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イサム・ノグチ〈後編〉

アーティスト解体新書

No.022

彫刻からランドスケープ、庭園、家具・照明など、多くのジャンルにまたがって活動した20世紀を代表する芸術家イサム・ノグチ。戦後の日本で、禅の庭や焼物に触れたイサムは、東洋の美への思いを強くします。そして積年の夢だった子供の遊び場づくりを実現すべく、チャレンジを重ねていきます。


Illustration:豊島宙
Text:竹見洋一郎

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2017.01.22

イサム・ノグチ(1904-1988)

日本名、野口勇。詩人の野口米次郎を父に、編集者で教師のレオニー・ギルモアを母にロサンゼルスに生まれる。幼少期を日本で過ごした後、13歳のときに単身渡米。彫刻に秀でた才能を見出され、彫刻家ブランクーシの弟子となる。ニューヨーク市を拠点として、日本、イタリアなど世界のさまざまな場所で精力的に創作活動を展開した。


日本との蜜月

1952年に陶芸家の北大路魯山人に居を借り、女優の山口淑子(李香蘭)を妻にめとって北鎌倉の里山で過した1年は、イサムの人生でもっとも幸せな時間となった。この前後、実用的なオブジェとして陶器や家具を制作しながら、イサムは岐阜へ幾度も赴いて光の彫刻《あかり》のデザインを行う。そもそもは鵜飼いを見るつもりで立ち寄った岐阜で、市に依頼され紙提灯をベースに開発したプロダクトだった。螺旋状の骨組みをつくる細い竹、繊細でありながら丈夫な和紙といった素材にイサムはすっかり魅了され、長年にわたり数百点におよぶデザインを生み出した。メーカーですらすべてを把握することが困難だったという。

牟礼(石という素材)

1960年代末以降、イサムは石産業で知られる香川県牟礼(むれ)をニューヨークと並ぶ活動の拠点に据え、大理石よりも硬い花崗岩、玄武岩で制作をした。牟礼では優れた石工との出会いがあった。石工の和泉正敏は約30年間、もう2本の腕となってイサムを最後まで支え続けた。制作のなかでは、激しく頑固な性格のイサムと石工たちとのあいだに緊張が走ることもあった。あるときは顔をあまりに石に近づけて彫るので、飛んでくる石屑で目を傷つけるのではないかと石工を心配させた。そして本当に石が目に入ってもイサムは無視したという。イサムは語る。「ぼくは石を割る。石にダメージをあたえる。それからぼくはそのダメージを償おうとする。そしてその過程において、ぼくは石と一種の対話を交わす」。

空間の彫刻を目指して

イサムは日本庭園で得たインスピレーションから、美術館で鑑賞するのではなく地球そのものを刻む「未来の彫刻」を考えるようになる。また「遊び」はイサムにとって終生のテーマであった。観覧車などのアトラクションがなく、地面の隆起を子供たちが駆け上がったり滑ったりする遊び場《プレイマウンテン》は、早くもアメリカ大恐慌時代の1933年に着想されたものの、計画は実現しなかった。時を経て1988年、札幌市から依頼されたランドスケープデザインの仕事で、ついに夢のプロジェクトが動き出す。189ヘクタールの広大な敷地を、ひとつの遊び場として「彫刻」する。その《モエレ沼公園》のマスタープラン完成と84歳の誕生日を祝った直後の12月30日、イサムは逝去した。遺された巨大プロジェクトは生誕から約100年後の2005年に完成し、いまも世界中の子供と大人を夢中にさせている。

<完>

主要参考文献

『イサム・ノグチ―宿命の越境者』ドウス昌代
『石を聴く イサム・ノグチの芸術と生涯』ヘイデン・ヘレーラ/北代美和子訳
『イサム・ノグチ エッセイ』イサム・ノグチ/北代美和子訳

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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