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ミケランジェロ・ブオナローティ

アーティスト解体新書

No.002

「ダヴィデ像」や「システィーナ礼拝堂の天井画」、「最後の審判」などの名だたる作品で知られるルネサンスの巨匠・ミケランジェロ(1475-1564)。絵画や彫刻のほか、建築や詩など分野を超えた数々の偉業を残し、没してから450年以上経つ今も、その功績が語り継がれています。「アーティスト解体新書」第2回は、ミケランジェロの類い稀なる才能の裏に秘められた、その素顔の一端に迫ります。


イラスト:豊島宙
構成・文:TAN編集部(佐藤恵美)

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2017.01.02

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475〜1564)

イタリア、カプレーゼ生まれ。美術史に計り知れない影響を与えたルネサンス期の芸術家。その才能は彫刻、絵画、建築、詩など多岐にわたる。


少年時代をフィレンツェで過ごしたミケランジェロは、毎週日曜日に家族で出かけた教会で、優れた彫刻や絵画などを目にした。この経験が後々の彼に影響を与えたのだろう。9歳で古典文法学校に入学しラテン語を学ぶが、合間をみては素描を描いていた。だが父親はそんなミケランジェロ少年を叱ったという。当時のイタリアでは、芸術家は貴族の使用人と同等の扱いを受けていたからだ。それでも芸術への情熱は冷めず、友人のつてで画家の工房に弟子入り。芸術家への道を開いたのである。

26歳のとき、聖書に登場する英雄・ダヴィデの彫刻制作の依頼があった。依頼者はフィレンツェの統治者・ソデリーニ。高さ5メートル以上にも及ぶ巨大な彫刻だった。ミケランジェロは、戦いの間際に敵を見据えるダヴィデを表現。完成した「ダヴィデ像」は人々の称賛を受けたものの、ソデリーニは「鼻が大きい」という。そこでミケランジェロは大理石の粉を手に取って、足場に上り、鼻を削るふりをした。そして手の粉を地面に落とすと、ソデリーニは満足。彼は権力に抗わずに、芸術家としての尊厳を守る術をもっていたのだろう。

ミケランジェロの生きた16世紀のイタリアは、政治的混乱、宗教的対立などで混迷の時代を迎えていた。1529年、故郷・フィレンツェが神聖ローマ帝国に包囲され、彼のパトロンだったメディチ家はローマ帝国側についた。一方でフィレンツェを防衛する要塞構築総監督に任命されたミケランジェロ。一部のフィレンツェ軍からはメディチ家のスパイだと疑われながらも、要塞の設計に務めた。

その後も建築家としての才能を見初められ、ローマでは政治的拠点としての「カンピドーリオの丘の広場と建築」、それとは対照の宗教的拠点である「サン・ピエトロ大聖堂ドーム」なども手がけている。こうしたさまざまな権力の狭間で翻弄されながらもミケランジェロは、芸術家として歴史に残る作品を手がけ、フィレンツェを愛する一市民として信念を貫いて生きたのだった。

<完>

監修/西本匡伸、高山百合(福岡県立美術館)、山田敦雄(目黒区美術館)

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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