へ進んだ。優秀者に贈られる「恩賜の銀時計」も辞退したという。大学時代は「魚の感覚」について研究をしていて、「魚介類の観察図」も残されている。透徹したまなざしや細密な画風を得るために、大学は良い修練の場であったのかもしれない。しかし、このころ描かれたと思われる自画像は、傷つき血を流す姿で描かれ謎めいたものだ。

3年間の滞欧(英・仏・伊)を経て帰国した野十郎は、ほどなくして東京・青山に居を定める。「世の画壇と全く無縁になるのが小生の研究と精進です」と手紙に記した画家は、その後、全国を旅しながら画業にいそしんだ。彼の潔癖さを示すエピソードは数知れない。友人が、自らの死後に所有する野十郎の作品が散逸することを恐れて、それの返却を提案したとき、野十郎は受け取らず、焼いてしまったという。しかし野十郎を取り巻く人々は、だからこそ彼に魅せられ彼を支え続けたのだろうか。

野十郎は仏教に強い関心を抱いていた。《空》と題した絵には般若心経の一節が描かれ、遺品には「大蔵経」も。蝋燭(ろうそく)・月・太陽といったモチーフはもちろん、野十郎の絵画はすべて「慈悲の実践」だったのかもしれない。「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」とは彼の遺品ノートに書かれた言葉。終生描き続けられた蝋燭の絵は、一度も個展などに出品されず、親しい友人に「奉納」された。最近の調査では、初期の蝋燭の画面から光る結晶が見つかった。光はただ描かれただけではなかったのだ。

<完>

監修/西本匡伸、高山百合(福岡県立美術館)、山田敦雄(目黒区美術館)

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

公式アカウントをフォローして
東京のアートシーンに触れよう!