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ラファエロ・サンティ

アーティスト解体新書

No.041

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ・ブオナローティと並ぶルネサンス3大巨匠のひとりに数えられるラファエロ・サンティ。女性的で優美な画風で知られ、先人たちが研究した遠近法や解剖学に基づいた人体表現を洗練させ、違和感なく融合させた盛期ルネサンスの完成者でもあります。2020年に没後500年を迎えたラファエロの画業を、改めて振り返ってみましょう。

Illustration:豊島宙
Text:浅野靖菜

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2021.02.03

ラファエロ・サンティ(1483-1520)

イタリア中部に位置する文化都市ウルビーノに生まれ、宮廷画家であった父や、画家ペルジーノの元で研鑽を積む。多くの聖母子像を手がけたことから「聖母子の画家」と称され、さらには壁画や建築設計にも取り組んでいる。理想的な女性像と調和のとれた画面構成は、19世紀頃まで西欧絵画の美の基準として扱われ、新古典主義やラファエル前派の画家にまで影響を及ぼした。


器用で柔軟な学習能力

1504年、21歳の時にフィレンツェを訪れたラファエロは、政庁舎でレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの壁画の競作を見物する。その出来栄えに大いに感動した彼は、その壁画はもちろん、レオナルドの《モナ・リザ》やミケランジェロの《ダヴィデ》などを模写して研究を重ねた。レオナルドからは三角形の安定した人物配置や感情豊かな顔や手の表現、ミケランジェロからは動きのある人物のポーズを学んで自分のものとし、繊細で柔和な画風に昇華した。こうして生まれたのが、彼の代名詞でもある聖母子像だ。

パトロンに愛され、弟子に慕われ

1508年、25歳で教皇ユリウス2世に招かれローマに移住。ヴァティカン宮殿の壁画やサン・ピエトロ大聖堂の初期設計など、多くの事業を請け負っていたラファエロ。その工房は50人もの弟子や助手を抱える大規模なもので、建築に秀でたジュリオ・ロマーノをはじめ、装飾や版画など得意分野の異なる才能が集まっていた。ラファエロは持ち前のコミュニケーション能力で彼らを統率し、効率的に仕事を進めた。また、ハンサムな顔立ちと優雅な立ち居振る舞いで女性からの人気も高く、生涯独身だったものの、恋の噂は絶えなかったという。

イタリア・ルネサンスを代表する傑作

1508年、ラファエロは25歳で教皇居室の装飾責任者に任命される。この時に制作したのが、壁画《アテネの学堂》(1509~10年頃)だ。作中に描かれた古代ギリシアの学者たちとその並びは、プラトンが『国家』で言及した「国の守護者に教育すべき七つの自由学芸」を示しているとの説がある。中央左の人物がプラトンだが、そのモデルは敬愛するレオナルドとされる。また、実力ある画家としての自尊心からか、自身の姿も古代ギリシアの画家アペレスとして右端に登場している。ラファエロは熱病により37歳の若さで早世したが、その功績はあまりにも大きい。

<完>

監修:池上英洋(東京造形大学教授)

豊島宙(とよしま・そら)

イラストレーター。1980年茨城県生まれ。パレットクラブスクール卒業。

国内外問わず、雑誌、広告、WEB、アパレルを中心に活動中。サッカー関連のイラストレーション、メンズファッションイラストレーション、似顔絵を得意とする。

http://soratoyoshima.net

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